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第160話 停戦(2)

【ユリエル】  キアという使者が停戦の協議を申し入れてきた。  これを聞いた時のユリエルは、ようやく待ちに待った時が来たのだと内心ほっとしてしまった。これ以上戦う事を避けられる。後は、ルルエ国内が安定してくれればそれでいいのだ。 「それにしても、随分早い申し入れですね」  クレメンスは腕を組んでそう言う。それを聞くグリフィスもまた、少し難しい顔はしていた。 「どうやらこちらの動きを監視されていたような気がします。バートラムを確保し、停戦を申し入れ、国内を平定する。ルーカス王の手の上で転がされた気分です」 「まぁ、監視がついたのはこちらではなくバートラム卿だろうな。誘い出されたのを幸いと、手薄な所を攻めたのだろう。そして、何かしらの証拠を見つけた」 「何にしても、思惑通りアンブローズ一派を追い落としてくれるなら幸いです。こちらも、これ以上戦う理由はありませんよ」  ルーカスがしっかり証拠と証人を固めたのだろう。だからこその停戦だ。  こちらはそれを飲み、軍をリゴット砦まで引く。後はルルエ国内での事、こちらは軍としては動かない。適切な場面で和平交渉をルーカスへと申し込み、それに対する措置を行う。  グリフィスとクレメンスも、停戦という決断には異論が無い様子で、一つ頷いた。  使者を帰した後日、数台からなる幌馬車と共にハウエル司教がリゴット砦へと来た。側には若い青年をつれている。 「あいつにはラインバールの恨みがあるんだよね」  と、こっそりレヴィンが伝えてくる。それで納得だ。小柄な青年はレヴィンを見て一度足を止め、不敵な笑みを浮かべて近づいてきた。 「ユリエル殿、此度の停戦協定を結ぶため、王の代理として参りました」 「ご苦労様です、ハウエル司教。さぁ、まずは中へ。馬車の方は橋の対岸にある陣営で預かります。協定締結後、改めてといたしましょう」 「分かりました。こちらも数人、同伴してもよろしいでしょうか」 「構いませんよ」  終始穏やかに会話したハウエルが、まず側に立つ青年を側へと呼んだ。 「この者は馬車と私の護衛を務めます、ヨハンと申します」 「ヨハン・マレットです」  丁寧に頭を下げるが、まるで道化のような青年にユリエルは苦笑する。側に立つクレメンスも同じだった。 「それでは、席を用意しております。私は本日の協定の見届け人として同席させて頂きます、クレメンス・デューリーと申します」  こちらも丁寧過ぎるほどに礼をする。協定を結ぶ当人達が和やかなのに対して、周囲は多少牽制が入るようだ。顔を見合わせたユリエルとハウエルは、互いに苦笑してしまった。  程なく、リゴット砦の会議室にて停戦合意の為の協議が始まった。 「まずは、我らが王からの書簡をお納めください」  ハウエルが懐から、一つの書類を取り出す。クレメンスが運び、それにユリエルは目を通した。 「確かに、ルルエ国王ルーカス殿からの書簡です。停戦理由は、国内で起こっている内乱鎮圧の為とありますね」 「はい。ユリエル殿もご存じの通り、現在国内は国王中心の王政派と、教皇中心の教皇派とが国の利権を争っている状況です。ですがこの度、教皇派の中核にある者の謀反が判明いたしました。これを問いただし、公に裁判を行い、教皇の弾劾を行う事を我らが王は決断いたしました」 「ちなみに、その謀反というものは何かを、聞いてもよろしいか」  クレメンスが横合いから問いかける。これにも、ハウエルは静かに頷いた。 「タニス王家からの和平親書を奪い、その使者を害したのです」  その言葉は、ある意味で予想通り。そして、胸に重苦しいものが残る。クレメンスもユリエルも、一度黙り思わず祈った。 「我らが王は、タニスからの親書の噂を聞きつけて直ぐに、ここにいるヨハンへ調査を行うよう指示しておりました。そして疑わしい者まで辿り着き、この度動かぬ証拠を見つけたしだいであります」 「こちらも、行方の分からなくなっていた使者を探していた。彼の者はどうなっている」 「残念ですが、既に亡くなっております。衣服や持ち物は、今後の裁判での物的な証拠として使いたいとのことで返還は後日となりますが、遺体は焼いて、本日持って参りました。僭越ながら私が、祈りを捧げました」 「そうですか」  ただ、それしか言えない事が申し訳ない。