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第158話 教会包囲戦
【ルーカス】
多くの者が証拠を運び出す前にやることがある。絵師を呼び、証拠となる素描を書かせそこに兵士も数人が同席し、必要な特徴などを書き記していく。同時に聖教会の兵士は縛り上げ、家の者は聴取して屋敷の中を調べていく。
その間に、アンブローズは帰らせた。これ以上あれを見ていると、怒りのままに切り捨ててしまいそうだった。
ある程度の予想はしていた。おそらく死んでいるだろうと。だが、ここまで酷い死に方を…死して更なる辱めを受けているとは思わなかったのだ。
弔われもせず、皆苦しかっただろう。祈りの言葉も手向けられず、遺体まで晒されれば成仏などできない。そうした魂は後に悪鬼となって彷徨うと言われている。
「ルーカス様…」
ヨハンが背後でなんとも言えない顔をしている。ルーカスはそちらへと視線を向け、努めて穏やかな顔をした。
「ヨハン、頼まれてくれ」
「なんでも」
「バートラムの子と妻を保護しろ。丁重に頼む」
「保護? 捕縛ではなくて?」
「子や妻に負わせるつもりはない。確か子はまだ幼いはずだ。それにアンブローズの事だ、きっとそちらへと手を伸ばす。人質にされ、バートラムの口を閉ざさせる訳にはいかない」
ヨハンは心得たように動き出していく。それを見つめ、ルーカスは騒然とする屋敷を見た。
「ルーカス様」
駆け寄ってくる若い兵が丁寧に頭を下げる。それに鷹揚に答えたルーカスに、兵は伝えた。
「屋敷の執事長が、ルーカス様に直接お話したい事があるそうですが」
「…分かった、行こう」
頷いたルーカスは、兵の案内のままその執事が待つという部屋へと向かった。
通された部屋はおそらく執事本人の私室だろう。静かに座っていた老齢の男性は、年の頃七十が近そうな容貌をしていた。だが背はしっかりと伸び、瞳は未だに鋭い。白髪は後ろへときっちり撫でつけられていた。
「国王陛下、お目にかかれて光栄です。この屋敷の執事をしております、ローマンと申します」
ルーカスは頷き、ローマンの対面に座った。
「話とは、なんだ」
「旦那様と、その奥様とお子の事でございます」
「バートラムを庇うことは不可能だぞ」
言えば、ローマンは僅かに瞳を伏せる。大きく視線を外す事はないが、それでも思うところはあるのだろう。
「…取引を、いたしませんか」
「取引?」
「旦那様より、言付かっている私の使命がございます。それはきっと、貴方様にとっても有益なはず。それで、旦那様の奥様とお子だけでも救ってもらいたいのです」
「…それは、バートラムの望みか?」
問えばローマンは静かに頷いた。
「あのような主でも、家族には愛情を注いでおりました。故にこの屋敷に近づけなかったのです。特にお子は年を重ねて得たもの、愛情を注いでおりました」
それは、ルーカスには想像もできない男の顔だった。
このような非情をやれる男が、多くの兵を手込めにして淫蕩な生活を送っていた男が、家族には愛情を注いでいたなんて。
ローマンはただ静かに頷いた。
「欲望に忠実過ぎる、なんとも小心で欲深い旦那様ではありますが、人の心の全てを捨てたわけではないのです。ほんの少しの良心の全ては、家族へと向いていたのです」
「…そこは俺には判断ができない。お前がそう見るなら、そうなのだろう」
確かに人の心など分からない事が多い。ルーカスだって顔はいくつも持つ。誠意は王として、責任は騎士として、愛情は恋人へ。同じ事をバートラムもしていたのだろう。
ローマンは頷き、一つの冊子をルーカスの前に出す。それを受け取り中をめくると、そこにはルーカスの欲しい物が書き込まれていた。
「これは!」
「執事は一日に何が起こったか、何を行ったかを書き残す事も仕事です。特に私は詳しく書き残す事を命じられていました。これは、その一部にしか過ぎません」
執事の日誌には、その日にどんな物を仕入れたのか、部下が何をしたのか、バートラムがどのように過ごしていたのか、客人が来たのか。それら全てが詳細に描き込まれていた。
