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【明朝、飛び立つ】芦ノ原 ルネッサ

 いつにも増して静かな夜だった。  空爆もなく、悲鳴もサイレンの音も聞こえてこない。  連合軍と戦争状態の革命軍の本部は転々と拠点を移し続け、今は孤児院だった建物を使っている。  基地の裏には小高い丘があり、一本杉に続く小道がある。  アリは街灯もない暗闇の中、ライトを片手に丘を登った。銀色の髪が月に照らされて揺れている。彼は軍服にTシャツというラフな格好だ。数年、履き続けた軍服はところどころ擦り切れている。  丘の上に立つ木のそばに、一人の青年が片膝を抱えて座っていた。 「ここにいたのか、ザイド」  アリが声をかけると腰掛けていた青年……ザイドは顔を上げた。  癖のある茶髪に褐色の肌と引き締まった軽そうな体。年はアリに比べると一回り以上若い。青年……ザイドは名を呼ぶと薄く笑った。 「なんだ、一丁前にたそがれてたのか」  アリが茶化してみたが、ザイドはそれには乗ってこず、丘の上から見えるコンクリートづくりの基地を見下ろした。 「もう見納めかと思って」 「……そうだな」  辛気臭い空気は苦手だが、感傷に浸っているザイドをこれ以上茶化すのはやめた。  アリはザイドの隣に腰を下ろした。湿った草に尻が冷えそうだと思ったが、そのまま座った。ザイドと同じ視線で景色を見たかった。  四角い打ちっ放しのコンクリートの建物から、黄色い光が漏れている。  独裁政治に対し、革命軍が反旗を上げて二十年が経つ。外国からの干渉もあって、早くに政府を打ち倒したものの、その後は革命軍が分裂し、泥沼の内戦状態となった。  革命軍はさらに細分化し、難民は絶えず、その混乱に乗じた犯罪者やテロリストが街に紛れ、治安がさらに悪化するという悪循環。  この状況を打破しようと、先進国は連合軍を作り、革命軍の統合を図った。圧倒的な武力と資金力の差で革命軍は次々と白旗を上げた。  連合軍は統合に協力すれば、新政府の設立に関わることができるという触れ込みだが、その先にあるのは、服従か屍のどちらかだ。  長い年月の中でアリたちの帰属意識は国ではなく、所属の革命軍そのものにあった。 『服従か屍ならば、屍を選ぶ』  それが、アリたちが出した答えだった。  明朝、連合軍の野営基地を攻める。アリたちは、攻撃によって身を守るという手段しか知らなかった。相手がいかに格上か知っている。それでも身を守るためには、命がけで戦うしかないのだ。  アリは隣に座るザイドの肩を叩いた。 「ザイド……、今からでも」 「今からでも逃げろっていうなら怒るよ」  アリの言葉に被せるように、ザイドは言った。彼は険しい表情で覚悟を口にする。 「あの爆撃から助けてもらった時から、俺はアリと共に戦うって決めたんだ」  十二年前、政府軍の爆撃によって市街地が襲われた。子供だったザイドは救出に来た革命軍のアリによって助け出された。  律儀に恩を感じているらしい。  爆撃で家族を失い、落ち込んでいた子供が、立派に成長し大人になった。それだけで恩はとっくに返してもらっている。しかし、ザイドはアリの元を離れようとはしなかった。 「こんなことさせるために拾ったわけじゃねぇ」 「知ってる。でも、俺も大人だから。自分の道は自分で決める」  革命軍の基地で育った少年は大人になると、兵士として仲間に加わった。  アリにとってそれは誤算だった。そんな恩など忘れて、さっさと旅立って欲しかった。戦争という名の鳥籠に囚われた自分では味わえなかった自由を彼に味わってほしかった。  二人の間に会話が消え、アリは満天の星空を見上げた。すると、背後でごそごそとザイドが動く気配がした。背中に彼が甘えるようにもたれかかってきたのを感じた。可愛げがある彼の行動に微笑んでいたのは最初だけで、その引き締まった腕が腹に絡むように伸びてくるとアリは一瞬で無表情になった。 「おい」  短い警告をしたが、ザイドは構わず身を寄せた。文句を言うつもりで彼を振り返ったのに、透き通った琥珀色の瞳で眺められると、何も言えなくなる。ザイドはアリの唇と瞳を交互に見て、その目を閉じられるのを躾をされた行儀のいい犬のようにじっと待っている。  観念したアリが瞼を閉じると、ザイドは優しく口付けた。  唇の柔らかな感触にアリは眉を寄せた。  触れるだけのキスが離れると、ザイドは後ろから抱きつくような形で、首筋に顔を埋めた。 「……ッ」  癖毛の柔らかな髪が首元をくすぐり、アリは息を詰まらせた。   アリの誤算はもうひとつあった。  一回り以上も年下のザイドと恋人関係になってしまったことだ。  好きだと言うザイドに断りきれず、何度も身体を重ねた。若い彼が恋にのめり込むとわかっていながら、アリはザイドを受け入れた。  