まだ若い青年で、「お任せ下さい!」と意気込んで出ていった。生きて帰る事が無かった者に、ユリエルは静かに謝罪し、祈った。 「送られた親書に関しては、見当たりませんでした。ですが、明らかに害した証拠があります。他国の使者を王の意志に反して殺害する事は立派な謀反。問いたださなければなりません」 「それに関しては、こちらも同じです。ルルエからの使者を見つける事は、未だに出来ておりません。ですが送られた親書と、その者が着ていた衣服などは残っておりました。レヴィン」 「はっ」  丁寧に頭を下げたレヴィンが、用意していた箱を持ってハウエルの前に置き、蓋を開けた。そこにはグランヴィルが残していた、使者の衣服やお守りがそのまま収めてある。  これらを見たハウエルは悲しげに眉を下げ、それでも飲み込んで一つ頷いた。 「ルルエ王の気持ちは、確かに受け取りました。我が国としてもこれ以上の争いを望むものではありません。和平協定を前提とした停戦として、受けましょう」 「有り難うございます、ユリエル殿」 「そのかわり、国内の平定をお願いします。貴国の問題が解決しないかぎり、和平の交渉が上手く行くとは思えません。その旨、ルルエ王にお伝えください」 「はい、確かに」  ユリエルとハウエルは互いに頷き、握手を交わす。そうしてルーカスの書簡に協定締結のサインと血判が押され、同じ物がその場で書き写され、それにも同じくサインと血判がされた。  見届け人のサインと血判もそれぞれに押された物を見下ろして、両者はようやく重たい物を吐き出すように息がつけた。  こうして直ぐに、橋の対岸にいた馬車がリゴット砦の中へと入ってきた。捕虜となっていた者達は皆大きな怪我も回復後で、戻れた事に涙しながら感謝の言葉を口にしていた。  ユリエルはその中にいる小さな少年とその母らしい女性を前にしていた。 「タニス国王、ユリエルです。バートラム卿の奥方ですね」 「はい、カタリーナと申します。こちらは息子のスヴェンです」  母親のスカートに隠れた幼い少年は、それでも興味があるのかジッとユリエルを見ている。幼く、まだ純粋な瞳が真っ直ぐに見つめるのに、ユリエルは微笑み目線を合わせた。 「こんにちは、スヴェン」 「こんにちは」  とてもぎこちなく、でも返してくる声にユリエルは笑う。幼い頃のシリルを見るようだ。 「スヴェンは、何が好きですか?」 「え?」 「馬車、疲れたでしょ? 少し休憩にしましょう。好きな物は、ありますか?」  少年はおずおずと母親を見上げている。その先で彼女はニッコリと微笑み頷いた。 「あの、お菓子が好きです」 「ケーキ? クッキー?」 「クッキー」 「いいですね」  やんわりと微笑めば、少年の顔から緊張が消えて嬉しそうな赤みが見える。それを見たユリエルのやんわりと微笑み、シリルを側へと呼んだ。 「お願いできますか?」 「はい、陛下」  近づいてくるシリルに、母親は少年を預ける。そうして二人で連れ立っていく姿を見ていた。 「ここは前線、何があるか分かりません。ここから少しの所に、信頼の置ける家臣の領地があります。しばらくはそこで過ごして下さい。一応の監視は付きますが、生活自体は普通に過ごせるように手配してあります」 「捕虜という身の上です、あまりお気遣いを頂かなくても良いのですよ」 「捕虜だからこそですよ。貴方たちが我が国に虐げられたと言われては、貴方の国の者は我が国を憎く思う。むしろ、良き者であったと言われてなんぼです」  そう言って笑えば、カタリーナは目を丸くして、次には涙をこぼして微笑んだ。緊張の糸が切れてしまったのだろう彼女に、ユリエルも穏やかに頷く。 「しばしの間、身を預けてもらいたい。スヴェンには、よき遊び相手を用意します。必要ならば教育も。そして貴方にも、語らう者を」 「有り難うございます」 「和平が成れば、また処遇が変わるでしょう。落ち着かない生活になるとは思いますが、その中でも安らぎが得られるように」  そう言って、肩を軽く叩いて他の部下へ彼女を部屋に案内するように命じる。捕虜となっていた者は数日休ませてから、国へ戻す手はずを整えた。  こうしてラインバールの戦いより半年以上の年月を経てようやく、両国は停戦の運びとなったのであった。

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