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第135話 友の為に(1)

【シリル】  シリルを心配していたファルハード達と合流したはいいが、格好があんまりだった。とにかく頭から血を被っていたから、それはもう大騒ぎだ。  上手く話せないシリルに替わってレヴィンが簡単な状況を説明すると、アデルを含めて皆が複雑な顔をした。 「グランヴィルの残した土産って、どこにあるんだ?」 「懐かしい我が家の底だと言っていました」 「天使の家か」  レヴィンは素早く馬首を返す。シリルもその前に乗せてもらった。後ろをシャスタの人々とアデルがついてくる。そうして一時間もしないうちに、全員が天使の家へと辿り着いた。  石造りの建物は煤けて崩れている。瓦礫のそこは痕跡だけを残していた。 「ここが…」  レヴィン、フェリス、グランヴィル。そして多くの子供の未来を奪った場所。まだ深夜のその場所は、言いようのない冷たさがあった。  レヴィンが進み出て、瓦礫に埋もれたその中から鉄の扉を引き開けた。地下へと続く階段は深くまで続いている。  ファルハードと多くのシャスタ族を表に残し、レヴィンを先頭にシリル、アデル、アルクースが中へと入って行った。  とても寒い空間だ。思わず身震いすると、レヴィンがそっと自分の上着をきせかけた。 「あと少しだから」  そう言った表情は、やはりとても強ばっていた。  程なく下まで辿り着く。石を積み上げたここは、本当に牢獄のようだ。通路の松明に明かりを灯しながら歩き続けている。 「これは…また…」 「うん…」  アデルは周囲を見ながら足を鈍らせる。アルクースも気持ちは同じようだった。 「ここだ」  そう言ってレヴィンが立ち止まったのは、本当に小さな牢獄だった。  格子戸は開け放たれたまま、布団は四組ある。だがその一つは丁寧に畳まれたまま。見上げた天井は到底登れないほどに高いのに、明かり取りの窓にさえ格子がはまっている。 「ここが、俺達の家だ」  大きくなったレヴィンは少し身を屈めるようにして入らなければならなかった。シリルもその後に続いて入る。小さな部屋は、とても寂しかった。 「あった、これだな」  レヴィンは探していた物を見つけたのか、床に膝をつけている。そこの床は僅かに割れていた。指をかけて持ち上げると床の石が削ってあって、そこに色んな物が入っていた。  小さなピン、ボタン一つ、銀貨一枚、何かの紐の一握り。 「これ…」 「グランは時々、ターゲットの持ち物をこっそり持ってきてここに隠してた」  一瞬、伸ばした手が引っ込んだ。殺された人の遺留品だと思うと、少し怖かった。 「何の意味があるんだって、言ったんだ。バレたら折檻だし。そしたらあいつ、なんとなくだって。なんとなく、持っていなくちゃいけない気がしたってさ」  シリルは引っ込めた手を躊躇わずに伸ばした。  どういう意味か分からないまま、殺した人の物を持ち帰ったグランヴィルの中にあったのは、懺悔と弔いだったのではないか。そんな風に思えたから。 「あいつが一番、適正なかったんだよ」 「え?」 「三人の中でな。甘いんだよ、あいつ。チビが死んでも、最後まで泣いてた。可哀想だって、泣いたんだ。俺はそんな気持ち捨てろって言ったんだけど、捨てられないって」  沢山、苦しんだ人だ。本当に、沢山。 「次の世は、温かな場所に。僕にはそう願うことしかできないけれど、祈り続けるよ」  その前にはまず、この国を正さないと。平和な世界にしていかないと。やれる全ての事をしないと。 「これだな…」  奥底から、レヴィンは鍵を一つ取り出した。小さなそれを手に取ったレヴィンは、それがどこの鍵か直ぐに分かったようだった。 「研究室奥の隠し部屋だ。行くぞ」  立ち上がり、再び暗い廊下を歩き始めたレヴィンはすぐに目的の部屋を見つける。その奥にある、一見壁にしか見えないそこに鍵穴を差し込む。  鍵が開き、横に引き開けていく。現れたのは、無数の棚とそこに陳列された色々な遺留品と書類の数々だった。 「これは凄い!」  中に入ったアデルは目を輝かせた。