鳥籠を飛び出すはずの鳥に足枷を付けたのは、紛れもない自分だったのだ。 「殴らないんだ」 「は?」  ザイドは抱きついて顔を埋めたまま、不意に呟いた。 「いつもは外でいちゃつくと殴ってくるから」 「殴られたかったのか? 言ってくれりゃ、ご要望にお応えしたが」  軽口を叩き、そろそろ離れろと甘える彼の顔を押し返すと、それを拒絶するように強く抱きしめられた。 「今日で最後だから俺の好きにさせてくれたの?」 「違ぇよ。……おい、いい加減離れろ」  いつもなら素直に離れるはずだったザイドがこの日は離れなかった。アリを抱きしめる手がわずかに震えている。そして、泣き出しそうな声で尋ねてきたのだ。 「アリは……、アリは俺が死ぬと思ってる?」 「ザイド……」  まるで(わら)にもすがるように必死にアリにしがみつくザイドの手をなだめるように、そっと撫でた。落ち着くまで何度も撫でると、その手の力が抜けていった。  アリは身体を反転させて、ザイドと向き合った。彼は不安げな顔をごかすように視線を伏せている。その落ち込んだ顔の両頬に手を添えると正面からその瞳を見つめた。 「お前は死なない。絶対にな」  アリが笑ってみせると、ザイドも笑おうとした。だが、その目に涙が溜まって、顔を歪めた。 「おい、口開けろ」  アリは乱暴に言うと、何か言おうとしたザイドの唇を塞いだ。両手を彼の顔に添えたまま深く口付けた。舌を入れると涙のしょっぱい味がした。  キスでごまかすなんて自分らしくない。  しかし、彼には効果抜群だったようだ。アリが仕掛けるとそれに火がついたザイドはその熱い舌で受け入れた。  上顎を舌で擦られると思わず声が漏れた。無意識に引こうとする身体をザイドが腰を強く引き寄せて阻む。どちらのものかわからぬほど混ざり合った唾液を喉を鳴らして飲み込んで、アリは必死に舌を絡めた。両頬に添えたはずの手は、いつの間にか首に巻きつくように絡んでいた。  何かから逃れるように二人は深い口付けを繰り返した。  ようやく唇を離す頃には、息が上がっていた。身体がもっとザイドに触れられたいと疼く。そんな浅はかな考えを誤魔化すように、アリは言い訳をした。 「……お前が情けねぇ顔をしてるから、仕方なくだ」 「ね、部屋戻ろう。ここでもいいけど、背中痛いじゃん」  すっかりその気になったザイドが立ち上がって、アリの腕を引く。 「ヤる気満々かよ。とんだ変態に育っちまったよな、お前って……」 「ちゃんと明日に響かないよう手加減するから……痛っ!」  調子のいいことを言うザイドの足を、アリは無言で蹴った。蹴られた太ももをさすりながらこちらを見る彼はすっかりいつもの表情だ。そんな彼にほっとして、アリは懐から煙草を取り出した。 「先に行っとけ。一服してから戻る」  アリは木に背中を預けて、煙草に火をつけた。 「ザイド」  歩き出したザイドの背中に呼びかけた。聞こえないぐらいの小声だったのに、ザイドは立ち止まって振り返った。 「俺が撃たれても振り返るんじゃねぇぞ」  戦争が始まって二十年。入隊した時は十五だったアリは、その長い戦争の中で軍の幹部となった。連合軍との戦いでは真っ先に命を狙われる存在となり、生き残っても捕われれば裁判にかけられるだろう。たとえ革命軍が崩壊しようがもう「何も知らない」では通用しないのだ。  おそらくアリは生きて帰ることは不可能だろう。それを若いザイドはわかっていない。アリにとってはそれが救いだった。  こちらに向かって走ってこようとするザイドをアリは大声で制した。 「戻ってくんじゃねぇ!」  驚いて足を止めるザイドを鋭い視線で見下ろした。乱暴に吐き捨てる言葉がどんなに理不尽でもその眼をしたアリの言葉は絶対だ。 「さっさとシャワー浴びて準備しとけ。待たせたら承知しねぇぞ」 「今日は随分と積極的だね」 「死ぬ前に死ぬほどヤりてぇんだろ?」  笑えない冗談にザイドは苦笑を漏らした。しばらく立ち尽くしていた彼はおそらく、アリの元に戻ろうか迷っていたんだろう。しかし、結局アリの方には戻らず、宿舎のある基地へと走っていった。  今度こそ、アリは彼に気づかれないように一人心地に呟いた。 「……そうだ、お前は前見て走りゃいいんだよ」  アリは薄く笑うと、紫煙を吐き出しながら徐々に小さくなって行くザイドの後ろ姿を眺めた。  基地へ向かうその道は長い下り坂の後、再び丘を登っていく。彼が持っているライトが暗闇の中ぼんやりと浮かび上がる。  アリの目には、その光はまるで鳥籠から飛び立っていく鳥のように見えた。  足枷をなくした鳥はきっと自由に羽ばたくに違いない。 完 【感想はコチラまで→】ルネッサ@renaissa_a

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