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第161話 断罪
【ルーカス】
城の法廷にて、裁判が行われる。一般の民、貴族、瓦版屋、宗教関係者。そうした者が入り交じって席に着き、一段高い法廷の場を見ている。
ルーカスは法廷の場にいる。そして隣には、アンブローズがいる。
この場では国王でも自由にはできない。勝手な振る舞いをすればそれは民の知るところとなる。広く今日を知らしめる為に一般の民も瓦版屋も招いたのだ。
感情を押し留めなければならない。それは隣にいるアンブローズも同じはずだ。
やがて、国の兵に連れられたバートラムが法廷の場に上がる。視線が一瞬、ルーカスを見て、アンブローズを見た。
「聖教騎士団団長、バートラムで間違いはないか」
進行役も務める裁判官が固い声で言うのに、バートラムはしっかりと頷いた。
「はい、間違いありません」
「この場では真実のみを語る場所。誓いの言葉を宣言してください」
バートラムは自らの左胸に手を置いて、良く通る声で宣言をした。
「私、バートラム・マカスキルはここに、全ての真実を語る事を、神と民に誓います」
その宣言にルーカスは頷き、アンブローズは厳しい視線のままに裁判は始まった。
「貴方にかけられている罪は、国家への謀反です。他国からの使者を王の意志を確認せずに害する事は立派に国の行く先を曲げ、意図せぬ方向へと向かわせる行為。それを分かっての行為ですか?」
「はい」
「なぜ、そのような事をしたのですか?」
バートラムは真っ直ぐにアンブローズを見る。だが、口にしたのは全く違う事だった。
重く息を吐き出したバートラムは、ルーカスを一度見てそのまま裁判官の目を見つめて語り出した。
「全てをお話いたします。私という人間の、転落の全てを明らかとし、ルルエの民としての最後の責務を果たします」
そう伝えたバートラムに裁判官と傍聴人は首を傾げ、ルーカスは静かに瞳を閉じて、アンブローズは忌々しげに片眉をヒクリと上げた。
「私が聖教騎士団に入った頃、父のツテで当時司教であられたアンブローズ様と知り合い、懇意となりました。そして、アンブローズ様が教皇となられた折りに、私は騎士団長という大役を仰せつかったのです」
あまりに昔の話から始まった事に、場は多少騒々しくなる。ルーカスも思った。こんなに昔の話を要求した覚えがなかったからだ。
「ですが、この大役は同時に罪を背負いました。この頃には、私はアンブローズ様という方を知るようになったからです。彼の人は付き従う者には寛容ですが、逆らう者には残忍な方。教皇として権勢を振るい、信者を意のままに従わせる立場となった事でその欲望は肥大し、やがて国も人も意のままにすることを願うようになりました」
これには、民が動揺の声を上げた。裁判官が「静粛に」と言ってもその動揺はなかなか収まらず、瓦版屋はペンを走らせている。
隣の老人がピクピクと眉を上げる様を、ルーカスは見ていた。だがここでバートラムを殺す事はできない。その為に城の中に招いた。外で行えば暗殺の危険が増した。ここでなら、ある程度ルーカスの意のままにできた。
「逆らうならば妻子とて容赦のないこの人を狂気と思う一方で、そのおこぼれに上がる自分もいる。独り身であればその蜜を吸っていられました。ですが、妻子を得て急に恐れるようになったのです。私はこのままでいいのか。機嫌を損ねれば私ではなく、弱い妻子へと彼の人の手は伸びるのでは。思えば恐ろしくなり、私はその時の助けと思って備えを始めました」
「それは?」
「私の行いや、日々の事を執事やメイド、複数人に詳しく日誌としてつけるように命じたのです。何かまずい事態となった時、これを持って国王陛下の元へ行けば、アンブローズ様を止めてもらえるのではないか。そう思ったのです。それだけではありません。私が部下に命じた事は書類として起こし、私と命じた者のサインを書き、密かに保管させています」
これにはアンブローズが顔色をなくした。そしてルーカスも驚いた。
執事やメイド達が日誌をつけているのは知っていた。それを元に証言を集める事も容易であり、行った。だが、書面も残っているのか。
「こうした事を繰り返し、私はアンブローズ様の駒として生きると同時に、妻子を守る行いをして参りました。ですがとうとう、アンブローズ様が恐ろしい事を言い始めたその時に、私はいつかこうしてこの場に立つ日が来るだろうと、恐怖半分、安堵半分に思うようになりました」
「それは、他国の使者を害するように命じられた時ですか?」
裁判官が心持ちゆっくり、動揺を飲み込むように告げる。だがバートラムは静かに首を横に振る。そして再び誓うように、左の胸に手を置いた。
「神に誓い、申し上げます。ラインバールに最初に攻め入ったのはタニスではありません。我ら、ルルエ聖教会が密かに奴らを挑発し、攻め入らせた戦なのです」
「なっ!」
これには、ルーカスも息が出来ないほどに動揺した。
バートラムが何を語ろうとしているのか、ルーカスにも分からない。そもそもそれは、どの時点の話なんだ。最初に攻め入った? それは戴冠後すぐに起こった、本当に小さなラインバールの小競り合いの事なのか?
