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第171話 哀れな男
【ユリエル】
ルーカス達が城へと到着した。それを聞いて、ユリエルはクレメンスを連れて応接室へと入った。そこにいたのはルーカスとヨハン、キア、ガレスの四人だけだった。
「本日はようこそ。ルーカス殿、久しいですね」
多少他人行儀になったのは仕方がない。それというのもこの場にキアがいたからだ。
ルーカスは何故かキアに、ユリエルとの関係を明かしていない。側に置き、使者として立てるほどには信頼している人物にもかかわらず、秘密にしている。
何故かを問うた事がある。そうするとルーカスは困った顔で微笑んで「どうやら俺に恋慕があるらしい。まだ若いし、苦労もしてきた子だから今はもう少し騒がせないで欲しいんだ」と言われた。
そういう気持ちもあるのかもしれない。特にルーカスは優しいから、まだ若い少年の失恋に心を痛めるのかもしれない。それとも有能な人物が今、個人的な感情から動けなくなってしまうのが心配なのか。
どちらにしてもそこはルーカスの采配に任せる事としたのだ。
穏やかな様子で、ルーカスは立ち上がり近づいてくる。心持ち、とても心配そうに。きっと二人きりなら…少なくとも二人の関係を知っている者だけなら、もっと不安を露わにしたのだろう。
「本日はこのような場を設けてもらい、感謝している。少し、顔色が優れないようだが」
「大した事ではありません。気遣いなく」
穏やかに微笑み、大丈夫だとアピールするが、それでも彼の憂いを払う事はできない。困っていると隣のクレメンスが一つ進み出て、丁寧に礼をした。
「昼食会までは、まだ少し時間があります。よろしければ、庭などご案内してはいかがでしょうか?」
「庭?」
確かに時間はある。だが、この季節庭に花もない。一体どこを案内しろというのか。
だがルーカスは穏やかに笑った。
「あぁ、それは有り難い。お願いできるだろうか、ユリエル殿」
「えぇ」
誘われるように外に出て、二人だけでこれといった会話もなく城の中を歩く。チラリと見上げる表情は、やはり硬いような気がした。
「どこへ行きますか?」
「中庭に、毎日花を手向けていた碑があるんだ。そこに行きたい」
「中庭の碑?」
それは一つしかない。僅かにドキドキとしたまま、ユリエルは求められるままに案内をした。
中庭の碑は、ユリエルの母の墓。若くして死んだ、誇り高い女性のものだ。
並んで手を合わせたユリエルに、そっとルーカスは語りかけた。
「レヴィンから話を聞いた。幼い頃から、危険があったそうだな」
「えぇ」
「ここに眠る人もまた、同じ理由なのか」
「…おそらくは」
そうとしか答えがない。ユリエルもまた、つい先ほどまで犯人が分からないままだった。
「部下から怪しい者が判明したと報告を受けました」
「捕らえたのか?」
「いいえ。皆の前で、罪を問いたい」
「何故だ?」
「…私が知る限り、犯人と思える人物がこれほど執拗な殺意を私と母に向ける理由が分からないのです。それに、これまでも臣を断罪する時には人々の前でそれを問うてきました。何より、メイド一人の証言では…」
「言い逃れのできない状況を作る。それが欲しいのか」
ルーカスの声に、ユリエルは静かに頷いた。
会場から人を出したのは故意だった。その上でフェリスが、犯人を見ていた。その報告を受けたとき、ユリエルは疑問でならなかった。犯人にほぼ心当たりがなかったのだ。
今日呼びつけた者達はみな、古く母が生きていた頃から城に居続けた者だ。その年齢もかなり上になっている。中には激しく母を否定した者もいる。ユリエルはそういう者が犯人だろうと思っていた。
だが実際報告を受けた者の名は、一番考えていなかった者だ。あり得ないのではなく、印象になかった。それくらい、接点のなかった者なのだ。
「私の側はクレメンス、扉の外にグリフィス。隣接した給仕室にレヴィン、アルクース、軍医のロアールを控えさせています。そして、給仕のメイドに混じってフェリスという女性がついています」
「分かった。こちらも、ガレスを俺の側につける。ヨハンとキアは着席させる」
「分かりました。何かあれば直ぐに外に誘導しますから」
「気を付けてくれ」
気遣わしく、手に手が重なる。それに、ユリエルは静かに頷いた。
かくして昼食会は厳かに行われた。ユリエルは犯人を意識しないようにして、立ち上がった。
「この度は、両国の和平と発展の為、こうした場を設ける事ができた。長年緊張した状態が続いていた両国にとって、これは大きな一歩となる、記念すべき日となるだろう」
見回せば、ルルエの側は比較的穏やかに、だがタニス側は多少複雑な顔をする者もいた。ただ、もう彼らにユリエルを抑える力はない。主軸となった前宰相を失った時、その威を借りていた者も力を失ったのだ。
「正式な会談は明日からとなるが、その前にこれまで機会のなかった者とも顔を合わせ、親睦を深める意味でこの場を開いた。今日は大いに語らい、これからの未来をより鮮明に思い描けるような、そんな自由な場にしてもらいたい」
ユリエルがグラスを持つと、タニス側の臣も同じようにグラスを持つ。
金の足にクリスタルガラスで作られたそれは、周囲を同じ金の蔦模様で装飾されている。王家に伝わる、最も重要な客人をもてなす為のグラスだ。
