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脩はあまりの事に頭が真っ白になる。耐えがたい恐怖に、息することも忘れていた。
「脩!はやく!」
道雄が再度、怒鳴った事で我に帰る。
脩は震える手でスマホを操作する、たった3桁の番号を押すのにかなりの時間を費やしたように感じられた。
激しい動悸に加え、血の気が引いて今にも倒れてしまいそうだ。一体何がおきているのか、状況が呑み込めない。
聞かれた事に震える声で答え、救急車を呼び出す。その間も、道雄は近くにあったエプロンで止血をしようと奮闘していた。
すぐさま救急車が到着し、恵美子は担架に乗せられ運ばれていく。
救急隊員に促され、脩も道雄と一緒に救急車に乗り込む。
「何があったのですか?」
救急隊員が恵美子の様子を確認しつつ問いかけてくる。
「妻が突然、ヒステリーを起こしたんです‥‥‥後ずさった時に、転んで後頭部を食器棚にぶつけまして――」
道雄は状況を説明しつつも、顔面蒼白なうえ唇を震わせていた。
「すぐに近くの病院に搬送しますので――」
二人の会話がまるで、遠くから聞こえてくる。言葉が右から左へと流れていって、とても理解できない。 恐怖に震るえる体を誤魔化すように、脩はただひたすら拳を固く握りしめた。
赤いランプが点灯し、廊下を赤く染めていた。
とっくに、病院は診療時間を終えていて人の気配が感じられない。
不安を抱えたまま、脩と道雄は処置室の前の長椅子に腰掛けていた。
脩は何度も、遅々として進まない時計を見上げる。
「なんであんなに‥‥‥母さん暴れたの?」
怪我するまで暴れたのは、初めての事だった。いつもなら家事を放り出し、悄然とした表情でボヤいたり、泣き出したりするぐらいだ。
「美世の禊の日が、決まったんだ」
思わず、時計から視線を外し道雄を見つめる。道雄は複雑そうな表情で、肩を落としていた。
美世とは兄の清治の子供で、脩にとっては姪にあたる。美世が喋れる歳になると、力があることが証明され将来有望だとまで言われていた。
「禊って……。どういうこと?」
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