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第136話 友の為に(2)
全員が。ロムレットの私兵も、シリル達もその音に手を止め視線を向けた。
ロムレットの兵を更にぐるりと囲むように、国軍の軍旗がはためいている。数は五百を超えているだろうか。その先頭に、白いマントを翻し、銀の髪を揺らした人が立った。
「兄上…」
救いがある。先頭に立つユリエルの隣にはアビーとクレメンスがいる。多くのかがり火に、ロムレットの私兵は明らかに戦意を失った。
「間に合ったようでよろしゅうございました、シリル殿下」
「クレメンスさん…」
「やっと掛かりましたね、苦労する」
苦笑したアビーとクレメンス。その更に前に立ったユリエルは、ジッとロムレットを見下ろしていた。
「なぜ…」
「甘く見られたものだ、ロムレット。私がお前を注視していないとでも?」
「バカな! あんな見え透いたお前の間者など…!」
「あの間者は私のものだよ、宰相閣下。一番下手くそをつけてやった」
実に楽しそうにクレメンスが笑う。策にはまってくれたことが心底嬉しいと言わんばかりだった。
「フェリスを忍ばせてたのか」
「じゃあ、他の間者は…」
「目くらましだろうな。フェリス一人で十分だろうが、危険を減らしたんだろう」
レヴィンは相変わらず睨み付けたまま、そういう。ファルハード達も先ほどの危機感はなくなった。目に見えて、形勢は逆転した。
「さて、戦うならば応じよう。既にお前の罪は明らかなものだ。死地がここか、絞首台の上かの違いでしかない。さぁ、どうする!」
ユリエルの最後の声は王の声だ。心の折れた者をひれ伏す、圧倒的な迫力と気迫の声だ。それに、ロムレットの私兵は皆怖じ気づいて剣を下げてしまう。数としても戦えない。そこで戦うほどの忠義は持ち合わせていなかったのだ。
宰相ロムレット・ファルハンの、これが最後だった。
「兄上!」
グランヴィルの所にいたはずのユリエルがいる。その側に寄ったシリルを、ユリエルは穏やかに迎える。レヴィン、ファルハード、アルクースも同様だ。
「謀ってたのか」
「えぇ。フェリスが来てくれたのが大きかった。彼女をロムレットの所に忍ばせ、アビーの隊にクレメンスをつけてロムレットを見張ったのです」
「前線が止まっていなければやれませんでしたがね」
「実に楽しい潜伏でしたよ」
アビーは実に楽しそうな顔をしたが、クレメンスは苦労が滲む顔をしている。
「奴らが私兵を動かしたので、その後ろからこっそりとついていったのですが。間に合ってほっとしております」
腰に手を当て、亜麻色の髪を揺らした人は満足な顔をしていた。
そしてその目が、シリルへと向けられる。
「一ヶ月と経っておりませんが、随分と逞しくなられました、シリル様」
「クレメンス」
「これではもう、子供だなどと言えませんね。戦う人の目をしていらっしゃる。実に勇ましい姿でしたよ」
彼なりの賞賛が嬉しく誇らしい。胸を張って、シリルは丁寧に礼をした。
「ロムレットの連行と、証拠物件の運び出しはこちらがやりましょう。全て王都にお運びいたします。陛下は、国の英雄を弔ってあげてください」
「ファルハード達はこのまま、レヴィンと陛下と共に王都へ行ってくれ。そこで落ち合おう」
全員が動き出す。その中で、シリルはそっとユリエルの手に隠しにしまっていた親書を渡した。
「…これが」
驚いたジェードの瞳が、僅かに悲しみも含んで緩く細くなる。それを見上げ、シリルもただ頷いた。
「お探しの物を見つけました。グランさんが、守っていてくれました」
これを発表する。勢力を強めたニューブラッドはこの一件で力を完全に失うだろう。オールドブラッドとその次代が力を強め始めた。日和見を決め込んでいた臣も、この勢いに抗うことはできないだろう。
「国王陛下、どうか和平を。これ以上の争いは、苦しいばかりです。どうか、これ以上悲しみ苦しむ人を産まない為に、貴方の代で平和な世を築いてください。微力ではありますが、私も尽力いたします。どうか…」
「無論、そのつもりです」
臣の礼を兄であるユリエルにしたことはない。受けてくれるかも分からなかったし、自分はまだそこに名を記すほどの力を感じられなかったから。
だが今は、持てる力の全てを預けたいと思う。そして願う。次の世で、グランヴィルが楽しそうに笑っていてくれることを。
真っ直ぐな声で応えたユリエルが、王の姿勢でシリルの言葉に応える。この光景を、周囲の者も穏やかに見つめ、静かに頷いた。
その後、アデルが緊張にガチガチになりながら臣下の礼をユリエルに示し、ユリエルもそれを受けると一団は彼の家へと向かった。既に空は薄らと白み、柔らかな朝の光を運び始めている。
屋根も一部が崩れ、リビングと寝室くらいしかなかった小さな家の前で、綺麗に清められ真新しい衣服を着て横たわるグランヴィルに、シリルは手を合わせた。
