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【本当に美しい国だった】 志生帆 海

あの満月が欲しかった。 切り裂いてでも、オレの物にしたかった。 灼熱の太陽。乾いた空気。砂漠の熱風。 刀に必死に手を伸ばす。 だが砂のように零れ落ちて、もう掴めなかった。 **** 「パドゥル!どこにいるの?」 「母さん!」 「もう心配かけて、まぁこんなに汚れて」 「へへっ遺跡で隠れん坊してた」 「駄目よ。一人で行ったら」 「はーい」 僕の故郷は美しい国だった。 砂が吹き荒れることの方が多い渇いた砂漠の国だったが、大好きな父と母と妹と過ごせる楽園でもあった。 町の外れには見上げるほど巨大な古代遺跡が建ち並び、夕暮れ時には僕の足元まで長い影を伸ばしてきた。 首都の町は刀剣産業で有名で、僕の父さんも刀づくりの職人をしていた。 「パドゥル帰ったのか。このやんちゃ坊主め」 「父さん!あの刀を見せて」 「あぁこれか。お前はこれが本当に好きだな」 この街で製造される刀剣は、鋼をも突き刺すことができると評判で、古来から数々の伝説が残っていた。 いつも見せて欲しいと強請るのは、僕と同じ名の付いた短い刀。父さんのお爺さんの時代に作られたもので、「バドゥル(満月)」という名がついていた。 「この名刀の名が満月だなんて不思議だ。私だったらもっと切れそうな名にするのにな」 父さんはいつも悔しそうに呟くが、僕はそう思わない。この刀に相応しい名だと思うよ。 刀は人を斬るものかもしれないが、戦いで自分の命を守るものでもあるから。そう思えば夜空に浮かぶ満月が、命を守る盾のようにも見えてくる。 僕もこの刀のように、鋼をも突き刺せるような強い男になりたいといつも願っていた。 父の逞しい声で目覚める朝。 学校で友達と笑いあう午後。 遺跡広場で遊ぶ放課後。 小さな家で家族全員で食事をする夕刻。 妹と手を繋いで眠る夜。 はだけた毛布を母がなおしてくれる真夜中。 こんな幸せな日々が永遠に続くと信じていた。 この世界が破壊される日が近づいているなんて思いもしなかった。 まだ12歳の僕から見える世界は明るく輝いていて、内戦の足音は全く聴こえなかった。 僕は明日のことなど、本当に何も知らなかった。 **** 今、僕の目の前は炎の海だ。 「逃げなさいっ!」 父の怒声で我に返った。 夜明け。 暁色の空が世界を染め始めるこの世で一番美しい時刻に、政府軍による爆撃は無差別に僕たちの町を襲った。 空から降って来るのは恵の雨なんかじゃない。命を奪う爆弾だ! 何故?信じられないよ!こんなの嘘だ! 僕たちの家はあっという間に爆風に吹き飛ばされ、目の前で父は爆撃をまともに浴び、血を溢れさせた。 「…パ…ドゥル…」 父の手から最期に受け取ったのは、あの満月の刀だった。 母は僕と妹の手をひいて、遺跡の広場へと逃げ込んだ。だが爆撃は続き、空から次々と爆弾が降って来る。 同時に地上が燃えていく。僕たちの町が…古代の遺跡が!もう一面炎の壁で、このままでは焼け死んでしまう! 僕が愛した古代の遺跡が、今は僕を襲う凶器となって襲い掛かって来る。天を貫いていた柱が、ぐらりと火を噴きながら揺れた。 「危ない!」 母が渾身の力で、僕を突き飛ばした。 「生きてっ!」 「母さんー!!」 僕はそのまま遺跡広場の階段をゴロゴロと転げ落ち、その後すぐけたたましい騒音が鳴り響いた。慌てて駆け上がると、さっきまで生きていた母は、遺跡の太い柱の下敷きになっていた。 あの優しくて綺麗だった母は、人間とは思えない無残な姿になっていた。いつも手を繋いであげた可愛い妹は、母のお腹に戻ったように母に包まれて死んでいた。