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第3話 2

「ありがとな。コーヒーでいい?」 「え、あの、いいよ、すぐ帰るから」 「コーヒーくらい飲む時間あるだろ」 「兄貴は、今仕事中じゃないの?」 「休憩中」  休憩中に、どうして。 「雪平さんが、どうして」  兄の平と一緒にいたのは雪平だった。南が来ることは平から聞いていたのだろう。驚いた様子はなかった。平静ではないのは自分だけだとわかった。  だって、てっきり兄と雪平はもう関わりを持たないと思っていたから。 「こいつは休憩中みたいだけど、俺は仕事。じゃなきゃ出るかよ」  マスクをした雪平は鼻を啜る。 「仕事? 雪平さんほんとに仕事してたんですか?」  南の素直な疑問に、平はコーヒーを吹き出す。 「う、うける! お前ニートの引きこもりだと思われてんぞ」 「うっせーよ。平の教育が悪いんだろうが」  会話している。普通に。いたって普通に。 「おーい、南どうした? お前変じゃね?」  平が顔を覗き込んでくる。  だっておかしい。平はあんなに、雪平を傷つけていた。雪平はあんなに傷ついていたのに、どうして二人とも普通なんだ? 「なんでもない。雪平さんが外に出るのが珍しいから、驚いただけ」 「ああ、そういうこと。確かに、俺と会うのもいつも芳野ん家だったもんな」 「うっせー」  少し、雪平が気まずそうな、南の顔色を伺うような視線を寄越した。  ああそういうこと。雪平さんの家でセックスしてたってこと。 「もうずいぶん来てねぇだろうが」  そうやって付け足すように言うのは、もうやってないっていう言い訳? そんなこと、俺にする必要ないのに。 「芳野が来るなって言うからだろ。おかげで仕事が滞る滞る。来るなって言いながら出てもこねぇんだから」 「ちゃんとやってデータ送ってんじゃん」 「データだけじゃねぇだろって。お前仕事選びすぎ」 「うっせー」  早く用事を済ませて立ち去ろうと思った。幸い今日はレッスンだ。練習のときはほかのことは何も考えずに集中できるから、気もまぎれるだろう。 「兄貴、これ忘れ物」 「ありがとな」  早くコーヒーを飲んでしまおう。 「南はよく芳野の家に言ってるんだよな? ほんとにお前芳野が何やってるか知らねぇの?」 「知らない」 「防音室借りに行ってるって言ってたじゃん。防音室にピアノがあってその他もろもろ機材揃っててー」 「平」  雪平が平の言葉を遮る。 「南もうレッスンの時間だろ? 引き止めんなよ」  知られたくないのか、自分には。レッスンのことなど、雪平は気にしたことなんてなかったのに。 「ありがとう、雪平さん。兄貴も、コーヒーありがとう。仕事頑張って」 「おー」  いつも明け透けな態度で接してくる雪平に、初めて見えない壁を作られた気がした。  ◇  翌日家を訪ねると、雪平は珍しくベッドから起き出していた。 「珍しいですね。昨日といい、今日といい」  無造作に置かれている段ボールを解体しながら、ソファに寝そべって雑誌を見ている雪平に言う。 「最近あったかくなったからな。花粉は嫌だから外には出たくないけど」 「兄貴と会うためには出るのに」  はっきりと言われるとは思っていなかったのだろう。雪平は起き上がってこちらを向き、目を丸くしている。 「なんて言ったら、嫌なやつですね」 「え、いや」 「ごめんなさい。嫉妬しました。嫉妬したし、よくわからなかった。雪平さんは兄貴と会っても平気なんですか?」 「もう、割り切ってる」 「あんなに」  泣いていたのに。死んでやるって言ってたのに。 「……割り切るって、やっぱり好きだから、もう結婚してても関係ないってことですか」 「は?」  明らかに怒りが滲む声だった。 「恋愛対象は兄貴で、俺はただ家事をしてくれる都合のいい存在ですか」 「南、こっち向け」  強く名前を呼ばれて、今自分が雪平の顔さえみずに吐き捨てたことに気がついた。はっと顔を上げると、雪平はこちらを睨んでいた。 「平のことは何とも思ってない。南のことが今一番好きで、都合のいい存在なんかじゃない……そう言えばお前満足なの?」 「ごめんなさい。気にしないでください」 「謝ってほしいなんて思ってない。満足なのかって聞いてんだよ」  黒目勝ちの大きな瞳がまっすぐにこちらを見ている。

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