全員の前に同じグラスが配られている。デザインも同じ物にワインが注がれ、それを全員が掲げた。
ただ一人、その手が心なしか震えている。当然だろう。
「両国の輝かしい未来と、今後も続く平和な世のために。乾杯!」
「「乾杯」」
全員が一斉に一口飲み込む。ユリエルも飲み込んだ。全員がなんの疑いもなくグラスのワインを飲み、笑みを見せる。
「…ベネット侯爵、どうした?」
一人の男だけが、中のワインが揺れるほどに震えたまま口を付ける事もできずにいる。小太りで腹が出っ張り、丸い団子のような鼻に肌の色が悪い禿げかけた男だ。
小さな目は見開かれ、動揺と恐怖に追い詰められた顔をしている。
「王の振る舞う酒に口を付けられない理由が、あるのか?」
「そんな事は…」
ベネット侯爵はたじろぎ、ガタガタと目に見て震え始める。これには周囲も何かを不審に思った様子で、事の成り行きを見ている。
ユリエルはゆっくりと近づいた。ベネットは、後退ろうと立ち上がったが、鈍い男でテーブルに背を向けて手をついてしまう。逃げ道など、どこにもないのだ。
「そのグラスが、恐ろしいか?」
「そんなことは…」
「毒でも入っている。そんな目をしている」
周囲がざわつき、ベネットの両隣にいた人物が立ち上がって距離を取る。ベネットだけがその場に取り残され、更に追い詰められて呼吸を荒くした。ゼェハァと繰り返す呼吸音だけが、妙に聞こえてくる。
「私にしつこく毒を盛っていたのは、お前か?」
「そんな事をした覚えは…」
「私の母を殺したのも、お前か?」
ゆっくりと問い詰めるその静かな声に、ベネットはあちこちをキョロキョロ見回す。小さな目が更に血走ったように余裕をなくしている。
ユリエルはゆっくりと、剣の柄に手をかけた。この場ではユリエルとルーカスしか帯刀を許していない。それが更に、ベネットを追い詰めていく。
距離をつめる。相手の反応によっては、いかようにも判断をする。大人しく罪を認めるというなら、取り調べて厳正に処罰をする。コイツの家の周りを調べてもいい。毒を作っていたのなら、何かしら痕跡が出るだろう。
「違うと否定するならば、その杯を飲めるはずだ」
ベネットの目が、一瞬グラスへと向かう。当然、コイツが毒を仕込んだグラスは下げている。ここにあるのは完全に安全なものだけだ。勿論中身も同じく、信頼出来る仲間が用意して、直前に給仕へと渡したものだ。
血走った目が、大きく見開かれグラスの足を持つ。ユリエルは身構えた。飲むならばそれでもいい、今は穏便にして後で追加の調査をするまでだ。
だが、それは違った。
「!」
ベネットはグラスの足を乱暴にひっつかむと、それをユリエルめがけてぶちまけた。とは言えグラス一杯のワインだ、服にシミを作る程度の事。クレメンスが咄嗟に立ち上がったがなんの事もないのだ。
だがこれが油断だったのだろう。ベネットはポケットに入れていたハンカチを取り出すと、自分の口にそれを押し込んだ。
「んうぅぅぅぅぅ!」
「!」
喉の奥まで布を押し込みもがく男は次に目を白黒させ始める。周囲に悲鳴が起こり椅子を倒す音が響く中、ユリエルは駆け寄って男の口からハンカチを引き抜こうとした。
だが、ベネットは抵抗するようにユリエルの手をひっかき、口に突っ込んだ手を噛む。痛むが、この男の口から聞きたいのだ。何故母を、何故自分をこんなにも狙ったのか。
宰相の側近をしていたというが、本人はそこに加担などしていない。臆病な男は悪事に手も染められなかったらしい。
ほんの一、二時間で調べた限りだが、やはりユリエルはこの男からなんの干渉も受けていない。悪意も善意も向けられた覚えがないのだ。
「ベネット!」
男の体が不自然に痙攣を繰り返す。まるで糸が絡まったまま無理矢理動かそうとするマリオネットのように、腕を、足を、胴を滅茶苦茶に跳ね上がらせている。
ハンカチを引き抜いたユリエルは、次に吐き出された血と、それと同時に嗅いだことのない妙な臭いに気づいた。
「人を外に出せ! 換気!」
「はい!」
バタバタと逃げる人、指示に従い窓を開け放つ人。だが誰も医者を呼ぼうとはしない。目に見えて、既に手遅れなのが分かるからか。
ユリエルもベネットから離れようとした。だがその胸を力一杯に下から引っ張られた。
「!」
ほんの僅か引かれて前に傾いた体。その頬に、生温かなものがべったりと触れた。男の指が、口の端へと入り込むほどに。
「悪魔め……」
白目を剥き、口から血と泡のようなものを吐きながら、ベネットの手は落ちた。そのあまりに壮絶な死は、さすがのユリエルでも凍り付いた。
「っ?」
内が、焼き付くような感覚に咳が出る。それは、一度出れば呼吸が難しいほどに溢れてくる。何かが喉を焼くように、もっと深い部分を焼くように苦しい。やがて、口の中に鉄の味が広がった。
「ユリエル!」
後ろから体を倒され、ユリエルは意識が朦朧とした状態で見上げていた。ルーカスが抱き上げ、側にあった水差しの水を押し込むようにユリエルの口に注ぎ込んでいく。苦しくて、吐き出して、それでも同じように水を飲まされる。もう嫌だったが、抵抗出来る力がない。
バタバタと、人の足音が歪んで聞こえる。声が、聞こえる気がした。焼き付くような痛みは、収まったのか感じないのか分からない。そのまま、意識は深く遠く沈み込んでいった。
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