ただし恐怖で引きつった顔のまま。 なんだ…これは…この光景は…。 「嘘だ…そんなー!」 耐えられない!これが地獄というものなのか。僕が愛した世界は一夜にして消え、僕を愛してくれた家族はもういない。 このまま焼け死んでしまいたい…僕も皆のところへ行かせてよ。 **** 「…酷い惨状だ」 「セイフ、もう行こう。これ以上は目の毒だ。俺たちも危険に晒されるぞ」 「あぁ、でもルーカスちょっと待ってくれ。あそこに誰かいないか」 「まさか、この地区はもう壊滅した」 破壊された古代遺跡は凶器となり、善良な市民を襲った。一瞬にして瓦礫(がれき)の山となり、炎は空高く燃え上がり、まるでそこは灼熱の地獄絵のようだ。 その中に確かに小さな男の子が蹲っていた。 「少年がいる!停めろ!」 乗っていたジープを飛び降りて、オレはその少年の前に駆け寄った。 「君っ大丈夫か」 「近寄るな!人殺し!」 胸にきつく刺さる言葉だ。反体制派と政府軍で争っている場合ではないのだ。もはや…同じ血が流れる同じ国の人間同士が殺し合い、一般市民をこうやって巻き込んでいるのだから。 「…オレたちが憎いか」 「憎い!」 少年の近くには母親と妹らしき死体があった。おそらくこの子は、先ほどの爆撃で家族を失った孤児だ。 「憎いなら来い!生きろ!」 少年ははっとした表情を浮かべ、オレのことを見つめた。 「髪が…銀色…綺麗だ…」 夜明けの風に、オレの髪が(なび)く。 もう火柱が立ち、辺り一面火の海だ。これ以上ここにいては、巻き添えをくらう。 「さぁ行くぞ!」 「うわぁ!」 少年を強引に片腕に抱き上げ、銃を片手に火の海を一気に駆け抜けた。 「セイフ、こっちだ!」 相棒のルーカスが待つジープへ飛び乗り、立ち去った場所を振り返ると黒煙が上がり霞んでいた。 「危機一髪だったな。セイフ大丈夫か。その少年も無事か」 「あぁ…大きな怪我はないようだ。お前、名前は?」 爆風で傷ついた身体、警戒心剥き出しの少年の顔は、眼の前で親を失くしたばかりというのに、しっかりとした面構えだった。どこか凛として頼もしいとすら思えた。 「僕はバドゥル…」 「へぇ満月か」 「あんたは?」 「オレはセイフだ」 「はっ…」 少年は傷だらけの顔を苦し気に歪ませた。その小さな手に何か握りしめていた。 「何を持っている?」 「…セイフ…あんたさ!」 「え?」 意表を突く答えだった。オレの名の『セイフ』とは、刀剣の意味を持っている。 **** あれから8年という長い月日が経っても、この国の内戦は終焉を迎えることはなかった。12歳で両親と妹を内戦で失い孤児となった僕も、もう20歳だ。 この8年間、よく生き長らえたと思う。 僕はあの日助けてくれたセイフたち反体制派のグループと共に生きる道を選んでいた。 反体制派のリーダー的存在であるセイフ。 銀色の髪と青い目の彼は、かつて僕の国を統治していた欧州の国とのハーフという噂だった。彼の生い立ちは知らない。外見上明らかに場違いの彼が何故ここにいるのかも分からない。 だがあの時僕を炎の中から抱き上げてくれた逞しい腕。炎の中を駆け抜けた凛々しい姿が、いつまでも忘れられない。 こんな闘いがなければ、僕は孤児にならなかったのにと、セイフたちを恨んだことも国を恨んだこともあった。 だけど僕は…命を救ってくれたセイフのことを憎み切れなかった。 だから共に生きる道を選んだ。 **** 珍しく夜まで一度も戦闘がなく、いつになく穏やかな日だった。朝から気分がいいのは、今日が僕の誕生日だということもある。 家族を亡くしてから、誰かに祝ってもらうことなんて一度もなかった。