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第3話 6
◇
「え? ピアノ? 今更?」
雪平さんはピアノが弾けたんだねと兄に言ったら、呆れられた。
平は若菜と結婚式の準備で喧嘩したとか言って、昨日から実家に帰ってきていた。その際に、南は初めて雪平のピアノを聴いたと言ったのだ。
あれから一週間ほど経つが、雪平はいつ行ってもいつものようにベッドで丸くなっている。やはりあのピアノを弾く姿は幻だったのかと思ったが、平に言わせると雪平がピアノを弾く姿を南が見たことがなかったことの方がありえないことだったようだ。
「あいつガキの頃は天才ピアニストとか言われてただろ」
「知らないよ」
「ま、そうだよな。お前テレビ見ねぇし、芳野も別にピアノでプロになったってわけじゃねぇしな」
そんなことはいいから早く若菜さんと仲直りしなさいよ、と一緒に食卓を囲う母が平に言う。平はそれをはいはいと流す。
それにしても、南は思う。我が兄ながらなんと清々しく雪平のことを話すのだろう。兄と雪平の関係は雪平からしか聞いていないが、雪平が嘘を吐くとは思えない。しかし、本当なのだろうかと今更ながらに不思議になるほどに、平は平然と雪平の話をする。
「芳野は何もお前に話さないんだろ? 仕事のこと。知りたきゃネットで調べろよ。すーぐ出てくるから」
「いいよ。雪平さんが俺に話したくないなら、俺が勝手に調べたり兄貴に聞いたり、そういうのは良くないだろ」
「そーか? ま、いいけど。お前は芳野にお熱なんだと思ってたからさ」
「え、この子が誰かにお熱!? どこの女の子!? 部活の子!?」
母が嬉々として話に入ってくる。
「男だよ、芳野は」
平が呆れたように言う。それが無神経に感じて少し苛つく。男は相手に入らないと平が思っているのを感じたから。
「同性だからって好きにならないとは限らないよ」
思わず言い返したら、平と母が固まり、箸を落とした。
「お、お前、まさか芳野と……」
南は答えず、そのあとは黙々と食事をした。
食事が終わってから部屋で譜読みをしていると、ノックが聞こえ、返事をする前に平がずかずかと入ってきて、ベッドに腰を下ろした。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃねぇよ。単刀直入に聞くけど、お前俺と芳野のこと知ってんだな?」
「……知ってるけど」
「はぁ。芳野、普段口固いんだけどな。まさか南に喋るとは思わなかった」
平が溜息を吐く。
「たまたま知っただけで、雪平さんが話したくて話したわけじゃないよ」
「まあ俺と芳野のことはいいとして、南は芳野とどういう関係なんだよ?」
自分と雪平のことはいいとして、と言うのはいかにも平らしい、雪平としていたことが大したことでないような言い方だ。
「……俺が雪平さんに片思いしてるだけだよ」
「なんでそんなことになんだよ……。南、いつから男が好きになったんだよ」
「別に同性が好きってわけじゃないけど」
「じゃあ何、芳野が女よりもいいって?」
「そういう言い方……」
「話逸らすな。説教はあとで聞くから」
雪平が女性よりもよかったとか、そういうことではないのだ。南は女性と付き合ったことはないが、だけど、女性と比べて、例えば木野と比べて雪平の方が好きだと思ったりしたわけではない。ただただ、芳野雪平という存在に触れて、好きだと思ってしまっただけなのだ。
「わかんないよ。ただ、雪平さんが好きって思っちゃっただけなんだから」
「あっそ。そんな曖昧なもんなら、そのうち冷めるな。なら安心だ。芳野にもそう言われてるんじゃねぇの? だからしょっちゅう会ってても芳野は自分のこと何も言わねぇんだろ」
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