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第130話 女王の涙

【シリル】  翌日、シリルとレヴィンはブラムに呼ばれた。シリルは当然のように態度を硬化させたけれど、レヴィンに取りなされて応じた。  応接室にはブラムとアデルがいたが、その表情は知っているどんな表情よりも弱いものだった。 「シリル殿下、応じていただいて有り難うございます」  深く頭を下げたブラムはとても小さく、年相応に老け込んでみえる。そのブラムを気遣うアデルの様子も、間違いなく息子の顔だった。  何かが変わったのかもしれない。そう思って、シリルは対面のソファーに腰を下ろす。平気だ、今は隣にレヴィンがいる。それがシリルの一番の強さだった。 「話があると聞きました。なんでしょうか」  真っ直ぐに問うと、ブラムは静かに頷く。まるで罪を告白する罪人のような目だった。 「我らオールドブラッドの、償いきれない罪についてのお話です」 「償いきれない罪?」  シリルは首を傾げてレヴィンを見るが、レヴィンも「分からない」というように首を傾げる。仕方なく、ブラムをただ黙って見つめる事しかできなかった。 「我らオールドブラッドは、建国の王に仕えたと言われる古き臣の血筋です。タニスという国の繁栄が、我ら一族の繁栄と言っても過言ではない。そういう血筋なのです」  シリルは頷いた。これは事前に知っていたからだ。そして兄ユリエルもまた、この血筋なのだ。 「国を支え、王を支える重臣。我らはそれを誇りに思い、国を守り導くことこそが使命なのだと思っておりました。ですがいつしか、そこに保身というものが静かな恐怖となって忍び寄っていたのです」  ブラムはそれがまるで自身の経験のような口振りで話す。それほどに自身の身に染みている事柄なのだと、思わせるものだった。 「時は唯一の女王の時代。我らオールドブラッドの不安はとうとう明確な脅威となって現れました」  タニス王国の長い歴史において、唯一の女王。国の歴史を学ぶ時には確実に、そして異彩を放って現れる。  女王の名はビバルディ。 「他に兄弟もないビバルディ様が王位について数年後、隣国ルルエの若き王ルーイット様に一世一代の恋をなさり、二人は夫婦となり、二国は一国となったのです」  それも知っている。女王は彼との間に二人の王子を産んでいる。だがこの後、女王の幸せは音を立てて崩れ去ったのだ。 「この事に、多くの人が祝福を送りました。ですが、我々は恐怖したのです。国の形が変わる事で、我らの誇りも歴史も消えていくのではないか。無用のものとなり、立場を追われてしまうのではないかと」  ブラムがグッと手を握る。注視すれば震えている事もわかった。 「国の政治はタニスではなく、ルルエへと移り、我らの危機感は現実味を帯びてしまった。そこで、我らは恐ろしい罪を犯したのです」 「何を…」 「ルーイット王へ、女を宛がったのです」  シリルは息を呑んで見入った。暗くありながらも恐ろしい目をブラムはしている。淀みながら、告白する罪人のように。 「元は小貴族の娘で、大変に美しい艶やか女だったと伝わっています。彼女を女王の侍女としてつけ、その裏では王を誘惑するように言ったのです。従順な女性に我らは見ていたようです。ですが、実際は違った」  シリルにもそれは分かっている。彼女はルーイット王を見事に誘惑し、子を成して妃の地位を欲した。裏切りに傷ついた女王はやがて、国をあげての大乱を起こすのだ。 「二人の間に子が出来た時、我らはこれで女王は国元に戻りタニスとルルエに分かれ、自分たちの地位も安泰だと思ったのです。ですが、事はそんなに簡単ではありませんでした。その女は王子を産み、自らの子を唯一の王子にしようとしたのです。そして、女王が離婚するよりも前に女王と、先に生まれていた二人の王子の命を狙ったのです」  欲深い女の恐ろしい策略。女王が死に、二国は一国のまま自らの子だけ跡を継がせる。それが女の望みだったのだと、シリルは知って息を呑む。そして、なぜ女王が国を巻き込む戦争に狂ったのかを知った気がした。 「毒を盛られ、幼かった弟王子は亡くなりました。その遺骨は未だに、ルルエに眠っていると聞きます。兄王子だけを連れて国を出た女王にも追っ手がかけられ、命からがら逃げ延びたと聞いています。