だけどこんな日はいつもの集落を離れ、小高い丘に駆け上りたくなる。 そう…天国に一番近い所へ行きたくなる。丘の上にある1本の樹が、僕が僕を祝う場所。ここがいつもの定位置だ。 そこまで近づいて、はっとした。何故かそこにセイフが座っていた。 「なんで…セイフが」 「なんだパドゥルか。どうしたこんな場所に?」 「え…別に」 「いいぜ、来いよ」 今日のセイフは少し変だ。どこか沈んでいる?いつもは逞しいまでのリーダーシップを放っているのに。 「どうかしたのか」 「んっちょっとな…」 「僕に話して」 「はっお前にか」 セイフは意外そうな顔をして、肩を揺らした。 「笑うなよ。僕はもう大人だ」 「そうか…いつの間に大きくなったな。オレも歳を取るわけだ」 「セイフは今何歳?」 「もう30歳だ」 「見えないな。僕の外見はもうすぐセイフを追い越しそうだ」 「ははっ確かに、背もガタイも良くなったな。お前、昔はあんなに小さかったのに」 そういって僕のことをじっと見つめるセイフを、僕も見つめ返した。 セイフの髪は銀髪なのに、今日は夜空を映して紺碧色に見える。サラサラの髪が夜風にはためいて綺麗だ。 肌は僕たちみたいな褐色ではなく、欧州の血のせいか白く滑らかだ。こんな砂漠暮らしなのに、いつもしっとりときめ細かなのが不思議だ。 僕の大好きなセイフの目じりのほくろを、そっと盗み見た。本当にセイフの顔は美しい。女性と比べるとかそういうレベルではなく、戦いに明け暮れている男どもとは違う、澄んだ光を纏っている。 「なんだよ、じっと見て。照れるな」 そう言ってセイフはぷいっと背中を向けてしまったので、僕も腰かけて彼の背中に自分の背中を合わせてみた。 砂漠の空気は夜になると冷えて澄み渡り、頭上には幾千もの星たちがチカチカと瞬きだしていた。 「少し冷えるな」 「そうだね」 もたれるように 支え合うように 僕たちは背中から、体温を分け合った。 「セイフ…」 「なんだ?」 「実は今日は僕の誕生日なんだ。二十歳になった。僕はもう大人だ」 「あぁそうか今日だったな。おめでとう」 「え…もしかして知っていたのか」 「当たり前だ、オレはお前の育ての親みたいなもんだろう」 そう言われて初めて気付くことがあった。今まで誕生日には新しい靴が置いてあったり、いつもより食事が一品多かったり。僕はもしかして…セイフからさりげなく祝ってもらっていたのか。 「んな顔するなよ。孤児は他にも沢山いるから、お前だけ大っぴらに特別扱いは出来ないだろう」 「セイフ!ありがとう。僕は今更…」 「お前はオレが拾ってきたしな」 セイフから密かに特別扱いされていたことが嬉しくて、急にずっと心の奥底にしまっていたことを強請りたくなってしまった。今日なら何故か叶う気がする! 「セイフありがとう!嬉しいよ。今年も贈りものが欲しい」 「なんだ?さっきもう大人になったと言った奴が、子供みたいにおねだりか」 「どうしても欲しいものがある」 「ふっ…しょうがない奴だな。いいぞ、くれてやる!」 「本当に?じゃあ…僕はセイフが欲しい」 「はっ?オレ?」 言葉にして初めて自分の気持ちに気が付いた。僕がずっとセイフ自身を求めていたことを。 「…お前…それどういう意味だ?」 驚いて怪訝そうな顔をするセイフ。当たり前だ。僕は男でセイフも男なんだから。 「僕はもう大人だ。やっとセイフを愛せる歳になった」 セイフは口に含んでいた水をぶっと噴き出した。 「ゴホッ!お前それ…言ってる意味分かっているのか」 「当たり前だ。セイフを抱きたい。今すぐに!」 セイフは唖然とした表情でしばらく固まった後、盛大な溜息をついた。 答えはイエスかノーか。 目を瞑って、じっとその返事を待った。 