そこにはこれまでロムレットが関わった多くの暗殺の書類と、殺された人の遺留品がセットになって置いてあった。 「あいつ、手癖の悪さを最大限使ったな」  中を確かめながらレヴィンも感心している。百を超えるのではないかというそれらの全てが、宰相ロムレットを処刑するに十分な物だ。  そしてシリルは見つけていた。小さな箱の蓋を開ける。そこには確かに、ルーカスの名が書いてある親書と、それを運んだ使者の衣服とお守りがある。  血のついた生々しいそれでくるむように、事の詳細を書き記したグランヴィルの文字と、ロムレットの屋敷のどこに証拠を仕込んだかまで書き込まれていた。  そして一言、手紙が添えてあった。 『これを読むのがレヴィンか、あるいは他の誰かか。俺が知る事はないだろうが、託した奴に頼みたい。これを持って、ユリエル陛下の元へ。ロムレット宰相を地獄に送る、これが俺の最後の剣だ』 「グランさん…」  この手で奪った命の熱が、不意に蘇った気がした。触れた人の温もりを思いだして、涙が溢れてきた。助けてあげたかった…出来なかった。  不意に、ポンと頭に手が乗った。レヴィンが複雑な顔で手紙を見ている。 「不器用だろ、あいつ」  泣きながら頷くしかない。頭を撫でる手があまりに優しいから。 「やるぞ、シリル。これが俺が友にしてやれる、弔いだ」 「はい」  目元を拭い、箱を大事に抱える。一番大事な親書だけは胸の隠しにしまった。  証拠を運び出すには人手も時間もかかる。一度上に戻って運びだそうと言う事になり、四人は上へと戻った。そして暗がりから出た瞬間に、明かりに目がくらんだ。  多くの松明が囲うようにしている。その数に思わず尻込みしてしまった。 「ファルハードさん!」 「敵襲だ! 悪い、数が多すぎて睨み合いが精々だ」  建物をぐるりと囲うその中で、前に立った人物が口元に笑みを浮かべて近づいてきた。 「…叔父上」 「やぁ、シリル。大きくなって」  柔和な笑みを浮かべた人は、だがその笑みに嘘を感じる。城では随分と可愛がってくれた人は、その仮面を脱いだように醜悪に見えた。 「おや、それは…」  シリルが抱える箱を見た宰相ロムレットの笑みが、更に深くなる。そしてまるで犬でも呼ぶように、シリルへと手を伸ばした。 「その箱を持っておいで、シリル。そうしたら、お前の大切な者を見逃してやってもいいよ」 「なんですって?」  抱えた箱を抱きしめる。これは大切なものだ。グランヴィルが託した、大事なものなんだ。 「…貴方は、何も思わないのですか」  苦しい。そして、憎い。この人がグランヴィルを苦しめ、使い捨てたのに。あの人だってダレンのような人が見つけて大事にしてくれていたら、今もまだどこかで笑っていられたのに。生きていられたのに…。  憎しみが膨らみ、睨み付ける。これを許す心はもうない。何もできないなんて情けない事を言う心もない。たとえ力がなくとも、絞り出してでも抗うつもりだ。 「グランさんを使い捨てたんですよ! 人として、そのような行いを恥はしないのですか!」 「恥じる? なぜそのような事を思わなければならないのだい?」 「なぜ…?」 「まぁ、拾ったとしてもあれは不出来だったが、役には立った。どちらかと言えば、そちらの彼が欲しかったがね」  ニヤリと笑う瞳がレヴィンを見る。不愉快な視線に、シリルの中に暗い感情が宿った。許せない、憎い、絶対に許さない。 「まぁ、いいですよ今更。さぁ、国に弓引く者達を捕らえよ! シリル殿下以外は生死を問わない!」  背後に控える多くの兵が雪崩れ込むように迫ってくる。全員が身構えた。  レヴィンがシリルを押して背に庇う。その背後でシリルも剣を抜いた。自分だけでも守らないと、レヴィンが動けない。  本当は戦って欲しくない。この人も、いつかグランヴィルのように血が止まらなくなって死んでしまう。それがいつか分からない。何年も後かもしれないし、明日かもしれないし、今かもしれないのだ。 「来るぞ!」  もう、剣がすぐそこだ。でも、ここを落とされるわけにはいかない。全員が決死の思いで身構えた。  その夜に、突如ラッパの音が響いた。

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