アンブローズの顔にも焦りが見える。飼い犬に手を噛まれたこの老人は、今まさに憎くバートラムを見ているのだろう。バレるはずのない老人の悪事は、その行き過ぎた支配欲と冷酷さから露見しようとしていた。
「アンブローズ様は、教皇と成られてからずっとタニスを欲していました。ですが現王ルーカス陛下は争いを好まぬ方。思い通りに行かない事に業を煮やした彼の人は、タニス側を動かす事で戦を始めようとしたのです」
水を打ったように静かになる場内に、妙な緊張が高まる。ルーカスの心臓もまた、嫌な音を立てている。
後にタニス王都奪取とまでなった戦の始まりは、何の前触れもなくタニス側が攻め入った事だった。これに何だかんだと騒いだのはアンブローズであり、バートラムだったのだ。
だが、そもそも何故攻め入ってきたのかは、考えなかった。王の交代は隙ができるから、そこを狙って攻め入ったのだとばかり思っていたのだ。
「まだ若い聖教騎士団の青年をそそのかし、ルルエ国軍の格好をさせ、早朝に矢で軍旗を射貫かせました」
「なに!」
思わず声が出てしまう。怒りが溢れるように表に出てしまう。
軍旗や国旗は国の顔。そこに矢を射る行いは宣戦と同じ行いだ。
納得がいった。ずっと小康状態だったはずの前線が何の前触れもなく動いたのは、こういうことだったのだ。
頭を抱え、ルーカスは隣のアンブローズを睨み付ける。許されるならこの場でこの男を斬り殺してやりたい。この場でこの男の断罪をしたい。証拠もなしにやれば民の批難を受けるだろうが、それでもいいと思えるほどには怒りが募っている。
「タニス軍が攻め入ったのは、その日の事。何も知らないルルエ軍は突如タニスが攻め入ったと思ったでしょう。かくして争いは起こりました。更にアンブローズ様は人々にタニスの非道を声高に伝えると共に、タニス攻略の陣頭指揮を執るジョシュ様へ『民を戦場に送るような事態にしたくなければ、タニスを攻略せよ』と言い続けたのです。また、タニス王都を奪った後も同じく圧力をかけ、結果戦場で討ち死にとなったのです」
しまい込んだ苦々しさが不意に戻り、怒りとなって身を焼く。
ジョシュの事はルーカスにも責任があった。だがまさか、そもそもの切っ掛けすらもこいつらだったとは思わなかった。
あの戦さえなければ、ジョシュはまだ生きていた。タニスという国とも穏やかに歩み寄りが出来たかもしれない。そうすれば今頃、もっと穏やかにユリエルと話す事が出来たかもしれない。
「一時的にでも王都を奪われた屈辱に、タニスの新王も黙ってはいないだろう。そう踏んでいたのですが、どうやらそうでもない様子。和平の使者が来ると噂が広がり、それらしい者がいないかを周辺の者も使って探り、見つけて監禁し、親書を奪いました」
「その親書はどこにある?」
問われ、バートラムは真っ直ぐにアンブローズを指さした。指された当人はまったく動揺などしていない。おそらく現物がないからだろう。
「アンブローズ様へと渡しました」
「証拠は」
「私の執事が親書の内容を書き残しております。同時に、誰とどこに行き、そこで誰に会っていたのかも書き残してあります。御者番にも日誌を書かせています。全てを照らし合わせ、証言をとれば私の行動は証明されるでしょう。また、親書の内容も一字一句間違いなく書き残しておりますので、彼の国に確認を求めればこの言葉が嘘ではないと、証明されます」
忌々しくアンブローズの表情が歪む。バートラムが告げた日誌は全て回収し、彼の屋敷の者は全て国で保護をしている。当人達もそれを望んだからだ。証言も裏もいつでも取れる状況にあるのだ。
「…これが、私の知る全てです」
長い話を終えたバートラムは、疲れたように項垂れた。その様子に、裁判官は複雑な顔をしていた。