「はぁ…参ったよ、お前には。くそっ俺好み成長しやがって、いいぜ、抱けよ。抱かせてやる!」 **** 砂漠の月明りが注がれた僕たちだけのオアシス。 貴重な泉を囲むように、少しの木々と青い茂みがある場所にセイフを連れて来た。 この砂漠の国では、ここが初めてセイフを抱くのに最上のベッドだと思ったから。 夜空には幾千もの星たちが、まるで宮殿のシャンデリアのように輝いている。 僕はそこにセイフの躰を静かに押し倒し、覆い被さり改めて気が付く。 幼い頃、僕を抱きあげ助けてくれたセイフの背を、僕はとうに超えていた。 「本当にいい?」 「いちいち聞くな、んなこと…」 セイフも恥ずかしいのか、目元を赤く染めていた。僕はセイフに初めてのキスを落としてみる。 この口に叱られ、この口に励まされて成長した。 僕のセイフ。命の恩人を今から抱く。それは僕の中に早くから芽生えていた衝動でもあった。 「ん…うっ…」 セイフとのキスは、僕にとって初めてキスだった。上手く出来ている自信はないが、本能のままに唇を貪った。 呼吸が苦しいのか、時折顔を背け空気を求めるセイフの細い顎を掴み、再びキスをする。半開きの唇に割り込み舌を絡め、口腔内の味を確かめる。 唾液が甘いと思った。 僕はずっと喉が渇いていたのか、飢えていたのか。今僕の下に組み敷いたセイフに対して獰猛な気持ちを抱くほどだ。 「はっ…うっ」 「セイフどう?俺のキス」 「お前…いつの間に」 「上手い?」 「生意気言うな。まだまだだ」 セイフも確かに性的に感じていた。何故なら押し倒したセイフの下半身の高ぶりが、ズボンの上からも分かったからだ。 「セイフ…僕で感じてくれたんだな。嬉しいよ。愛させて、あなたの躰」 「くそっ!もう余計なこと言うな」 なんとも照れ臭そうな顔をする。セイフのこんな表情は見たことがなく、僕の興奮も一気に高まる。 着ていた薄い灰色のTシャツの中に手を突っ込んだ。セイフとは一緒に水浴びをしたり風呂にも入った仲で見慣れていたはずの乳首なのに、今は別物だ。 「あっ…うう…」 ツンと夜空に向かって立ち上がる張り詰めたそれを指先で弄りまわすと、セイフはたまらない 表情を浮かべ目を閉じた。 更に深くTシャツをめくりあげ、その粒を唇で挟んでひっぱると、小さな呻き声をあげた。 「うっ…やめろ…そんな…」 「やめないよ。もっと感じて」 今度は吸い付いてみた。時折優しく歯を当てると、息を飲み込む声がした。口に含み舌先で転がしてやれば、芯を持ってますます硬くなっていく。 すごい…こんなになるんて。 セイフの手は感じすぎる躰を必死に沈めようとしているのか、青い草をぎゅっと握りしめていた。 「セイフ…力を抜いて」 「うっ…」 更にセイフの迷彩色のズボンを一気に脱がし、裸に剥いていく。 青い草むらに浮かび上がる月のような白い肢体は、いつもの反体制派リーダー格のセイフではない。 ここにいるのは…夜空に染まる銀髪を振り乱し、白い肌を惜しげもなく晒してくれる僕の大事な人。 「ずっと好きだった。セイフは僕のことを好き?」 「…」 その答えは口には出してもらえなかった。だがこうやって僕を受け入れてくれるだけでも満足だった。 願わくば…次は言葉で欲しい。 弄れば弄るほど、しどけなく揺れるセイフの躰の中に入り込みたい気持ちが満ちて来た。 「ん…?それは…」 僕がポケットから壺を出したのを、セイフは見逃さなかった。 「これ?蜂蜜だよ。丘の上で食べようと持って来た。これしかないけどいいか」 「いいって…お前っその知識、誰に聞いたんだよっ」 「え…ちょっと調べた」 「馬鹿!」 口ではあれこれ言っているが、セイフは抵抗してはいない。