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第2話
暗い道を地図で確認しながら、敏樹は初めて入るビルへたどり着いた。派遣会社に電話で夜勤の依頼をすると、いままでの職場ではなく、新しい職場となったのだ。
受付で名乗ってしばらく待つと。ひとりの男性がやって来た。
「はじめまして。高塚敏樹 さんですね」
あっ、派遣会社への電話で聴いた声だ。
「自分は沖 と言います」
その名前も聞いていた。派遣会社から紹介された、この職場の責任者のひとだった。しかしまだ若い……樋口さんと同じ、30代半ばか? 眼鏡を掛けた、知的で落ち着いた容貌をしている。
「ここが情報入力を行なってもらう作業室です」
案内されると、幾人かが作業中なのだろう、タイピング音が響いている。
「まず、書類記入をお願いします」
沖と向き合ってソファに腰かけた。ここの責任者さんも、良い感じのひとだな。ほっとした敏樹が、手渡された書類に職歴などを記入していると。
突然、バタン、と扉が開く音が響いた。
「こら、南雲さん、また遅刻ですよ」
沖が叱りながらも苦笑する。
「はーい。ごめんなさーい」
幼稚園児のように謝りながら入ってきたのは、小柄で、髪の毛がぼさぼさの、年齢不詳の男だった。思わずボールペンの動きを止めた敏樹に、沖はその男を指して、ゆっくりと言った。
「彼は、南雲崇 さん」
紹介された男も、敏樹をしげしげと見つめて、ぺこりと頭を下げた。
「そうだ、高塚さんと南雲さんはシフトが同じでしたね。ここはアルバイトや派遣社員の方が多く。まず、ひとの出入りが激しい職場ですが……南雲さんは長く働いてくれている社員のひとりです。高塚さんも不明な点が出てきたら、まずは南雲さんに訊いてみて下さい」
書類を確認しつつ、南雲、という人物について沖は長々と語る。新人の敏樹に先輩の名前を覚えてもらうためだろうか。
「そんな褒め称えないで下さいよ」
南雲は沖を軽くど突くと、敏樹の元へ寄って来た。
「ええっと、高塚、さん? これからよろしくお願いしまーす」
また子供のような挨拶をして、掌をにゅっと差し出して来た。一瞬戸惑ったが、敏樹も手に持ったペンを机上に置いて、これから先輩となる南雲と握手を交わした。
「おつかれさまでーす」
業務が終わると、南雲はタイムカードを押し、軽い挨拶を投げて、さっさと帰ってしまった。
まぁ、偉そうにべらべら説明してきたり、しつこく呑みに誘ってくる先輩よりは良いか。沖さんとも仲良さそうに喋っていたし。敏樹もタイムカードを押した。
出入り口が分からずうろうろしていると、薄暗い廊下に、物置きのようなコーナーを見付けた。「喫煙所」と看板が貼ってある。上半分がガラス張りになっていて、中には誰か居る。それだけなら、敏樹はその場を通り過ぎていたが。
(あれは……沖さんと、南雲さん?)
服装、髪型、体格……。目を凝らすと、確かにそのふたりだ。向こうは敏樹の存在に気付いていないが、敏樹はしばらく息を止めた。
喫煙所の中でふたりは抱き合って、長い時間、濃厚なキスを交わしていたから。
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