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第157話 潜入
【ヨハン】
久々にタニスとぶつかった日の夜、ヨハンはこっそりとバートラムの屋敷周辺を探っていた。
近い町に小間使いの少年として紛れ、それとなく生活をしつつ監視していたのだ。
任務は、バートラムが動いたら内部に潜入し、所望の物のありかを確かめろ。だが、持ち出す必要はない。
さっさと持ち出せばいいのにと思うが、おそらくこっそりかすめ取ったんじゃ駄目なんだろう。まったく、面倒な事だと身軽なヨハンは考える。偉くなると苦労が多い事を、乳兄弟から学び取っている。
実際に動きがあったのは、数日がたってから。突如人が集まってきたのを見て、何かあっただろうとルーカスに向かって鳥を飛ばしておいた。
そうして見守って数刻、バートラム自身を先頭にして千ほどの部隊がどこかへ向かって走って行くのを見守った。
「なんだよ、あれ…何?」
戦場になんて立たないバートラムが部隊を指揮する姿なんて、生きてる間見る事はないだろうと思っていただけに驚いた。呆然と見送って、屋敷を見る。そこにはまだ人はいるだろうが、明らかに減った様子がある。これなら潜入可能だ。
ヨハンは予めいくつか定めてあった潜入ポイントから中へと潜り込んだ。
内部はやはり人が少ない。おそらく半分くらいになっている。しかも、いつも指揮を執る人間がいないせいで上手く機能していない。
チャーンス!
するりと中へと潜入したヨハンは、そのまま隙を見て屋敷の内部へと潜り込み、一気にバートラムの部屋へと向かった。
さすがは小心者バートラム、守りだけは鉄壁だった。主もないのに相も変わらず警備させていた二人を上手く眠らせたヨハンは、鍵穴を細い針金のような道具で素早く開けると中に入り、内側から鍵をかけた。
そうして見回した部屋は豪奢で重厚。贅沢で見栄の張ったものだった。
「うへぇ、あのおっさんこういう趣味なんだ。悪趣味」
辟易と呟き、それでも仕事はする。
小心者は絶対に、まずい物を手元から離さない。隠したい物ほど手元に置くものだ。
そう思って引き出しや本棚、机の裏やベッドの下まで確かめたのだが、見つける事ができない。おそらくここで間違いないと思うのだが。
首を捻り、考えていたヨハンはふと、不自然にベッドの枕元が出っ張っている事に気づいた。近づいて、枕をどかしてみるとそこに、レバーが一つある。それを引いたヨハンは、ポコンと床の一部が浮き上がったのを見た。
「こってるな…」
浮いた床をどかし、下に続く階段を降りていく。途中ランプに明かりを灯して向かった先で、ヨハンは口元を覆った。
酷い臭いがしている。多分、三階分くらいは下ったと思うそこは、地下牢のような場所だった。
冷たい石造りの牢獄の松明に火を灯せば、よりしっかりと現実が見える。暗殺なんて事も行うヨハンから見ても、ここは口の中が酸っぱくなるような場所だった。
「あの野郎…ひでぇ…」
牢獄に繋がれていたのだろう人の、無残な体はそのままだ。骨と皮だけになったそれは、おそらくそうして放置されたのだろう。
その中を口を押さえながらヨハンは進んだ。そして一番奥の牢獄に、それを見た。
青い牧師服、黄色の帯、首からは引きちぎれた旅人のお守りが、その玉をバラバラと落としている。髪の色も、頭蓋に残っていた数本からブルネットだろうと思えた。
それは腹に二本の剣を突き立てられ、手に必死に何かを握っている。それは確かに、翡翠のお守りなのだろう。
思わず、手を合わせてしまった。
ヨハンは暗殺者であって、拷問官ではない。これを見ると、よほど自分の方が慈悲があると思えてならない。暗殺者はターゲットを弄ぶような事はしない。当人の癖や人格もあるのだろうが、少なくともヨハンは一発で、苦しみが長くないように殺してやる。目の前にいる彼は、一体どれほどに苦しかったのだろう。
床に落ちた小さな玉の一つを手にする。そこには確かに小さいながらもタニス王家の紋章が入っている。とても、一介の神官程度が持てる物ではない。それを手にし、ヨハンはそっとこの場を離れた。