僕を受け入れるのを待っている。そう感じたので、僕も躊躇わない。セイフの脚の間に躰を押し入れ、左右に開いて持ち上げた。 露わになった股間の奥の窄まりに蜂蜜を塗った指をつぷっと差し込むと、吸い込まれるように中へと入って行った。 「すごい、セイフの中…熱い」 そのまま指で後ろを弄りながら、ぷるぷると高まっているセイフのものを口に含んでみた。こんなことをするのは初めてだが、何の抵抗もない。 「やめっ…離せっ」 セイフは必死に僕の髪を掴んで抵抗するが、僕はその腰をしっかりホールドして吸い上げていく。何度も何度も繰り返すと、セイフの感じる声が高まっていく。 「あぁっ」 一際大きな喘ぎ声と共に、口の奥にぴしゃっと液がかかったので、迷わず嚥下した。 「パドゥル…お前…」 呆然としたセイフの声にはっとして、指を一旦抜いて彼にキスをした。何度も、まるで鳥が啄むように。するとセイフも僕の髪に手を伸ばし、優しく撫でるように触れてくれた。 「お前…こんなことも出来るようになったんだな。いつの間に大きくなりやがって。この黒いくせ毛も褐色の肌も、大きな目も…昔と変わらないのに…いい男になったな」 愛おしそうに囁かれて、僕のものもはちきれそうに高まった。 「中に挿れてもいい?」 「あぁ傷つけるなよ。明日は戦闘になりそうだ」 「分かった」 入り口に慎重に蜂蜜を足して、一気に腰を静めた。 「うっ…」 僕のものをセイフの入り口がずぶっと呑み込んでいくのが分かった。セイフの躰の一部に溶け込めたような気持ちで感激に胸が震えた。 「すごい…セイフの中…気持ち良くて温かい」 まるで胎内にいるかのような満ち足りた安心感だ。 こんな夜をまた迎えたい。 12歳の時に孤児になってから、ずっと死と向い合せの人生だった。明日生きているのか分からない戦闘の日々で、僕はいつの間にか生への執着を失っていたことに気が付いた。 セイフを抱いて初めて知る、人としての営みの尊さ。相手が男だとかそういうことは問題ではなかった。 今、僕たちは生きている。 明日も生き続けたい。セイフと共に! 「ん…あっ…あ…」 僕が擦るように躰を上下させれば、セイフも堪えていた声を我慢できないようで、ひっきりなしに嬌声をあげだした。 「セイフ…セイフ」 何度も名前を呼びながら、セイフの脚をさらに大きく開脚させ、最奥を突き上げていく。 星屑の影が躰に映りそうな程の澄んだ夜だった。夜空には僕の名と同じ満月がゆったりと見守ってくれている。 青い茂みに迸る白い露。 僕たちは逞しい躰を重ね合い、共に果てた。 はぁはぁとお互いの息が、冷え込んだ芝生の上に霞のように立ちのぼる。 天も地も、何もかも幻想的な僕たちの初夜。 こんな時間を持てたことが信じられなくて、僕は泣いた。 「パドゥル…お前がなぜ泣く?」 セイフが親指の腹で涙を拭ってくれた。 「生きていてよかった。あの時死ななくてよかった。僕を助けてくれてありがとう。あの時セイフが通りかからなかったら、こんな時を知らずに僕はこの世から消えていた。僕が今度はセイフを守りたい。絶対に!」 そこまで言い切ると、セイフの方からキスをしてくれた。 「お前は…やっぱりオレ好みに成長したな。頼もしいことを…オレもこの時を待っていたのかもな…」 **** 「っつ…」 8年前、火の海から助け出した小さな子供はもういない。 朝になり、パドゥルに抱かれた余韻が残る熱い躰に戸惑った。腰も重たく鈍痛が突き抜ける。この感覚はとうの昔に忘れたものだった。あんな風に激しく求められたのは、本当に久しぶりだ。 オレの相棒であり恋人と呼べる存在だったルーカス。 お前があの日爆風に吹き飛ばされ、この世から消えて…もう5年か。