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第169話 和平への歩み
【ユリエル】
休戦協定が結ばれて半年、両国は急速にその距離を縮めていった。
ラインバールの関所は、連日人の往来がある。荷を押して行商をする者や、異国への旅を楽しむ者。そうした者が行き交うようになっていた。
通行証の発行が一般人にも許可され、その審査もそれほど厳しくはない。ただし、荷の検査と犯罪歴については厳しく調べられた。
だが、旅を楽しもうという者やまっとうな商売をする者にとってはそれほど苦になるものではなかった。
これが片一方が厳しいとなれば反発があるだろうが、両国共に同じであるから良かった。
人の往来が頻繁になるにつれて、問題も起こった。だがユリエルとルーカスは、まさにそれを待っていた。
急遽ラインバールにて開かれた会議により、両国の家臣団も出席しての共通の法が定められた。
犯した罪の量刑、裁判を誰もが傍聴できる事、話を聞き、情状の酌量があるのかを確かめる事、その者の言う事が正しいのかを調べる事。また、罪を猶予する事があるのかどうか。
そうして一ヶ月以上も顔をつきあわせて議論をしていると、両国の家臣達も徐々に相手が分かってきた。そして国を思う気持ちもまた、理解しあっていった。
そしてこれが切っ掛けとなり、両国の話し合いと小さな会談の場が頻繁となり、細かな問題や提案、国家協力が活発化していったのである。
一年が経つ頃、本格的な和平の詰めの話が持ち上がった。この頃には「タニス」とか「ルルエ」という人々の隔たりがなくなってきていた。
見た目に大きな違いがあるわけではない。そもそもが同じ大陸の同じ人種だ。
「それでは、新年の挨拶をかねて貴国へと伺わせていただきます」
「えぇ、お待ちしています」
ルルエ側の使者はもっぱらキアという少年が担当している。彼はルーカスの側近で、戦う力はないが職務に忠実で、なによりルーカスの事をとても慕っている。
彼を受け入れたユリエルは今夜はもてなすと言ったのだが、キアは「急げば船に間に合いますので」と言って帰っていった。
「彼も忙しい子ですね。職務熱心というか、あるいは…」
「私と顔を合わせていたくないか?」
溜息をつくクレメンスに、ユリエルは苦笑した。おそらくは後者だろう。
谷底で互いの臣を顔合わせした時、彼はいなかった。後に聞けば「用事があって連れていけなかった」とルーカスは言っただ、どうやらそればかりではなさそうだとも感じた。
「キア殿はルーカス様にご執心の様子だ。恨まれますな」
「今更返せませんけれどね」
苦笑しながら、ユリエルは手元の書簡を読み込んだ。
三ヶ月後、タニスの王城で新年の挨拶もかねてルルエの家臣団とルーカスを招いて和平条約の詰めを行う。ただ、予定よりも早く法の整備が整い、裁判なども順調に回っている。だから改めての確認や、技術支援の話などがメインになっていくだろう。
「ジョシュ将軍もようやく、お返しする事ができますね」
この機会に、ユリエルはジョシュの遺体を返すつもりでいた。そしてルーカスから、女王の息子の聖遺骨を返す事も受け入れている。
これにはタニスの民や臣が喜んだ。ようやく母子を同じ墓所に入れてあげる事ができるのだ。
執務室へと戻ってくれば、アルクースが待っていた。手にはユリエルの部屋にあった物があれこれズラリ。その様子にユリエル自身がとても驚いてしまった。
「こんなにですか?」
「こんなにですか? じゃないよ! これ全部毒入ってるじゃないか!」
使う茶葉は勿論、ペンや匂い袋、ペーパーナイフまで。面倒になって、一度に大量に摂取しなければいいやと放置していたがまさかここまでとは。
これにはクレメンスも驚いた様子で、深刻な顔をした。
「それとなく監視をして、犯行を行ったメイドなどを捕らえたりはしていましたが…未だにですか」
「フェリスも辟易してた。これらを依頼した奴までは辿り着いたけれど、そいつ自身も依頼されてたみたいで大元が掴めないって」
「ですから、もう放置していたんですよ」
当然のように調べたのだ。これに関してはダレンやロアールも過去に調べてくれた。だがどうにも霞みがかって捕まらない。そう言っていた。
ユリエルが苦笑するのに、アルクースは嫌な顔をしている。そして当然のように、解毒のお茶を渡された。
「どうするの?」
「…頻度が上がっています。おそらく相手は私を殺したいのでしょう。原因はきっと、ルルエとの関係修復への反発」
「そうなれば、油断を見せて誘い込むのが手ですかね」
出てこない犯人を出す方法。その為の舞台を整える。クレメンスは頷き、アルクースも頷く。そしてユリエルもまた、溜息をついてそれらを了承するのだった。
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【ルーカス】
順調に事が進んだ事はよかった。これも全て、両国の協力あってのことだろう。
タニスの民は戸惑いはあったのだろうが、早い段階でユリエルが人々に語りかけた事で心の準備は出来ていたように思う。一度旅人の格好で旅をしてみたが、皆気さくだった。
