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第132話 突然の嵐(2)

 そう言われ、頭を撫でられるのが少し悔しい。でも、仕方がない。邪魔にならずに安全な場所にいることが一番の助けなのも分かる。そうじゃないと、この人が思う存分戦えないから。  夜がきて、朝がきて、また夜がくる。  野営も少しずつ慣れた。今日は森の中に身を隠しながら過ごす。これもシャスタの皆がいてくれるからできることだ。彼らが交代で見張りをして、何かあったときでも全滅を避けられるようにと少人数ずつグループを作って離れて寝る事を提案してくれた。旅の知恵らしい。  シリルはいつもレヴィンと一緒だった。彼の腕の中で眠るのは心地いい。温かな体に包まれている間が、とても幸せだ。 「どうしたんですか?」 「…ちょっと」 「話してください」 「…ここから少し行った場所なんだよ」 「何がですか?」 「天使の家」  その言葉に、シリルは目を見張って体を起こす。困ったように笑うレヴィンは、少し痛そうだった。 「大丈夫ですか?」 「ん、平気。でも少し、感傷的にもなる」 「コース、少しだけ変えましょうか?」  見なくていいなら、それがいいと思う。心の傷はまだ痛いだろうと思うから。負ったものはあまりに深い傷に見えたから。  だが、柔らかく頭を撫でられて、そのまま引き寄せられて甘くキスをされると、そうした思考は浮いてしまう。軽く絡めた舌が、情事を思い出させて体を熱くする。 「平気。そういえばって、思いだしただけ」 「痛そうです」 「大分ましだよ。もっと辛いと思っていたし、意図的に考えないようにしてた。それが今では、考える事ができるようにまでなった。痛むけれど、乗り越えようとしている証に思えるよ」  フワフワと頭を撫でられ、逞しい腕の中で甘える。この時間が愛しいなんて言ったら、困らせてしまうだろうか。  だが急に、抱き込んだ腕の力が増した。そう思ったのに次の瞬間には、シリルは思い切り脇に放り投げられていた。そして、金属が交差する音がした。  驚いて見れば、レヴィンは知らない人と対峙している。顎のラインで切りそろえた鳶色の髪をした人は、スラリとしなやかに地を蹴っている。 「もう少し呆けていてくれたら、苦しまなかったんだが」 「グラン…」  レヴィンの紫色の瞳が僅かに見開かれる。だが直ぐに標的を見る鋭さを見せた。 「あぁ、その目だ。なんだ、忘れてないじゃないか」  楽しそうな暗殺者が、ペロリと唇を舐めて笑う。そして不意に、シリルを見た。 「あんたに用があるが、その前に旧友と遊びたい。逃げたいなら構わないが、どうせ捕まるんだ。愛しい男の最後を見てからにしろ。別れの時間くらいはとってやる」  ニヤリと笑う暗殺者のそこに、不可視に近いワイヤーが飛ぶ。だが分かっているように、それは黒々とした太い針に止められた。 「させるか!」 「ほぉ、随分と熱が上がっているらしいが…さて、こいよレヴィン」  レヴィンが腕を使い、指を使っている。ワイヤーを使う時の独特の動きなのは分かっている。これに捕らわれない人は今までいなかった。見る事が大変なくらいのそれをすり抜ける事が難しいからだ。  でもグランヴィルはそれを的確にさける。手にした二十センチほどもある、両端の尖った黒い針で絡め、時に飛ばしている。足元や腕を狙って飛ぶそれをレヴィンも避けながら、二人は対峙している。 「離れてたからチョロいかと思えば、流石一番の暗殺者だ」  楽しそうに言うグランヴィルとは違い、レヴィンは言葉数が少ない。額には僅かに汗があるし、ずっとシリルを気にしている。  離れて…誰か呼ばないと…。  せめて誰かに守ってもらわないと。でも、おかしい。これだけ音がしているのに、音が聞こえないほど離れているわけじゃないのに、誰も…。 