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 翌朝。秋良は一旦はアパートに戻ることになった。  解約はしてしまっているので、一ヶ月後にはそこを出なければいけないようだ。想像していた通り、役目を終えたら実家に戻るつもりでいた。そのため、家具はほとんど買っていない。スーツケース一つ分しかない荷物が、秋良の身の上を語っているようだった。  空の部屋の中で、秋良は一体何を思い、どう生活していたのだろうか。考えると心の底が凍てつくように、寒々とした気持ちが込み上げてきてしまう。  脩もさすがに帰らないわけには行かず、秋良に用が済んだらそっちに行くと何度も念を押してから二人は別れた。  焦る気持ちを持て余しつつ、実家に急いで向かう。まだ早い時間にも関わらず、容赦なく夏の日差しが照りつけてくる。額から汗が流れ落ち、夏の暑さに辟易する。それに加え、実家に歩みを進めるにつれて心臓が早鐘を打っていく。緊張のあまり、気づけば唇を強く噛んでいた。  実家に着くと、脩は深呼吸をしてから扉を開ける。これから、本当の戦いが始まるのかと思うと吐き気が込み上げてくる。それでも、秋良と離れる方は何よりも嫌だった。覚悟を決めると、「ただいま」と声をかけ、脩は玄関を上がっていった。  ダイニングの椅子に腰掛けている渋い顔をした道雄と、悄然とした表情の恵美子に向き合うように、脩も椅子に腰を下ろしていた。恵美子の頭にはまだ、白い包帯が巻かれていて痛々しい。  脩は緊張からか、喉が詰まったように苦しくなる。割れている食器棚が、生々しく前回の惨状を刻みつけているようにそこにあった。 「冴木さんから、大体の話は聞いてる。ケガはないか?」  沈黙を破るように、低い声音が部屋に響く。道雄が話を切り出した事で、余計に緊張感が張り詰めたように感じる。 「……うん。大丈夫」  脩はゆっくりと言葉を返す。道雄はそうかと溜息と共に言葉を吐き出す。 「脩くん……なんで、行っちゃったの? これじゃあ何のためにこっちに越してきたのか分からないじゃない!!!」  恵美子の絶叫に近い声に、思わず脩の体が震えだす。過去にも恵美子は、まだ幼い脩を強く揺さぶっては恐怖を植え付けてきた。大きくなった今でもその恐怖はこびり付いていて、脩の心を蝕んでいた。

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