客人が来た時には、お付きが何人いて、屋敷の何という者がそれに対処し、接客を行ったのかまで書き込まれている。
これがあれば、裏を取れる。ルーカスはローマンを見つめ、ローマンも頷いた。
「ご主人様の客人の相手は、私とメイド長だけが行っておりました。そしてメイド長にも、私と同じ命が下っております。双方を照らし合わせてゆけば、より確かになりましょう」
「…これを、バートラムはお前達に命じて何をするつもりだった」
「小心な方です。保身に繋がるものは全て残しております。まずい時にはこれを持って貴方様へと下るつもりでした」
「地下のあれは、隠そうと思わなかったのか」
「…神の罰が下ったのですな。焼却炉が壊れてしまい、修理するにも戦が過熱して資財も人手も足りなく、今もまだ稼働出来ておりません」
諦めたようなローマンの言葉を、ルーカスも飲み込んだ。
「ご主人様の保身は叶わなくとも、どうかご家族までは」
「…今、部下に保護をさせている。このままではアンブローズの手が回るからな」
「迅速な対応、有り難うございます。屋敷の者には抵抗せずに従うよう伝えました。こうなれば自身の保身を考え、大人しく従うほうが良いと」
ルーカスは頷き、席を立つ。その背後でローマンは、どこかほっとした顔をした。
「ようやく、終わります」
この言葉が、この老執事の心の全てだったのだろう。
王都からも兵を募り、護送準備も全てが整ってから、ルーカスは兵二千を率いて荒野を駆けた。向かうは聖オーキン教会。バートラムの身柄を抑えなければならない。
翌日の昼には到着するだろう距離を走りながら、その胸には愛しい人との対峙がちらついている。
恋人の顔で向き合えない状況となる。だが、譲れないのも確か。バートラムを捕らえ、人々の前で裁判を行い、そこでアンブローズの罪を暴く。
民衆の声を教会も無視はできない。非道を知れば、声を上げるだろう。その後押しを貰い、奴を教皇の座から引きずり下ろす。後は、教皇を決める民衆の審判のみだ。
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【ユリエル】
外がにわかに騒がしくなったのは、バートラム捕縛の翌昼の事だった。
「報告します! 前方よりルルエ軍が迫っております!」
「数は!」
「正確には…ですが、千は超えているのではないかと」
その報告に、クレメンスは表情を険しくする。今この砦には千もいない。作戦を終えた後で、この砦の神職の者、バートラム、リチャード以外の兵を本隊へと送り、グリフィスを下がらせた後だ。
「直ぐ正面に部隊を展開しろ! 門前を抑えられれば逃げられなくなるぞ!」
「は!」
厳しい声が飛び、報告の者が短く声を発するそこに、追加のように見張りの兵が駆け込んできた。
「報告します! ルルエ軍二千、門前へと着陣したもようです!」
「二千だと!」
クレメンスの眉間に皺が寄るのを、ユリエルは黙って見ていた。今回は何も言うまい、そういう心づもりだ。
「籠城…ということになりますが」
「長くは続きませんね。ここは入り口が一つ、そこを抑えられれば逃げ道を塞がれたも同じ事。補給も出来ぬまま籠城などすれば結果は分かりきっています」
そもそもが砦ではない教会を、砦の様に改造した。お粗末にもここの入り口は一つだけだ。そこを取られれば逃げられない。攻め込まれもしないが、後はこちらの疲弊を外で待たれれば終わりだ。
「備えの確認をしてまいります」
クレメンスがそう言って疲れたように立ち上がると、三人目の兵がこちらへと転がるように走り込んできた。
「報告します! ルルエ側より使者が来ております!」
「使者?」
疑問そうなクレメンスは、急激に変化する事態に思案する。そして、その使者を受け入れる事を許した。
ルルエ側の使者というのは、まだ幼さの残る少年だった。短い金髪に、赤い瞳の少年はどこか中性的だが、強い意志を持ってユリエルとクレメンスに対峙した。
「ルルエ国軍に従軍しております、キアと申します。ルルエ国王ルーカス様の使者として参りました」
