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第133話 モルモット
【シリル】
目が覚めたのはどこかの廃墟のベッドの上だった。屋根が壊れて明かりが差し込んでいる。そこに丁寧に寝かされていた。
「っ!」
起き上がろうと右手をついて、痛みに転げた。力が入らない。それに、じわりと痛みが走った。
「まだ痛むぞ。随分深く刺したからな」
見れば離れた場所に彼は座っている。鳶色の瞳が興味のあるものを観察するように見ている。
「細い腕でよくやる。度胸だけで殺し合いの中に入るからこうなる」
「…止めたかったので」
「だろうな。あいつのあんな目を見たのは初めてだ」
そう言って、思いだして笑う。その姿はどこかレヴィンにも重なる、少し無邪気な感じのある笑みだった。
「気に入ったのは本当だ。だから猶予をやった。あんたの傷も治療したから、大人しくしていれば塞がる。こんなこと、普段はしないんだぞ?」
なんて、小さな頭を僅かに傾げて言っている。危険な人とはとても思えない、憎めない様子だった。
体をどうにか起こすと、水を手渡される。受け取るように視線を向けたその目に、赤い色が映った。
「怪我、してる」
「ん? あぁ」
何でもないような顔をしているが、血がまだ流れている。腕の切ったような怪我は、簡単に布で縛っただけだ。
「ダメです、もっと強く縛らないと血が…」
「どっちにしても止まらない」
そう言い切った人は、緩く悲しい笑みを浮かべた。
「止まらない?」
「あぁ、止まらない。どこを縛ろうがな。ほら、高い部分でも縛ってるだろ?」
言われてみればちゃんと止血点を縛っている。それでも血は止まらない。そんなに大きな傷ではないのに、まだ滲んだものが白い布を汚している。
「止まらないんだよ、この体は。もうダメなんだ」
「どういう、事ですか?」
喉の奥が鳴る。怖いのだ、何かが。この人とレヴィンとの共通点を知るからこそ、何かが。
グランヴィルはシリルを見つめ、ベッドの脇に腰を落ち着けた。自分を襲った殺し屋だというのに、シリルは不思議とこの人が怖くなかった。
「俺達の事は、知っているんだな」
「はい」
「俺達の命が他より短いことは、知っているか?」
「え?」
静かに吹き込まれる事に、シリルは目を見開いて首を横に振った。
知らない、そんな事。過去を話してくれたけれど、そんな事は一言だって…。
でも、そこかしこに散らばっていた。『人体実験』という言葉。
「まさ…か…」
「思い当たるのか」
「だって、優秀な暗殺者だからこそ薬の実験には!」
「それは微妙にずれている。優秀だったのは暗殺だけじゃない。薬の適合者としてもだ」
痛む心臓を握るように服を抱く。じわりと傷から血が滲んでも、今はちっとも痛くはなかった。
「俺達に投与されていたのは、傷の回復を早くする薬だ」
グランヴィルは静かに話始める。シリルはそれを、胸の痛い思いで聞いていた。
「詳しくは知らない。だが大抵の子供は投与されると血が止まらなくなって死んだ。傷からじゃない。全身から血が滲んで、穴って穴から垂れ流しだ。あれは流石にしんどい」
思いだして辟易とした様子だ。だが、この程度なのだろう。散々見てきた人の抱く恐怖は、かなり麻痺しているようだった。
「ある程度の改良ができた薬は、俺達に投与された。激痛にのたうったが、命までは取られなかった。そして数日後には、バカみたいに早く走ったりできるようになった」
「そうやって、無理矢理体を作り替えられた」と、グランヴィルは静かに笑う。諦めるように、小さく低く。
「六枚の羽根は六回の投薬に成功した証だ。俺達の傷は恐ろしい速さで治る。レヴィンもそうだろ?」
「あ…」
言われると、そうかもしれない。早く治る事を喜んだし、レヴィンは「ロアール医師の腕がいいから」なんて言っていた。けれどそれにしてもおかしいと思わなければいけなかったんだ。
「だが、こんなのが普通の人間であるわけがない。傷の回復を早くさせるのは、命の前借りだ」
「命の、前借り?」
「傷つけば勝手に早く治す。だが徐々にガタがくる。こうして、血が止まらなくなってくる」
未だ滲むその赤は、この人の命が溢れ出ている。そう思うと怖くて、悲しくて、シリルは咄嗟に傷を布で抑えた。それでも、新たな布も染まっていく。
「くくっ」と、低く楽しげな声がして頭をポンポンと撫でられる。ダメになっていくのに、まるで人ごとのようだ。
「どうして笑うんです!」
「いや、あまりに可愛い反応をするから。優しいんだな、あんたは」
「優しいなんて、そんな! だって…だって…」
同じだ、レヴィンと。大事な人と同じ顔をする。表情は違うけれど、感じる痛みや悲しさは同じだ。
「俺の体はもうだめだ。多分、一年も生きられない。レヴィンはまだ無事だな?」
「…多分」
「それならいい。あんたも、これ以上あいつを使うなよ」
そう言いながら、またポンポンと頭を撫でる。シリルはこの人の心が分からない。攫った人なのに、こんなに優しいのだから。
「グランさん…」
「レヴィンがきたら、一緒に帰りな。俺は疲れたから、あいつに始末を頼みたかった。報酬もあるからって言ってくれ」
「始末って!」
「…生きたかっただけだ。拾った人間が極悪人でも、結局ここから足を洗えなかったとしても、生きてみたかった。何かを…人らしいものを見つけたかった」
グランヴィルは小さく言って笑う。また、寂しそうに。柔らかく。
「終わりの見えた命を感じて、最後に復讐してやろうと思ってな。俺を結局使い捨てにする奴の末路を直接見る事はできないが、あの世は見通しがいいだろうし、高みの見物をしようと思う。あんたなら、それができるだろう」
「…どうしてもっと、穏やかに出来なかったのですか?」
「昨日の事か?」
「はい」
死にゆく身を知って、諦めていると言って、憎い相手に復讐をすると言う人の、昨日のあれは腑に落ちない。
言えば複雑な表情をしたグランヴィルの、苦く悲しく寂しく嬉しい笑みを見た。
「嫉妬した。同じ天使だったはずなのに、あいつは沢山の宝物を手にした。それが羨ましかったのと……始末を頼むんだから、恨んでもらう方が楽だからな」
「レヴィンさんにこれ以上人殺しなんて…友達を殺させる事なんてさせたくありません」
悲しむのが分かっている。優しくて傷つきやすい人だから、それでも平気な顔をする人だから。
真剣な鳶色の瞳が見下ろし、少し離れる。そして、無造作に置いてあったシリルの剣を前に置いた。
「それなら、あんたが始末をつけてくれ」
「え?」
「あいつにさせられないなら、あんたしかいない。流石にここまで生にしがみついたから、俺は自分を殺せなかった。これでも悩んで、あいつを選んだんだ」
「グランさん…」
「土産は懐かしい我が家の底に眠ってる。俺は間に合わなかったが、あいつやフェリスならまだ間に合うかもしれない」
「何の事ですか?」
「行けば分かるさ」
にっこりと笑った人は、不意に顔を赤らめる。そしてぼそりと「友…か」と呟いた。とても気恥ずかしそうにするその姿は、とても悲しく映り込んだ。
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