我らはここまでの事になるとはつゆほどにも思っておりませんでした。ですが、ここまでは思惑が叶ったのです」 「こんな凄惨な状況になってまだ、自分たちの過ちを悔いはしなかったというのですか!」  シリルにも分かっている。これを責めたってこの人の罪じゃない。当人ではなく、既に文献と言えるくらい古い時代の出来事なのだ。  だがあまりにブラムが我が事のように話すから、シリルも思わず怒鳴ってしまった。  ブラムは静かに頷き、死んだような顔をする。 「直ぐに、後悔しました。女王は国に戻ると離婚の通達と共に宣戦布告を送りつけ、それがルーイット王へと届くよりも前に攻め入ったのです」  宣戦布告を行い、受ける事が相手国より送られてようやく、戦争となる。奇襲などは下策であり、品のない行いだ。  だが怒りに狂った女王にはもう冷静な判断など出来なかったのだろう。愛した人の裏切りと、愛した我が子の死と、自らに向けられた刃に心がズタズタに傷ついたのだろう。  シリルには容易にその心が知れた。レヴィンを思いこれほどに他に冷酷になれるのだ。憎しみと悲しみにかられ、他を傷つける事に躊躇いなどないのだ。  もしかしたら、シリルはユリエルよりもしっかりとこの女王の血を引いているのかもしれない。ユリエルは愛した人との理想を胸にしながらも、他を思いやる優しさがある。だがシリルにはその余裕もなく、失えば世界が崩れてしまうのだ。 「両国は血で血を洗うような戦いとなり、女王はどんなに他が諫めても戦いを止めませんでした。そして、我らオールドブラッドの罪を知った息子達は父の罪を購うように前線に立ち、誰一人戻らなかった。女王は狂ったように戦に挑み、とうとう原因となった王子を攫い、惨殺の後に戦場の砦に掲げたのです。あまりの狂気に恐れたオールドブラッドは、女王を手に掛けました」 「!」  そうするより他になかった。確かにそうかもしれない。愛情が全て裏返った人間の残酷さは凄まじいだろう。それが、愛した人と憎い女の子を攫い、惨殺して晒すなんて恐ろしい行いになったのだ。  そして、それを止める為には殺すしかなかった。それも分かる。 「女王の死によって我らは幼い兄王子を王に立て、両国の間を行き来して停戦を行いました。でも、遅すぎた。幼い王の心にも女王の憎しみは宿り、青年となったくらいに再び戦いが起こりました。多くの民が死に、悲しみや憎しみは人の心に宿り、相手を憎む事で紛らわせる。それは両国が同じだろうと思いました。女王の呪いは、今の時代まで引き継がれ、未だ解ける気配がありません」  一息に言って、ブラムは糸が切れたように黙った。  シリルも俯く。両国の間にあるあまりに深い溝の始まり。歴史書では載っていない真実。これほどの悲しみと憎しみが、二つの国にはあるのだ。  でも同時に知っている。今がこの憎しみを解く機会なのだ。  ユリエルとルーカスはかつての女王と王のように互いを愛し、必死に両国を繋ごうとしている。そしてその為に、自分はいるのだ。 「ユリエル陛下は…兄は二国の和平を望んでいます」  シリルはゆっくりと言葉を繋いだ。伝えられるだけの言葉を繋ごうとしている。 「兄上は今、二国が折り合う為に尽力しています。ルルエ側に協力者を得て、平和的に繋ごうとしています。ルルエ国王ルーカス殿も、戦を望まぬ心の持ち主だと言われています。ですが、互いに国内に敵が多く、思うように進まないのだと。僕が国内を回るのは、国内の敵を減らすためです。戦争を煽り立てる者や、その影で私腹を肥やす者を罰するためです」  兄の思いを知ってもらいたい。国内で行った家臣の処分を恐れる者も多い。彼が軍事寄りだというのもその通りだ。長く軍籍にいた人は兵の苦しみを知っている。そして、長い城暮らしの過酷さも知っている。  それでも優しいのだ。罪のない者を罰することはなく、民にも同じ目線で心を砕く人なのだ。決して戦狂いなどではない。敵が多すぎて、心を他に明かす事が出来なかっただけなのだ。  ブラムは少し驚いた顔をした。彼もまた、ユリエルを誤解していたのかもしれない。 「…陛下は俺の事を知って、それでも俺を重く用いてくれる」  黙って全てを聞いていたレヴィンが口を開く。ブラムとアデルがそちらを見て、意外そうな顔をした。 「俺に、密かに謝罪をしてくれた。国が消した俺達を王である自分までもが消してしまっては、死んだ者が哀れだと言ってくれた。