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鷹栖に初キスを奪われて約一ヶ月が経過した放課後。 夏生はいつも通りベンチで彼の枕代わりにされていた。 「ん」 膝ではなく肩に落ちてきた鷹栖の頭。 ちらりと目線をやれば一匹狼先輩の無防備な……無防備と言うには少々険しげな寝顔が視界いっぱいに広がった。 眉間に刻まれた複数の皺。 意外にも長い睫毛。 うっすら開かれた、乾いた唇。 ち、近い。 膝よりも顔と顔の距離が当然近くて、初キス奪われたこと、思い出す。 ううう、思い出すとどきどきする。 だめだめだめだめ。 からかわれてるんだから、ヒマ潰しなんだから。 先輩も俺も男だし。 こんな時間がもっと長く続けばいいなぁ、って、思ったら、だめだ。 自分から早めに切り上げないと。 おれ自身が先輩に本気になる前に。 「鷹栖先輩」 夕方の五時過ぎに目が覚めて関節をバキボキ鳴らしている鷹栖に夏生は思い切って口を開いた。 「あの日、おれを助けてくれた先輩に恩返し、したいんです」 欠伸の名残で目元に滲んだ涙を拭っている鷹栖の横顔に勇気を振り絞った。 「恩返し、したら、それでもう……チャラにしてほしいっていうか……こういうの……やめてほしいと思って」 「処女」 思わずポカーンしている夏生に鷹栖は続けた。 「お礼はお前の処女でいい。それ以外は却下だ」 「……」 「こういうの、迷惑だったか、お前」 「め、迷惑っていうか、その……遊びで振り回されるの、キツイから……こんな風にからかわれるの、おれ、慣れてないんです」 「夏生」 鋭い呼び声に夏生は免疫がなかった頃のようにビクッとした。 鋭い爪さながらに心臓に喰い込む獰猛な視線を今初めて直に目の当たりにした。 「俺は本気をはぐらかされるのが一番嫌いだ」 翌日の昼休み。 夏生は裏庭へ行かずに教室で久しぶりに友達と昼食をとった。 「おんちゃん、三年の最強パイセンに付き纏われてたよね!?」 「昼休みも放課後も呼び出しくらってたじゃん、今日は大丈夫? もう解放されたっ?」 クラスメートの問いかけを曖昧な回答でやり過ごし、夏生はいつになく味気なく感じられたお弁当を半分残して蓋を閉じた。 午後の授業が開始された。 休み時間、鷹栖が一年生フロアに姿を現すことはなかった。 夏生は放課後も裏庭へ寄らずに真っ直ぐ家へ帰った。 この一ヶ月で鷹栖に会わない学校生活を過ごしたのは初めてのことだった。 最初はただ命令に従って裏庭へ向かっていた。 最近では、授業終了のチャイムが鳴れば、帰りの挨拶が終われば、誰よりも先に教室を出て。 同級生がちらほらいる廊下を走り抜けて、階段を駆け下りて、急いで革靴に履き替えて……。 鷹栖先輩に早く会いたいと思った。 『走ってきたのか、慌ててコケるんじゃねぇぞ、夏生』 渡り廊下や通学路で偶然会えたら、嬉しかった……。 『夏生、次はどの蕾が開くと思う』 雨が降り出した。 自室のベッドに制服のまま寝転がっていた夏生は徐々に強くなる雨音をぼんやり聞いていた。 鷹みたいな目をした一匹狼先輩が羊の群れに簡単に溶け込む一際平凡な奴に本気になるわけがない。 だから、いるわけない。 本気じゃないから、冗談だから、あのベンチに座ってるわけがない。 先輩が雨に濡れながらおれのこと待ってるわけがない。 満遍なく濡れた緑が涙するように次から次に雨滴を滴らせる。 「夏生」 ベンチに座ってびしょ濡れになった一匹狼。 居ても立ってもいられずに自宅から学校へ駆け足で戻ってきた平凡羊はビニ傘片手に目を見開かせた。 慌てて駆け寄って傘を差し出してきた夏生を見上げて鷹栖は言う。 「未練たらしく待った甲斐、あったな」 全身に雨を纏った上級生は今にも泣き出しそうな下級生の片手を握りしめた。 「鷹栖先輩」 「真っ直ぐなお前、逃がしたくねぇ」 濡れながらも熱く力強い掌に容易く捕らわれて夏生は思わず傘を取り落した。

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