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第163話 和平の使者

【ルーカス】  砦より和平の為の使者が来ると早馬をもらって二日。王家の紋章のついた馬車から降りた青年を見て、ルーカスは内心安堵した。  降り立ったシリルは以前見た時よりも随分精悍になり、落ち着きと芯の強さが滲み出るような様子だった。  そしてその横に控えたレヴィンもまた、落ち着いて見えた。顔色も良く、以前のような鋭さは影を潜め、見守るような温かな眼差しをしている。  そしてもう一人、多少気難しそうな顔をした亜麻色の髪の青年がこちらを見る。その視線はルーカスは観察するようだ。  知将クレメンス、彼がきたのは交渉の見届けとシリルの補佐だろう。  謁見の間ではなく会議室で顔を合わせたタニスの使者を、ルーカスは穏やかに迎えた。側にキアと、国の宰相を置いている。そうして向かい合って座るとすぐに、来訪の目的が告げられた。 「和平を確約したいと?」 「はい」  王家の確かな印と、ユリエル自身のサインの入った書簡を受け取るルーカスは多少考えた。  ハウエルが少し苦戦しているからだ。この国に染みついたタニス憎しの心を読み違ったのかもしれないと、早計であった事を苦く思っているのだ。  だがここを誤魔化して選挙をする事はできない。いい事だけを言って上にあげても、後々に反発が出る。それが大きな主軸であればなおのことだ。  この書簡を受け取っていいものか。思っていれば意外とクレメンスの方が口を開いた。 「我が国といたしましては、貴国との和平が成らない事が一番の痛手です。その為にはハウエル司教の言葉を正しく民がとらえてもらわなければならない。タニス憎しという虚像に怯えて悪魔のように見られるのは心外なのです。我が国は決して、争いを好むものではないのです」  あぁ、それは分かっている。ユリエルが争いを望んでいない事は知っている。恋人ではなかったとしても、彼の心は血など求めていないのだ。 「捕虜を千、こちらに引き渡すとある。その目的はいかなものでしょうか?」 「こちらが捕虜に対して不当な行いをしていない。タニスは野蛮な国ではないという証しです」  宰相の問いに、クレメンスは淀みなく答えていく。それで、ルーカスも納得がいった。ユリエルがしたいことは、捕虜を通じたタニスの印象回復だ。 「少なくとも今の王は、捕らえた者を不当には扱っていません。丁寧に治療し、回復した者には多少働いてもらい、僅かではありますが賃金を支払い、規則的に食事や睡眠を取らせています。この国の者が言う奴隷のような扱いなど行われておりません」 「ですが過去には…」 「それを問えば同じ事がルルエにも言える。違うか?」  キアの声を遮るように、クレメンスは言う。  そう、過去を問うてもどうしようもない。戻る事など出来ず、またお互い様だ。  歴代のルルエ王が皆平和的で人道的だったかと言えば大いに疑問だ。そしてそれはタニスにも言える事。だからこそ今が貴重で、千載一遇のチャンスなのだから。 「ルーカス様は仁を知り、義を重んじる方と見込んでの、我らが王の願いです。我らが王ユリエル様もまた、身分も国も問わずに人の心を重んじる方。今この時を逃せば後数百年は、再び緊張した関係が続きこの地は憎しみを吸うこととなりましょう」  ルーカスは書簡を手元に置く。そこには和平確約の願いと、その証しとして千の捕虜の無償解放が書かれている。  一つ、ルーカスは息をついて使者三人を見た。 「分かった、有り難く受けよう」 「それでは!」 「ただし、無償とはできない。こちらが下手に出たと思われる事はプライドの高い人間からしたら刺激となるだろう。一日、この城に留まってもらいたい。和平の品を用意しよう」  立ち上がったルーカスは三人を丁重にもてなすように言いつけ、別室にて宰相へと言付ける。  この城にはかつてのタニス女王ビバルディの遺物が多く残されている。その最たるものはこの選挙で勝利を収め、正式に和平を結ぶときに返還しようと思っていた。  だが他の物も、これを機に返還をしていくのがいい。  