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「あら、脩くん。早かったじゃない。ご飯食べるでしょ?」  玄関の開く音に気づいた母の恵美子が、驚いた表情で脩に近づいて来る。恵美子を背に靴を脱ぎながら、脩は眉間に皺を寄せた。脇に置いていた脩のビジネス鞄を恵美子は手に取り、脩の様子を監視するように見つめてくる。 「ただいま。食べるよ」  努めて普通の表情で、脇を通り過ぎ洗面所へと向かう。  恵美子の過保護振りには、ほとほと嫌気がさす。二十代半ばで、親に出迎えられて鞄まで受け取ってもらう息子など、滅多にいないだろう。それでも、やめて欲しいとは言えなかった。一人息子を奪われた恵美子の気持ちを考えたら、簡単には切り出せなくなってしまう。 ーーあなたまで失いたくないのよ  悲痛な叫びを思い出し、慌てて顔を洗う。見上げた鏡に映る自分の顔は、無表情で青ざめていた。  テーブルに並べられた、一人分の食事を前に脩は腰を下ろす。  今日は脩の好きな唐揚げをメインに、白米、味噌汁、インゲンの胡麻和えだ。あまり食欲は無かったが、残すと余計な詮索をされてしまうので、無理やり飲み込んでいく。  食事の用意が出来て、穏やかな表情をしているところを見ると、今のところ調子が良いのだろう。恵美子は兄を奪われて以来、お盆や年末年始などで帰省が近づくとヒステリックになり手がつけられなくなる。  道雄と恵美子は共に同じ村出身だ。祖父が神社の娘だった恵美子を道雄の嫁として当てがった。神のように崇められている、世良家の当主の言うことは絶対だ。  世間体は気にしているようで、帰省した際は恵美子はまるで別人のように笑顔で親戚と接している。行くまでと帰ってきた後が、脩にとっては地獄だった。  恵美子は目の前で頬杖をつきながら、脩の食事の様子をずっと見つめてくる。 「今日ね、買い物に行った時なんだけど‥‥‥新卒生なのかしら?新しいスーツ着た人が駅に沢山いたのよ。一年って早いものよねー」  居心地の悪さを感じながら食事する脩とは対照的に、恵美子はしみじみと今日の出来事を語り出す。 「そうなんだ」  いつものように、脩はそつなく返事をする。

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