お前が亡くなる前日も、オレ達はいつものように野営のテントで裸で抱き合っていた。 「セイフ大丈夫か」 「あぁ…ルーカス」 「なぁ…お前が助けたあの子のことだが」 「ん?パドゥルのことか」 「最近逞しくなってきたな。あと5年もしたらいい男になるだろう」 「どうした?何か気になるのか」 「あの子はお前のことが好きだよ」 「まさか。憧れているだけだろう?」 「いや俺には分かるよ。なぁセイフ、お互いいつ死ぬかも分からぬ身だ。もしも俺の方が先に逝くことになったら、俺の後釜はパドゥルにしてくれ。あの子ならお前を託せるよ」 「おいおい不吉なこと言うなよ。それにあの子はオレにとって息子みたいなものだ」 「とにかくお前のこの銀髪を、最初からあの子は曇りない目で見てくれた。俺は最初から見込んでいたんだ。だから決して他の奴には抱かれるなよ」 「ルーカスそれ以上不吉なことを言うな。捨て子で混血で居場所がなかったオレに生きる喜びを教えてくれるのは、お前だけでいい」 オレの白い肌、金髪の中でも特に色素が薄く銀色に見える髪。目が覚めるようなブルーの瞳。 明らかに周囲と違う外見に、よからぬ血が混ざっているのだろうと邪険に扱われていたオレのことを、お前だけはまっすぐ見てくれた。 実際は親とはぐれたのか捨てられたのか分からない。まだ3歳だったオレをお前の家族が拾ってくれなかったら、とっくにこの世を去っていただろう。 オレ達は仲睦まじく兄弟のように成長した。 やがて隣国から飛び火してきた政権に対する抗議運動に、若かったオレ達も共に駆け出した。その後ルーカスは親も家も捨て、反体制派グループに加わると明かした。 「セイフ行こう!俺と一緒に戦って自由を手に入れよう。ついて来てくれ!親も家もいらないが、セイフだけは絶対に手放せない!」 ずっと異国の形相のオレを対等に見てくれたお前についていくこと、躊躇するはずがない。ルーカスはその晩…俺を女のように…強引に優しく抱いた。 「ルーカス、なんで俺を抱いた?」 「セイフ…お前のことがずっと好きだった。俺の同士だ。戦いの場に女なんていらない。セイフがいればそれでいい」 「ルーカス…」 初めての性行為の相手が男だったことに、戸惑いがなかったわけじゃない。だがお前を信頼していたし、オレにはもうお前しかいなかったのですべてを受け入れた。 実際、躰を重ね共に暮らすようになって、ますます結束は高まった。 オレの銃の腕も、全部お前仕込みだ。 お前がいてくれたおかげで、混血のオレでも反体制派のリーダー格にまで上り詰めることが出来た。 そしてお前が亡き後も、その地位を揺るがせてはいない。お前が切り開いてくれた道を穢されることなく守り通している。もちろん言い寄って来る奴も多かったが、誰にも躰を明け渡すこともなかった。 それがまさか10歳も年下でオレが育てたパドゥルに抱かれる日が来るなんて、思いもしなかった。だが、それを許したのは…他でもないオレ自身だ。 あの日のあんな約束が、まさか本当になるなんて。 天国にいるルーカス。オレのこと許してくれるよな。相手はお前が望んだパドゥルだったのだから。 パドゥルは、オレだけの満月だ。 オレを大胆に抱いたあいつの若い熱を、躰の奥にまだ感じている。パドゥルは、オレに力を注いでくれる存在だ。 ルーカスを失った悲しみも、人に言えないこの身の辛さも、戦争孤児として懸命に生きるお前を見ているだけで、今までも癒されパワーをもらっていた。 躰を合わせたこの先は、もっと力強くオレを支えてくれるのか。 **** 終わらない内戦。 先が見えない世界で、手に入れた密かな愛が確かにあった。 