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第3話 1
放課後、音楽室に向かう。今日は部活がないから、音楽室は空いているはずだ。レッスンの時間まで練習で使わせてもらおうと思っていた。南が所属する吹奏楽部の顧問は音楽室奥の準備室にいる。一声かけて、楽器をケースから出したところで、防音扉が動いた。様子を窺うようにゆっくりと開く。
「どうぞ」
南の声で一瞬びくりと閉じた後、またゆっくりと開く。
「練習のお邪魔をしてすみません、先輩」
「いや……、でも、今日は部活ないだろ? 先生に用事?」
「あ、いえ……。あの、先輩に少し、お話があって」
後輩の木野は南と同じパートだから、あまり後輩や先輩との付き合いがよくない南でも、よく話す方だった。
「先輩、今年のコンクールに出ないって本当ですか?」
言いづらそうに、木野は目を伏せる。木野はおさげ髪に膝下のスカート、か細い声で話す控え目は少女で、あまり南の事情を聞いてくることは、これまでなかった。
「誰かに聞いた? あ、浅海さんには言ってたからか」
「はい……。井上先輩は出ないから、はりきって一年生を入れなきゃ駄目だよって……」
浅海というのは、同じパートの南と同学年の女子で、なかなかおしゃべりである。快活に話すから、好ましい人物ではあるのだが。
「そうだね。俺と浅海さんは三年だし、二年生は木野さんだけ。浅海さんはコンクールまではいてくれるけど、その先を考えると最低でも二人は入ってほしいよね」
木野の性格を考えると、浅海に頑張って引っ張ってきてもらうことを託すしかないか。
「が、頑張ります。でも、違うんです」
「違う?」
「あ、いえ、違うわけではないんですけど……っ」
木野の言いたいことがわからない。何から言えば良いのか、と慌てているように見える。
雪平に、よく「普段はクール」と言われることがある。自分の雰囲気が木野に話しにくいと感じさせてしまうのかもしれないと思った。
「ゆっくりで大丈夫だよ」
少し口角を上げて言ってみる。木野はそんな南を見て、泣きそうな顔をする。
「先輩と、もっといっぱい演奏したかったです……!」
まっすぐにそう言ってくれる人は多くないと思った。決して人数の多くない吹奏楽部で、自分の受験のために時間を使いたいという理由でコンクールに出ない。それは、裏切りのようだと思った。
木野はただ項垂れる。その細い項を見ながら、南は「ごめんね」と小さな声で呟いた。
◇
忘れ物があるから届けてほしい、と兄の平からメールが来たのは翌日のことだった。この前実家に訪れたときに仕事で使う資料を忘れてしまったらしい。放課後で良いので届けてほしいとのことだった。朝学校に持ってきて、それを学校帰りに届けることにした。
一時間ほど電車に乗って、平の勤める会社に行く。電車の中からこれから行くことをメールすると、会社近くのカフェで待っていると返信があった。
駅から会社までは徒歩十五分ほどで、途中桜並木がある。家や学校の近くの桜はすでに散ってしまっていたが、ここは八重桜だから今が花の盛りである。重たそうな花を風に揺らしている。それを見て歩きながら、雪平と花見がしたかったな、と考えていた。南は初めて雪平と迎える春が待ち遠しかったから、開花のニュースを見て真っ先に誘ったのだが、花粉症を理由に断られてしまった。相変わらずの引きこもりである。
大学も近くにあるためか、会社近くのカフェのオープンテラスでは、桜を楽しんでいる学生の姿がちらほら見える。その中に兄の姿を見つけた。見覚えのある後ろ姿と一緒に。
少し動揺しながらも店員に断ってから兄の待つテラス席に着く。
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