「とりあえず、弔いをしましょう。棺は用意してやれなかったけど、木は組んどいたわ」
「火葬するのですか?」
フェリスは静かに頷いた。
「墓の場所、選んであげたいのよ。持ち運ぶにも骨だけのほうが小さくなるし」
「そうですか…」
くるんだシーツの上に、野花を沢山に敷き詰めた。手にはコインを握らせて、唇に水を含ませて、全員が一人ずつ、別れの祈りを捧げる。
シリルはレヴィンと並んで、側に膝をついた。やっぱり、サッパリしたような笑みを浮かべている。綺麗に血を拭われた人は、穏やかだった。
「ロムレットは捕らえました。貴方の意志は、受け取りました。貴方が次に生まれたときには、笑顔の多い国にしてみせます」
冷たくなってしまった手を温めるように手を重ねる。この熱が移る事がないのは分かっている。けれど、そうせずにはいられない。
その上から、更に手が重なった。
「俺も、いつまでやれるか分からない。お前と同じ事が、今日起こるか、明日起こるかと思うと不安でたまらない。幸せだってのも、違う不安がこみ上げるばかりだが」
「レヴィンさん…」
「それでも、可能な限りは抗って生きると決めた。死にたくない理由は十分だ。ほんの少し時間もらうが、そっち行ったら酒でも飲もう」
「そいつ、酒飲めないわよ」
クスクスと笑って、フェリスが近づいてくる。そして、滑らかな額にキスをした。
「体に合わないみたいだわ」
「そうなのか?」
「どこまでもお子様よね。オムライスに、ハンバーグに。ケーキなんてすっごく喜んで。二十六よ? まったく、色気もくそもない男で…」
ポタリと、フェリスの瞳から涙が落ちる。それを、レヴィンが肩を支えてやっている。
「もっと、いい生き方あったのに、バカな奴。本当に…どこまで手間かけさせるのよ…」
「フェリス…」
「わりと直ぐよ。私たちには、そんなに時間は残ってない。長生きなんて望めないんだから、墓穴掘って待っておくわよ。寂しいなんて思えないくらい、案外あっという間かもしれない。だから、地獄で待ってなさい」
「それがどうして、そいつの願いってのはそんな事じゃなさそうだぜ、お二人さん」
突然背後から、なんとも似つかわしくない声がかかった。シリルを含め三人が驚いて振り向くと、欠伸をかみ殺しながらロアールが近づいてきた。
「ロアール医師!」
「よっ、シリル殿下。随分逞しく精悍になったね」
ヘラッと笑いながら近づいてくるロアールの手には、いくつかの紙が握られている。そしてそれを、レヴィンとフェリスの前に出した。
「これって!」
「嘘…消されたと思って探してもいなかったのに…」
何が書いてあるのか分からないが、レヴィンとフェリス、そしてグランヴィルの名前を見つける事が出来た。他は全く分からないままだ。
「どうやらお前らへの特別な置き土産らしいぞ」
「どこに…」
「あの地下の、お前らの部屋の中だ。それぞれの布団の下にも不自然な場所を見つけてな。そこにあった」
「あの、これは?」
「こいつらに投与された薬の成分や、原料の名前。それに関わる研究の資料一式だ」
「あの…」
「こいつがあれば、こいつらの治療がしてやれる。天寿の全うは難しくても、数年で死ぬなんて事にはさせん。医者として、これが俺の仕事だ」
シリルはレヴィンを勢いよく見る。レヴィンの紫色の瞳が、僅かに涙に濡れていた。
「感謝しろよ、そいつに。そんでもって、できるだけじじいになって会いに行け。それが、そいつの願いだ」
「グラン…」
二人の友は改めて、グランの体を抱いて泣いた。
送り出す炎はゆっくりと朝の光に包まれながら揺らめいて、その日の昼に消えた。残った骨を、ユリエルが用意してくれた綺麗な壺の中に全員で拾い集めて納めると、それを布に包んだフェリスが頭を下げた。
「陛下、私のお願い聞いてくださる?」
「なんでしょうか」
「全てが終わった時の私のご褒美。天使の家の跡地に、教会を建ててくださいな」
「フェリス?」
レヴィンまでもが驚いた顔をしている。ただユリエルだけは、静かな目をしていた。
「いいのですか?」
「えぇ。あそこで、恵まれない子を育てこいつを弔います。私たちにとっては地獄のような場所だけれど、これからは違うわ。こいつにとっても、私にとっても、そしてレヴィン、あんたにとってもあそこは確かに家ではあったのよ」
レヴィンの手に力が入る。シリルはその手に手を添えて、そっと撫でた。
「悪い思い出ばかりの家なんて、嫌だもの。後付けだけど、いい場所にするわ」
「分かりました。そのように手配しましょう」
確かに頷いたユリエルに、フェリスは頷いている。
太陽は高く昇り、集う人々を次へと促していた。
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