こうして見るとルルエの方が閉鎖的なのかもしれない。思い悩んで相談すれば、ユリエルは小さな旅一座をルルエへ送り込んだ。
彼らは町の広場や小さな屋外劇場でタニスの物語を演じてみせ、大いに人々を沸かせた。
やはり、知らないということが一番の障壁となっていたのだろう。だが共通して、英雄の物語や恋愛物は人気がある。そうした切り口から迫る方法は、詩人としてこの国を旅したユリエルならではの視点だったのかもしれない。
今ではこうした芝居を見せる旅一座は数を増やし、両国それぞれ行き交っている。中にはパトロンの付いた者もいて、実に賑やかだ。
そうして三ヶ月後には新年を迎え、タニス王都へと向かう事になった。
最終的な打ち合わせなどを話し合いに来たのはレヴィンだった。その時点で何かあると考えて十分で、ルーカスは苦笑を浮かべた。
その夜、ヨハンと共にルーカスはレヴィンが来るのを待っていた。当然見張りなどもいるのだが、一流と呼べる暗殺者だ。実にすんなりと部屋に侵入してきたことにもう苦笑しか出ない。
「もう少し警備しっかりしておいたほうがいいよ、ルーカス様。こっちも完全に憂いが晴れたわけじゃないんだから」
「お前レベルじゃなければ入ってこられないよ」
苦笑して招き入れ、緊張するヨハンの背中も叩いた。それでようやく、落ち着いて話し始めた。
「何か特別な話があるのか?」
問えばレヴィンが苦笑して頷いた。
「ユリエル様にしつこく毒盛ってる奴がさ、どうにも捕らえ切れてないんだ。ただ、ある程度は絞った。後はもうそういう奴らを集めて、現場を押さえようって事になったんだ」
「そんなに沢山いるわけ?」
ヨハンの呆れた声に、レヴィンは苦笑する。そして、数人の名前をあげた。
「ベネット・アチソン侯爵、ローレンス・バレット司教・マシュー・カールトン大臣。他にも数人疑わしい」
「そんなにか!」
そんなに沢山の人がユリエルを疎んでいたのかと思うと、途端に不安がこみ上げる。それほどの悪意が彼を取り囲んでいるのかと思えば、たまらない。
何が不満なのだ。他国の王と比べたって彼は立派だ。なのに…。
「これも暫定。ユリエル様が幼少の頃から国政に関わってきた人が怪しいっていうんで、上がったんだ。十歳そこそこから今の年まで変わりなくしつこく毒盛ってるんだから、ほんとご苦労だよね。いい加減諦めればいいのに」
「十歳からだって!」
思わず立ち上がり、憎らしく拳を握る。いっそ全員連れてきてその首刎ねればいい。そうすら思える。
レヴィンは苦笑するばかりで、多少緩く頷いている。
「ユリエル様の母君が毒殺だからさ。ユリエル様も幼少の頃に危ない事があって、それ以来体を慣らしてきたみたい。そのおかげで大量摂取しなければ体調崩す事はないって」
「当時調べたりしなかったわけ?」
「当然したさ。それでも掴めなかった。実行犯、依頼した人間、依頼した人間に依頼した人間、更に依頼した人間に依頼した人間…辺りまでは追えたって。でもそこから先が分からない。消されてる」
「うげぇ。なんて執念」
ヨハンがうんざりした様子で言うが、ルーカスにはそんな単純な話ではない。
ユリエルは平気だと言ったが、アルクースの言葉がとにかく気になる。ユリエルが年を取った時にこれらが響く。そんな事を受け入れていけはしない。
「…どうするつもりだ」
「ルルエとの和平交渉の場を利用したい。そちらの家臣団を招き入れる前日に、ルーカス様と数人の重臣を交えて昼食会を開く。その場で、こちらは隙を見せる。そこでそいつが毒を盛れば、分かる」
「乗ると思うか?」
「タイムリミット迫ってて、あっちも焦ってる。どうやらルルエとの和平交渉に反対みたいでさ、執拗になってる。ユリエル様の側はクレメンス将軍とアルクースが固めて食事も全部監視つけて、メイドも側に寄せないようにしてる。毒盛る隙がなくて、ヤキモキしてると思うよ」
機会を失った奴が焦り、どうにかと思っているそこに隙を作れば乗ってくるか。もしくは冷静にそこを避けるか…。
「なんで、昼食会の席では何か起こると思うけれど冷静に。焦ってパニックになるような人は避けてね」
「あぁ、分かった」
「そっちはどうなの? アンブローズの行方、分かった?」
それにはヨハンが視線を向け、頷いた。
「分かりやすい隠れ家は全部潰したよ。でもあの男は他にも隠れ家持ってるみたいだし、一部熱狂的な支持者もいる。そういうのが協力してて上手くはね。資金も絶ちたいんだけど、それこそため込んでたっぽい。ジワジワ追い詰めてるけれど…最後に目撃があったのは港だった」
「国外に逃げられたの?」
「かも。それならそれでいいんだけどさ。こっちにちょっかいかけてこなければもういい。でも、アンブローズファンもまだ残ってるかも。だから、そんなのも追っかけてる」
こちらもそう簡単な状況ではないが、今の所大きな混乱も危機もない。国内は更に安定し、タニスという国を受け入れている。
「まずは三ヶ月後、だな」
ルーカスは重く息をつき、そう呟いた。
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