「タニス国王ユリエルです。用件を聞きましょう」
ユリエルを前にしたキアは、丁寧に頭を下げる。そして短い書き付けを前に出すと同時に、話始めた。
「こちらの要求は二点。一つ、この教会にいる神職の者とこの教会を解放する事。一つ、罪人バートラム、およびリチャードを引き渡す事です。この二点を受け入れてもらえるのでしたら、今この教会にいるタニス兵の無事の退陣を許すそうです」
「無事の退陣!」
クレメンスは驚きの声を上げる。その横で、ユリエルは静かに書き付けを読んだ。概ね同じ事が書かれている。
「ルルエ王は、バートラムに謀反の疑いあり、嫌疑を問いただす為引き渡しを要求するとありますが、これはどういうことです?」
「僕は詳しく知る立場にありません。後日、話し合いの場を設けたいと話しておりました」
「後日、ですか…」
おおよそ上手くいったのだろう。そのことだけは分かった。
元よりユリエルはバートラムを害するつもりはなかった。これは事前にルーカスと示し合わせていた。バートラムにアンブローズの罪を公然と語らせる。その為の証拠を集める時間を、今回ユリエルは稼いだのだ。
「…少し話し合いの時間を頂きたい」
「構いません」
キアを残し、ユリエルはクレメンスを連れて場を移した。
部屋を移した先で、クレメンスは腕を組んでいる。ユリエルは彼の判断を待った。賢い選択をする、それは分かっていたからだ。
「要求を、飲むのがよろしいでしょう」
たっぷりと熟考した後に、クレメンスは答えを出す。それに、ユリエルは視線を向けた。
「ハウエル司教の身柄の安全を確保する事は達成できました。そして、ルルエ聖教会の実情を暴き、アンブローズを失脚させる算段は成りませんでしたが、これはルルエ王自らが踏み出す様子。結果的にこちらの思惑は大筋で叶うだろうと思います。
元々が他国への政治介入で、無理のある話です。より自然な流れに任せるのが良いかと思います」
「概ね、私の考えと同じですね」
「それでは使者にそのことを伝え、兵に撤退の準備をさせます。多少屈辱ですが、致し方ありませんね」
「見栄やプライドで戦をしてはなりませんよ」
苦笑するユリエルに、クレメンスも同じく苦笑する。
「それにしても、何故このような条件をルルエ王は出したのか。このまま籠城となればこちらは疲弊したのに」
「その理由は、この書き付けにありますよ」
ユリエルは手にしていたものをクレメンスにも見せた。その書き付けの一番下には、こう書かれていたのだ。
『先日の決闘での非礼は、これで帳消しとする』
なんとも律儀なその言葉に、クレメンスまでもが目を丸くし、そして次には吹き出した。
「なんとも律儀にバカのつく方だ。いや、おかげで救われた。戦場での貸し借りなど、掃いて捨ててもいい事なのに」
「その心意気に甘えましょう。なに、これでイーブンですよ」
ここでは争いたくない。ユリエルは元よりバートラムとハウエル、そしてリチャードの身柄を手放すつもりではいた。交渉をして、これら三名の引き渡しを条件として教会を去る時間を取るつもりだった。それが、これだ。まったく、敵わないな。
かくしてキアは全面的にこちらが条件を呑む事をルーカスへと伝え、一時間の準備時間の後で門を開けた。
門の前面に、軍を率いるルーカスがいる。そこに歩みを向けたユリエルは、王の顔をして立っていた。
「甘い事ですね」
「義理を果たしたと言ってもらいたい」
互いにピリピリとした空気がある。それは、距離からもそうだった。剣が届かない距離。そこで対峙した二人の表情に甘い恋人への感情はない。
「今回はこちらの負けです。素直に認めましょう。ですが、軍を撤退する訳ではありません」
「分かっている。後日、改めて使者を送る」
「分かりました」
確認だけを行うように会話をきり、ユリエルは手を上げる。それを合図にクレメンスは軍を引き上げリゴット砦方面へと向かう。全ての兵がそうしたのを確認した後、ユリエルもルーカスの前から去っていった。
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