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第2話 2

「兄の、知り合いの方ですか……?」 「兄?」 「俺は井上南。井上平の弟です」  一瞬呆けた顔をした男は、よろけるように南から離れる。急に走り出して、マンションのベランダ側の道路に飛び出した。夜とはいえ、交通量は少なくない。何が起こっているのかはわからないまま、南は後を追った。車道の真ん中で、男はマンションを見上げて叫ぶ。 「たいらー!!」  兄に向かって叫んでいるのだろうか。しかし、この風と雨では声が届くはずもない。それでも、必死に叫んでいた。何度も、繰り返し。時折嗚咽が混じり、男が泣いているのだとわかった。  驚いて動けなかった南は、車のクラクションで我に返った。マンションだけを見据える男に走り寄り、腕を引いて無理矢理歩道に倒れこんだ。 「兄に用があるなら連絡します! 今家にいますし、入れてもらいましょう!」 「あの女がいるところに行けるかよ!」 「家が嫌なら出てきてもらいましょう?」 「出てくるかよ! 俺が死にでもしない限り、あいつは出てこないし、出てきたところでなんもわかんねんだよ! 目の前で死んでやらねぇと!」 「死ぬって……あなた一体」  起き上がって、再び道路に飛び出そうとする細い体を抱きしめる。全身を使って必死に押さえつけなければ、この男は本当に死んでしまいそうだった。力で叶わないとわかった男は、押さえつけられたまま叫びだす。それは兄への恨み言で、南は初めて聞く憎しみに満ちた言葉が怖かった。男を止めるときに放り出した傘は風で飛ばされてしまって、南は恐怖と雨の冷たさに震えていた。 「いい加減離せよ」  気がつけば男は叫んでおらず、静かに南を睨みつけていた。 「はな、離したら、し、死ぬんですか」 「死ぬよ」  男は笑う。雨と混じってしまってわからないが、今、涙が光った気がした。 「それなら、離せません……!」 「そう。なら、一緒に死ぬ? 一緒に車に轢かれる? どこかから一緒に飛び降りる?」 「できません……!」 「平は弟可愛がってるもんなぁ。その弟が死んだら後悔すっかな。結婚どころじゃねえよなぁ。……お前、死ぬ? 死ねよ」  怖かった。冗談でも、これまで生きてきて、死を望むような言葉を浴びせられたことはなかった。 「は、い」 「は?」  はい、などと、どうしてそんな間抜けな答えをしてしまったのかわからない。男が傷ついているのはわかったから。自分がそう答えれば、男が何か、救われる気がして。 「はいってなんだよ! お前俺んこと知らねぇだろ! なんで知らない奴のために急に死ねるんだよ! 馬鹿か! お前やっぱり平の弟だな! 口先だけ調子のいいこと言って」  そこで、男は黙って、少し考えるようなそぶりをする。 「なあ、そんなに俺が心配?」 「心配、です」 「だったら、着いてきてくれるよな?」 「どこに、ですか?」 「俺ん家。送ってくれるよな?」  頷くしかなかった。男の家はそこから一時間以上も歩いたところにあった。男がいつ道路に飛び出すかわからないから、ずっと手を繋いでいた。何も話さなかった。寒さからか、男が震えていることは繋いだ手から伝わってきた。  マンションに入ろうとしたところで、南は初めて口を開いた。 「死なないで、くださいね」  そう言って手を離そうとしたが、逆にぎゅっと握られた。 「部屋まで」 「は、い」

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