「これらの証明は、明日といたします。念のため、アンブローズ様は本日この城に留まっていただきます」
「何故私が!」
「この事態に、貴方は大きく関わっています。逃亡、もしくは証拠隠滅等をされては困ります。従わぬ場合には司法として、貴方を拘束しなければなりません」
そうなれば教皇位の剥奪となる。弾劾、その後の選挙などせずともこの男を失脚できる。
アンブローズは大人しく、用意した護衛という名の監視者のいる部屋へと連行された。
その夜、バートラムは城の司祭を呼んで祈りをと願った。ルーカスと裁判官の一人もそれに同行させてもらった。
男は大柄な体を小さくして、老け込んでいるように見えた。その前に立った司祭は丁寧にバートラムへ罪の許しを請う祈りを捧げていた。
怒りは湧いた。許せなくもあった。だがその大半はこいつにではなく、アンブローズに対してだろう。祈りが終わる時まで待っていたルーカスに、バートラムの方が声をかけた。
「何故か、スッキリと心地よいものです、陛下」
「そうか」
「…怯えていたのでしょう。若い時は希望を持って勇名を馳せた身が、たった一度悪魔の声に耳を傾けたが為に転がり落ちた。怠惰をよしとし、贅を受け取り、肉欲に溺れながらも怯えていたのです。いつ、この魂は呑まれるのかと」
顔を上げる男の表情は憑きものが落ちたような清々しいものだ。既に己の処遇など諦めた男は、だからこその潔さと最後の使命を果たしたのだ。
「ようやく、終われます。この身にまだ、正しい心が欠片でも残っていたのだと、知る事もできました。歴史に悪名を残そうとも、地獄に落ちて永劫の苦しみを味わうのだとしても、この欠片だけは手放さずにいられそうです」
落ち着いた顔をしながら言うバートラムに、ルーカスも頷く。
「ご苦労だった、バートラム。お前の正義を、俺は無駄にはしない。悪魔は俺が追い払おう」
そう言って誓えば、バートラムは苦笑して頷いた。
その後、上げられた証拠を元に証人が呼ばれ、そこに残された日誌や証言が明るみとなり概ねバートラムの言葉が正しい事が証明された。そして、あの地下牢で見つかった者の身元も明らかとなった。
ルルエ国軍の服を着た小柄な者は、タニスの軍旗を射貫いた者。
他国の衣服を纏った者は連れてこられた奴隷。
衣服を着けずにいた者は、軍旗を射貫いた者の弟だった。
これらの罪を全て認めたバートラムは、全ての裁判が終わったその日に、王城前の広場にて公開処刑となり、首を吊った。
人々はそこに石を投げて罵ったが、ルーカスは直ぐに彼の体を下ろしてやった。本来これだけの罪を犯せば晒すのが妥当なのだろうが、あまりにも哀れだった。
瓦版屋は連日の裁判をセンセーショナルにかき立てて民衆に配り、傍聴していた者は周囲にこれらを話してまわった。宿屋や店に話が上れば広まるのはあっという間。教会悪しの感情は高まり、批難の声が大きくなった。
そのタイミングで、ルーカスは教皇アンブローズへの不信任を出した。彼への確かな物的証拠はなく、証言もアンブローズに近い人物からは得られなかったから、完全な証明はできなかった。それが出来れば謀反として同じく首を吊らせたのだが。
枢機卿や司教の賛成を多数もらわなければ不信任は通らない。そこはアンブローズの領域で、多少の不安はあった。
だが、やはり国民の怒りは大きく作用した。日和見な枢機卿や司教、穏健派の者はアンブローズのやり方を元から受け入れていなかったのだろう。見限った。
こうしてバートラム処刑の翌日、教皇アンブローズはその位を一時剥奪され、ルルエ国内は新たな教皇を立てる国民の選挙へと向かい動き出したのである。
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