知って、それでもシリル殿下を任せてくれた。そんな、優しく慈悲深い人だ。戦の才があるからといって、戦好きではない。あの方は戦場で、敵も味方もなく死者を弔い、散った命に涙をするような、温かな心を持った人だ。国によって狂わされた俺が、唯一の主と認めた、そんな人だ」  知らなかった。でも、嬉しかった。兄はちゃんとレヴィンにも心を配ってくれた。穢れを嫌わない、そんな兄は全てを飲み込んで、飲み下して後に刻むのだと思った。 「ブラム殿、陛下の心を疑う事はない。諫めるのではなく、手を貸してもらいたい。あの方には圧倒的に味方が足りない。俺達が敵を殲滅しようとも、味方が増えなければどうにもならない。力を貸してもらいたい」  ブラムはたっぷりと悩んだ。悩み、考える彼の横で、アデルがすっくと立ち上がった。 「俺が行きます」 「アデル?」  ブラムの視線がアデルを捉える。シリルも少し驚いた。とても酷い仕打ちをした自覚はある。とんでもない恐怖を与えた事も分かっている。ただ、意地になって謝ってはいないし、その気もないが。 「父上はまだ十分に領主としての職務が行える。俺がいなくても、大丈夫だ。俺がシリル殿下に付き添い、王都へと行こう。そこで、国政を支えられるように学びたい」  アデルの瞳がシリルを捕らえる。その表情は穏やかであり、少し苦笑気味だった。 「シリル殿下、貴方にあのような行いをした俺だが、もう一度チャンスをくれないか。父の代わりに俺が国の担い手になる。俺は、陛下と殿下に忠誠を誓い、力の限り国を支える臣となろう。失ったオールドブラッドの誇りを、取り戻す為にも」  シリルはレヴィンを見上げ、レヴィンは静かに頷いた。それは了承の意味だろう。シリルは笑い、アデルに手を差し出した。 「お願いします」 「こちらこそ、よろしく頼む。再び貴方が狂気に落ちたとしても、俺がお諫めいたします。腕の一本くらい覚悟のうえで」 「もうあのような事はしません」  顔を真っ赤にして言ったシリルに、アデルは笑いレヴィンは苦笑した。  その日の夜、ブラムがひっそりとシリルの部屋を訪ねてきた。そして、一通の手紙を渡した。 「これは?」 「レヴィン将軍からお話を伺いました。他のオールドブラッドにも協力を求めて向かうのですね?」 「はい」 「これは、その者たちに。ユリエル陛下のお気持ちや、協力を促すように私の名で書いております。アデルも説得しますし、付近の家とは未だに関係がありますから、容易でしょう」 「有り難うございます」  手紙を大事に荷の中にしまう。ブラムはまだ、何かを言いたそうにジッとみていた。 「他にも?」 「えぇ、二~三」 「許す」 「周囲におります小悪党については、私にお任せ下さい。証拠を掴み、それをユリエル陛下への手土産として陛下の元へ行き、直接臣としての申し出を断ります」 「…やはり、手を貸してはくれないのですね」  ブラムは厳格だが、悪ではなかった。シリルとレヴィンの関係を勘ぐった時にも、上下の関係を明確とし、間違いが起こらないようにと思っていたらしい。だが既にそのような気持ちなのだと知ると、「そうですか…」とだけ言って諦めたようだった。 「時代の変わり目を感じました。新たな時代に、私のような頭の硬い骨董はむしろ邪魔なだけ。私のような者は下で国を支え、民をよく治める事を考えるほうが国の為になるのです。その代わりと言ってはなんですが、息子をお願いします」 「分かりました」  心が離れたのではない。それをブラムは示してくれた。もうそれだけでよしとしなければならないだろう。シリルはそれ以上は言わなかった。 「シリル殿下とレヴィン将軍の事を、陛下はご存じなのですか?」 「はい、知っています。僕がレヴィンさんの事を想い、レヴィンさんが僕の事を大切にしてくれること。そこに、恋情があること。全て知って、陛下は僕とレヴィンさんを一緒に旅に出しました。二人でなら、強くあれると」 「大胆な方だ。認めたということなのですね」  溜息をつきながらも、ブラムは咎めるつもりはないようだ。ただ黙って察した。 「殿下、あの男を大切に。それが、長く共にある秘訣です」  突然言われた言葉に、シリルは首を傾げながらも「はい」と答えた。

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