「まさか…」 「ほぉ、王子様が先に気づいたか」  ニヤリと笑うその笑みに、心臓が痛くなる。まさか、全員既に…。 「殺されてないから安心しろ、シリル」  はっきりとした声が聞こえて、最悪を消してくれる。恐る恐る見ると、レヴィンは確信するように頷いてくれた。 「眠り薬を風に流したんだろ。俺達は標的以外を殺さない。無駄に多くを殺すと面倒だ」 「流石だ、レヴィン。お前はそういうことも考えてここに陣取ったんだろ? 少しだけ高く、風上に」  ハッとして、周囲を見回す。確かにシリル達は一番端にいるし、少し高くなっている。アルクースは危ないからもっと中心にと言っていたけれど、レヴィンは「大丈夫」と言っていた。こういうことも考えていたのか。 「つまり、助けはこない」  ギンッと、嫌な音がする。レヴィンは剣を抜いて、不意に迫ったグランヴィルを受け止めている。だが、力では押されているようだった。 「体力落ちたか?」 「これでもそこそこだっての」 「限界まで体使えば、やれるだろ。その分、おかしくなるが」  ニヤリと笑ったグランヴィルの動きは、明らかにおかしい。まず速さが桁違いになっている。レヴィンは素早いほうだし、体力がないわけじゃない。それでも翻弄されているなんて、見た事がない。  ヒュンと風を切る音がする。するとレヴィンの服が僅かに切れて血を流す。音がするたび、腕、足、体とあちこちに小さな傷を作っている。 「くっ」 「レヴィンさん!」 「くるな!」  思わず駆け寄りたい気持ちを踏み留めて、それでも側を離れられない。剣の柄に手をかけ続けているけれど、意味がないのも分かっている。 「どうした、臆病になったか!」 「っ!」 「化け物の顔を隠して生き続けたお前やフェリスを見ていると、腹が立つ!」 「くっ!」  深く腕に針がめり込む。どこから飛んだか分からないそれは、明確にレヴィンの腕を貫いた。 「レヴィンさん!」  これ以上はダメだった。走るその目の前で黒い筋が二つ、更に光っている。 「うっ!」  両方の足を縫い止めるように貫いた黒い針に、レヴィンは溜まらずに膝をついている。それでも戦う気持ちが強いのは分かった。紫の瞳は死んでいない。でもこれ以上はダメだ。これ以上は!  黒い針を持ったグランヴィルが、それをレヴィンに振り上げる。レヴィンもそれに応じるように手元を繰る。けれど、シリルはその二人の間に割って入った。 「っ!」 「シリル!」  レヴィンの手は止まった。だが、グランヴィルのそれは止まらない。鋭い針が右の腕を上から貫く痛みに、シリルは頭の中が揺れた。  それでも避けなかった。両手を広げてレヴィンを背に立った。 「ほぉ」 「僕を…連れて行くのでしょ? 応じる…だから…」 「そいつを見逃せと?」  冷や汗がドッと吹き出してくるが、それでもシリルは頷いた。痛みに震えてしまっている。それでも倒れられない。 「シリル!」 「このまま連れて行けばいい! この人に、手を出さないで」  グランヴィルは髪と同じ鳶色の瞳をしばし瞬かせると、口元を緩く上げた。まるで、泣き笑うかのように。 「いいだろう」 「グラン!」 「レヴィン、三日時間をやる。そう離れていない場所で待っている。そんなに大事ならこい。俺を殺せたら、好きにしろ」 「グランヴィル!」  腕を、足を貫く針は深く刺さっていて抜けない。シリルは意識が朦朧となりながらも、抱え上げられた事は分かった。  遠ざかる泣き叫ぶような声が聞こえている。意識はまだ少しあるけれど、徐々に分からなくなる。 「お前は、あの男に惚れているんだな」  溢すような言葉は、どこか寂しく悲しげに聞こえる。それが最後の声だった。

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