ユリエルから聞くに、タニスの民はルルエ王ルーイットとその愛人にたいしての憎しみがあり、ビバルディに対しては悲劇の女王という見方が一般的らしい。そして彼の女王の遺物の返還を望む者が多いのだとか。  ならば、対価として十分に見合うだろう。  女王の宝飾品、愛用していた品々や、肖像をいくつか見繕い、明日持たせられる準備を終えて、ルーカスはその日を終えた。  その夜、城の明かりも落ちる時間になってもルーカスは起きていた。約束のない客人を待っていたのだ。  僅かに部屋が陰る。そしてそこに立つ赤毛の青年を、目を細めてルーカスは招いた。 「身の軽さは相変わらずか。レヴィン、久しぶりだ」 「貴方も相変わらずいい男で安心した。心労溜まりそうなのにな」 「溜まっているさ。老け込んでいないか心配になる」 「どの口が言うんだかな。変わってないよ、色男」  変わらぬ様子で近づくレヴィンを迎え入れたルーカスは、そっとグラスに酒を注ぐ。僅かに口を湿らせ、滑らかにする程度のものだ。 「ユリエルはどうしている?」 「ルルエ国内を詩人の格好で歩き回って、正しい人の心を説いてるよ」 「な!」  これにはルーカスも眉根を寄せた。危険極まりない事だ。それでなくてもアンブローズ派は自らの考えを押し通し、それに反発する者を敵視しているというのに。  だがレヴィンは困ったように笑うばかりだ。 「させてやんなよ。あんたが心配で黙っていられないのさ。ほんの少しでも力になりたい。今回の書簡からだって、そういう気持ちは伝わっただろ?」 「それはそうだが…。俺も心配しているんだ。彼に何かあれば、例え和平が成ったとしても俺は穏やかではいられないんだから」  詩人は武器を持たない。ユリエルは体術も心得ているだろうし、サバイバルも出来る。他人と無用の争いを起こす前に回避することも出来るだろう。  何より詩人は神の話を語り、俗世から切り離したある種尊い存在。そうした者を害する者は信心深いルルエの民にはいない。  だが相手は僧服を着た使者をむざと殺すような奴らだ。あいつらに尊さや信心を説いても無駄な事だろう。 「まぁ、今は砦で大人しくしてるよ。シリルが戻ったらまた出るつもりだろうけれどね」 「危険だから止めてくれ」 「言って止まるなら、そもそもあんたを恋人になんてしてないよ。そういう人を選んだんだ、諦めて受け入れ、叱り諭す包容力を見せる方がコントロールきくぜ」  そうまで言われては苦笑するしかない。確かにその通りで、今更彼に従順さなど求めてはいない。 「見込みあるかい?」 「今回の捕虜の解放がどのように作用するかだな。正直、周囲の声に流されてアンブローズに付いている者もいる。だが一般の民の大半が、ハウエルを支持している」 「それなら、いい方向へと進むように頼むよ。馬車用意して、リゴット砦に向かって。捕虜引き渡しの準備はできてるはずだから」 「分かった。レヴィン、すまない」 「なんの」  言って立ち上がったレヴィンはまた、来た時と同じように夜陰に紛れるように姿を消す。ルーカスはその後もしばらく考えていた。  捕虜の引き渡しが行われたのは、その数日後の事だった。異例の速さに周囲の砦からも馬車を出し、人々を王都に迎えた。  そうして出てきた者達は皆表情が明るく、帰ってこられた事に涙しながらもタニスという国に恩義があるとまで言う者がいるくらいだった。  大々的に迎えられた捕虜達の健康的で明るく、むしろ逞しい姿を目にした人々は皆驚いた顔をした。聞いていた話とは全く違う事に、アンブローズ派への疑念が湧いたのだ。  そもそもタニスという国を野蛮と思ってアンブローズに付いていた者達だ、そうではないと分かれば信心深く慈悲深いハウエルへと傾いていく。  また、捕虜だった者達が無事に家族の元へと帰った事も大きかった。手にタニスの土産を持ち、嬉々として異国での生活を語る者達を見て、最初は疑念半分だった者が徐々に心を柔らかくした。  アンブローズ優勢と思われた選挙はハウエル優勢へと変わり、残り一ヶ月となっていた。

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