町に戻る頃には、日は茜になっていた。なんとも胸くその悪い思いで戻ってみれば、その町の入り口に知った顔があって、ヨハンは目を見開いた。
「陛下!」
「ヨハン、ご苦労だった」
王としての衣服を纏ったルーカスが、ヨハンを待っていたかのように笑みを見せ、近づいてくる。駆け寄り、膝を折ったヨハンに苦笑したルーカスにそのまま連れ出されたヨハンは、人目のない場所でその足を止めた。
「掴めたか?」
「はい」
ヨハンは一つ持ってきたお守りの玉をルーカスに差し出した。血だまりの床に転がったのだろうそれは、所々が赤黒くなっている。だが確かに、出所が分かる刻印がある。
手にしたルーカスの、悲しみと憎しみの入り交じる金の瞳。手にしたそれを握り込んだ人の、怒りに燃える瞳を見るのはどこか苦しくもあった。
「本体は、言われた通りそのままにしてあります。隠し通路の場所はバートラムの寝所、ベッドの枕元のレバーです。元通りにしてきました」
「ご苦労だった。ヨハン、そのままついてきてくれるか」
「はい」
歩き出すその背を、ヨハンは追った。怒り、憎しみ、そして決意を背負う、王の背を。
町に戻れば二百ほどのルルエ騎兵隊がいた。そしてその中に、明らかにそれとは違う老人の姿を見つけたヨハンはその場で動けなくなった。
細く皺のある老人は、そのくせ瞳だけはギラギラと光っている。年齢から目の周りの肉が薄いから余計に、その瞳の光ばかりが目立つのだ。
ルルエ聖教会教皇アンブローズ。おおよそこのような場所には似つかわしくない人物だ。
その男は白い衣服に身を固め、ニッとルーカスを見て嫌な笑みを浮かべた。
「我らが王よ、我が部下になんぞ謀反の疑いありとは聞き捨てなりませんな」
開口一番、しわがれた声が言う。それに、ルーカスは表情を変えない。だがその体からは深い怒りの炎が見える。戦場でも見る事が稀な、この人の本気の殺意だ。
「これより改めれば分かる事だ」
「それで、何も出ぬ時にはいかがいたします」
「お前の好きにしろ」
「陛下!」
思わぬ言葉にヨハンは焦り、アンブローズはニヤリと口の端を上げた。
これで分かった、教皇という立場の男がこんな似合わない場所にいる理由を。ルーカスを引きずり下ろしにきたのだ。
「直ぐに隊を動かす! 準備しろ!」
「はっ!」
部隊を預かる者が勢いよく返事を返し、ルーカスは赤い世界に黒いマントを翻す。馬を繰り、向かう先はバートラムの屋敷だった。
主不在のバートラム邸は、突然の来訪者にあたふたしている。だがルーカスは毅然とした態度で通すよう要求した。
「聖教騎士団長バートラム殿に謀反の疑いあり。国の王として、改めに来た。直ちに開門し、取り調べに協力をしろ」
「ですが、現在バートラム様は不在でございます。勝手をするわけには…」
言いよどむ門番の前に出たのは、意外にもアンブローズであった。
「よい、通せ」
「ですが!」
「よいと言っている! それとも、何かまずい事でもあるのか」
「いいえ…」
気圧されながらも門を開けた兵士は、明らかに慌てていた。だがその門番にもルーカスの兵が見張りについたために、下手な事ができなくなっている。
ヨハンは知った。アンブローズを釣った理由はこれだ。自らの進退を餌に、難関の門を突破する。それと同時に、見せつけるためだろう。動かぬ証拠を、この老人に。
「全ての兵をホールに集め監視をしろ! 不審な動きをする者は容赦なく拘束していい!」
「「はっ!」」
二十人程度の兵士が動き、直ぐに屋敷中の者が集められる。その数は明らかに少ない。それらを兵に見張らせたまま、約百人程度を連れた状態で、ルーカスは一階から部屋を改めていった。
執務室や、物品庫。それらの部屋を改めていくが当然見つからない。付き従うアンブローズの口元の笑みが深くなっていく。そのまま、足は二階へと向かい、そしてバートラムの私室へと向かった。
兵が手分けをして室内を調べている。ルーカスは戸口に立ち、隣にはアンブローズが立っている。