だがオレはあの夜の一度きりしか、パドゥルと躰を繋げていない。何度も求められたが応じなかった。 「何故…抱かせてくれない?」 「偉そうに言うな。お前はまだ半人前だ。そうだな次の誕生日には考えてやってもいい。それまで精進しろ」 「セイフ…分かったよ。その代わりこれを持っていて」 「これはお前の刀じゃないか。お父さんの大切な形見だろう」 「いいんだ。僕の代わりにこれを肌身離さず持っていて欲しい。あなたをいつも守りたい」 「…ありがとう」 今すぐ抱けよと喉まで出かかった。 いや駄目だ。我慢しろ。彼を溺れさせないためだ。まだ年若い彼は一度知った甘い蜜の味を求め、何もかも捨て溺れてしまうかもしれない。 いや違う。それはオレのことだ。 オレだけに注がれる愛情のこもった眼差し。あんな目で見つめられれば、甘えたくなってしまう。抱いてもらいたくなる。お前の力が漲った精を、オレの中にたっぷりと注いで欲しくなる。 弱くなってしまうんだよ。お前に抱かれると…。欲張ってもっと欲しくなってしまうのは、オレの方だ。 **** 見込み違いの内戦は日々悪化し、美しかった街並みは壊滅し瓦礫の山となっていた。 もうこの国に、人々の町と呼べる場所はない。 反体制派のグループ同士での対立は、更に悲惨だった。身内が身内を殺し合うようなものだ。 銃声を聞かない日はない。 流石に心が折れそうになる。 だが…そんな日々にも希望はあった。明日はオレの大切なパドゥルの21歳の誕生日。つまり、あいつに再び抱かれる日だ。 突っ張って来た。何度もくじけそうになった。 抱いて欲しいと叫び、年下のお前に甘えたくなった。 だがこの1年間オレはひたすらに我慢した。 だから明日は特別だ。そして明日を境にパドゥルの求めるままに、躰を重ね二人で生きて行く覚悟をオレはつけていた。 「暑いな…今日も」 見上げれば灼熱の太陽がオレを捕まえるかの如く、ギラギラと輝いていた。オレは朝からテントを抜け出し、普段なら絶対しない単独行動を取っていた。 どうしても明日、パドゥルに誕生日祝いをあげたかったからだ。 そこで、あいつが失った家族の断片を探しに、幼いパドゥルを助けた町まで一人ジープに乗ってやって来ていた。 今はもう瓦礫の山だが、この焦げた遺跡の残骸のあたりに彼は蹲っていた。 なにか家族の遺品はないか。 彼が一瞬にして失った家族の遺骨でも残っていないかと、瓦礫の山に手を掛けた時、ふと崩れた遺跡の向こうに人影を感じ、急いで銃を構えた。 「誰だ!?」 「わっ私は敵じゃない!ジャーナリストだ!フランスの…」 瓦礫の陰から手をあげて背を向けた男が現れた。見れば確かに肩から大きなカメラを下げていた。こんな危険な土地に西洋人が紛れているなんて。 「お前こんな所で何をしている?おいっ!こっちを向け!」 あまりに無防備で死に急ぐようなものだ。不慣れな姿でふらつく姿に、思わず声を掛けてしまった だが振り返ったその顔を見て、あっと驚いた。 似ている…と思った。 相手もそう思ったのが、ありありと分かる表情だった。 「まさか…」 お互いの銀髪が、風にたなびいていた。 「お前…まさか…セイフか」 「なんで…俺の名前を?」 「やっぱり!その銀髪とその顔。母さんにそっくりだ」 「え…」 「覚えていないのか…」 「なにを?」 喉が緊張でゴクリと鳴った。 「私はお前の兄のカラフだ!」 「兄…?」 「お前は3歳の時にこの地で誘拐されてしまった。私達家族はずっと探していた」 「誘拐…なんのことだ?オレは捨てられたんじゃないのか」 「違う!使用人に連れ去られて…身代金も要求されて…父さんが準備したのに、お前もお前を拉致した相手も現れなかった。だから生き別れてしまったのだ」 なんの話だ…突然。まったくもって理解できない。確かに3歳の時、親とはぐれたが、今更身内だと言われても。 「そんなのは…知らない。あんたなんて知らない!それよりここがどんなに危険だか分かっているのか。今すぐ逃げろ!」 「私はジャーナリストだ。内戦の現状を取材に来た。まさかお前のその恰好…お前は反体制派なのか」 その時ガレキの向こうに銃を持つ人影が動いた! 「危ないっ」 ダダダッダダッダダッ すごい銃撃だ。兄と名乗る人物を庇いながら、建物の隙間に逃げ込んだ。 彼は真っ青な顔で震えている。当たり前だ!こんな現実信じられないだろう。 でもこれが現実だ! 「今のうちに裏手から北へ逃げろ!」 「だが…セイフ…お前は」 「…あなたと会えてよかったよ。だがオレとあんたの人生は生き別れた時、大きく変わった。もう戻れないところまで!行けよ。…兄さん」 ドンっと彼を突き飛ばした。 彼は呆然としていたが、続く銃声に驚き、踵を返して逃げ出した。ジープの遠ざかる音に安堵したのもつかの間、今度は背後から人が近づいて来た。 「セイフ、お前やっぱりスパイだったのか」 あっという間に、背中に銃があてられた。 振り返れば同じ反体制派のグループリーダーのサリムが恐ろしい形相で立っていた。 「違う…今のは…」 「俺はずっとお前のその面が気に入らなかった!ルーカスが大事にしていたから我慢していたが、スパイとなりゃ話は別だ!裏切者の末路は決まっている!」 「やめろ!オレはスパイなんかじゃないっ!」 「じゃあ今のは誰だ」 言えない。今会ったばかりの人だが…それでも兄だ。彼に罪はない。サリムらは欧米人を人質にしてしまうかもしれない。 「…」 「ほら見ろ!言えないのが証拠だ」 「お前はもう終わりだ。だが長年の恨みがある。一発で仕留めるのは惜しいよな。ここでゆっくりと死を待つといい!」 「やめろっ」 抵抗する間もなく崩れた遺跡の塀に鎖で縛りつけられ、置き去りにされてしまった。 「待て!」 身動きするたびに灼熱の太陽で焼かれた鎖があたり、オレの白い皮膚をじりじりと赤く焼いていく。 「ううっ」 この廃墟の町は、普段は誰も近寄らない場所だ。 このままだと政府軍の銃撃に遭うのが先か、空爆に遭うのが先か…いや、その前にサソリに刺されてしまうかもしれない。 いずれにせよ死を待つのみだ。 じりじりと躰を焼かれ、喉が渇いて意識が霞む。 あれから何時間立ったのか。オレは脱水症状を起こし、ひどく衰弱していた。 「パドゥル…」 オレが愛した男の名を口に出す。 もう会えないのか。 こんなことなら…お前にもう一度抱かれておけばよかった。 本当なら満月を切り裂いてでも欲しかったのは、お前の躰、お前の愛。 足元に落ちているお前がくれた刀を拾おうとしたが、もう掴めなかった。 やがて… 空から、戦闘機の爆音が聴こえてくる。 目を閉じれば浮かぶよ。 俺に跨り…目から大粒の涙を落とすパドゥルの顔が。 乾いた躰にすうっと沁み込んでいくのは、お前の涙。 オレの潤いは、お前だった。 もうずっと前から。 だから… 「そんな顔で泣くな」 お前とは… 人が人を殺し合うこんな世界じゃなくて、平和で笑いあえる世界で逢いたい。 あの澄んだ空気のオアシスで待っている。 青く茂った草をベッドに、またお前に抱かれよう。 あの日お前に抱かれながら見上げた空は、本当に美しかった。 この国は、本当に美しい国だった。 愛している。パドゥル… 『本当に美しい国だった』 了 【感想はコチラまで】→ 志生帆 海@seamoonyou

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