「まったく、とんだ言いがかりですな陛下。バートラムは我が教会の立派な剣。神にその身を捧げた男です。そのような者が、他国の使者を殺したなどととんでもない嫌疑をかけられたものです」
ほくそ笑むアンブローズは自身の勝ちを確信しているのだろう。ただ静かに全てを見ている。おそらくアンブローズは自信があるのだろう、使者の痕跡などないと。
確かにあの使者は、話に聞いた親書は持っていなかった。既に処分されたのかもしれない。だが、ここで何が起こったのか明確に分かる痕跡は残っている。
ヨハンはベッドに近づき、その周囲の布団やシーツをひっくり返す。そしてそこにあるレバーを、他の兵士も見つけて引き上げた。
ポコンと床板が浮き上がるのを、驚いた顔で見るアンブローズはいっそ間抜けだった。ヨハンはその床板をずらしていく。現れた階段は人が二人並んで歩ける程度の幅だ。
「隠し通路のようだ。アンブローズ殿、どうされた」
顔色を変えた老人に、ルーカスはニヤリと笑う。こんな表情など似合わない人の、それは鋭い勝機の笑み。一方のアンブローズは形勢不利を予想したのだろう。忌々しげに唇を歪めた。
「さぁ、行こうか」
ランプに明かりをつけたヨハンの直ぐ後ろをルーカスが進み、その後ろをアンブローズが行く。階段は途中いくつか折れながらどんどん下っていく。
徐々に寒くなる空気に、なんとも言えない腐臭が混じり数人の兵が口元を抑えた。アンブローズも口元を袖で抑えて顔を背けている。
やがて階段を降りきり、そこにある松明にヨハンは火をつけていく。そうして現れた光景に、ルーカスですらも目を見張り、怒りに震えていた。
何度見ても胸くそが悪い。手に鎖をつけたまま、事切れたのだろう小さな体。
のたうち、苦しみの果てだったのだろう他国の衣服を纏った者。備え付けた粗末なベッドの上に転がったそれは、衣服すらも纏ってはいない。
拷問と、陵辱の見えるそれはここに引きずり込まれた者の末路だ。その出生も、既に纏う物でしか判断ができない。纏わぬ者は、どこの国の者かすらも分からない。
「これは、酷い…」
追随した兵があまりの事に口元を覆い、顔色を青くして呟く。その中を、ルーカスは奥へと進んだ。そして、それを見つけた。
青い牧師服に、黄色の帯のそれは人の形を留めてあった。だがその顔がどんなものだったのかは、もう分からない。その者の、崩れた手に触れたルーカスはそっと握られた物を手にした。
「タニス王家からの使者で、間違いないな」
翡翠のお守りには、沢山の血がこびりついていた。だが確かに、タニス王家の紋章が見える。使者はそれを強く握り、事切れたのだ。
燃えるような瞳だ。膨れるように憎しみが、怒りが溢れ出る。悲しみと、慟哭が包んでいく。それを側でみるヨハンは、それでも冷静であろうとするルーカスを見つめるしか出来なかった。
「アンブローズ殿、もはやバートラム殿の嫌疑は明らか。こちらが探していたタニスの使者と、特徴は同じだ。何よりもこのお守りにはタニス王家の紋章が入っている。小さな玉の一つ一つにもだ」
アンブローズは震えていた。恐ろしさからではないだろう。怒りにだ。
「残念な事だが、バートラム殿を取り押さえて国家への謀反の疑いで裁判にかけざるをえない。この使者が持っていたというタニス王からの親書の行方も、分からないままだ。話を聞く必要がある」
「…致し方ありませんな」
低い老人の声からは、何の感情も見えない。哀れなバートラムはおそらく切り捨てられただろう。
「ここにいる全ての者を運び出し、合葬にて葬る。上にいる屋敷の者も取り調べろ」
「はい!」
一番後ろにいた兵が数人上へと上がっていく。アンブローズもまた、上へと向かっていく。
ルーカスだけは目の前の使者だった者を見つめ、そっとそこに手を添えた。
「すまない、無能な王で。救ってやれなかった」
苦しみを絞るような低い声を、ヨハンは聞いている。震える背の、その先の表情は見ないようにした。優しい王への、それが家臣としての務めだと思ったから。
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