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【Precious gift 】咲房
イスラム圏のとある街が、反政府軍とゲリラ軍の抗争により焦土と化した。
車や倉庫から火の手が上がり、商店のガラスは割られ商品の強奪と放火が相次いでいた。住宅では住民が虐殺されめぼしい金品が根こそぎ奪われている。
その地獄絵図の街に、俺は暴徒と化したゲリラ軍の制圧の為に政府に雇われてやってきた。
あらかた沈静化したので生存者はいないかと民家をまわっていると、土壁に銃痕のある家の中、どこからかカタン、と小さな音がした。
食べかけのパンやスープの乗ったテーブル、床に転がったサラダボウル。その床に家の住民であろう男女と老人の遺体も転がっていた。
音は食器棚辺りから聞こえたので棚の扉を開けてみる。
すると、中には小さな子供が目に涙を溜めて、口を抑えてうずくまっていた。
「坊主。よく頑張ったな。もういいぞ、出てこい」
子供はじっと俺の顔を見ていたが、俺が手を伸ばすと怖々と手を乗せた。
棚から出すと、震える足で遺体の側に行き、遺体にしがみついた。
「うっ、ううっ。うううっ。父さん。母さん。じいちゃん……」
嗚咽を漏らし、静かにむせび泣いた。
「坊主。悪いがここも危険だ。行くぞ」
子供は一度、きつく親の服を握り、それからコクリと頷いた。
聞き分けのいい子だ。両親もこの子自身も、こんな日が来ることを想定していたのだろうか。
銃を持ち、子供を抱いて街を歩く。
子供はじっと街を見ていた。黒煙と炎で彩られ、すっかり変わり果てた外の様子はさぞや辛い風景だろう。
「坊主、名前は?」
「ハバシュ」
「贈り物、か。いい名前だ。ハバシュ、辛い時は大声で泣いていいぞ」
ハバシュは頭を振った。
「男は嬉しい時に泣けってじいちゃんが言ってた。泣かない」
「いい子だ」
俺はハバシュを抱いている腕に力を込めた。
あれから10年。
戦争孤児となったハバシュを引き取り共に暮らしてきたが、この国では相変わらず争いが続いている。
10年前は反政府軍とゲリラ軍の戦争だったが、いつしか細分化が進み正義の名を騙る雑輩も現れてきた。彼らの目的は平和ではない。己の物欲を満たすのみの窃盗団だ。
俺は既に規律に縛られ自由に動けない政府軍を除隊し、傭兵 として とある組織に入っていた。一般市民で編成されたその組織は、そういった雑輩を片っ端から潰していた。
暴動の勃発と鎮静はいたちごっこだっが確実に成果は上がっており、街の治安もかなり良くなってきている。
この国に平和を。
俺たちの代では無理でも、この地の未来に安定を。
小さかったハバシュを見るたびにそう強く思い、銃を握ってきた。
そのハバシュももう子供ではない。俺の大事な養いっ子も、土地にしっかりと根を張るしなやかな若木となった。
俺は反対だったが同じ組織に入り、街の治安を守っている。
「どんなに街が変わっても、星は相変わらず綺麗だな」
満天の星空にハバシュが言った。
空気が澄んでいるのか今日の星は格別だった。上空の見えない風に揺らされ、チカチカと瞬いている。二人で背中合わせに地面に腰を下ろし、空一面に広がる宝石を仰いだ。
ハバシュが空に手を伸ばし、金平糖を摘まむような仕草をしたので小さくクスッと笑いがでた。
「今、子供だなって思っただろ」
「そんなことないさ。星は取れたか?」
ハバシュが手を下ろし星を渡す仕草をしたので、手のひらを差し出した。
受け取る仕草をして、そのままその手を握る。
大きくてしっかりした大人の手だ。初めて握った時はあんなに小さな子供の手だったのに。
「大きくなったな」
10年の月日は長いようで短かった。
聞き分けの良い賢い子供は全く手が掛からなかった。最初こそ俺が料理や洗濯をしていたが、すぐにこいつが全てをするようになり、今でも料理は殆どこいつが作っている。学校も優秀な成績で卒業した。俺の自慢の秘蔵っ子だ。
「……ねえ、俺はまだルーカスの子供?」
「ああ。お前は一生、俺の大切な養いっ子だよ。俺が守りたい大切な宝だ」
ハバシュはくしゃっと泣きそうな顔になった。その顔を引き寄せ唇を重ねる。
「だが同時に俺の恋人であり、背中を預けられる頼れるパートナーだ。ただの子供にだったらこんな事はしない」
「ルーカス……」
養いっ子が俺にとって一人の男になったのはいつだっただろうか。
学校を卒業した時?
組織に入った時?
俺と任務を遂行した時?
コイツが「愛してる」と告げた時にはもう既に俺の全てになっていた。戸惑いはなかった。
俺は、俺の全てをコイツに明け渡した。
「もっと肩書が欲しいか?泣き虫」
「ううん、いらない。それに嬉しい時は泣いていいんだよ」
潤む目で笑ったハバシュが口癖になった言葉を返した。唇に深い口づけが返ってきた。
「続きは帰ってからな」
「うん。夕飯にマントゥ(中東風餃子)作ってるよ。コーンのパンも焼けてる筈だ。デザートはライスプディング!早く帰ろう」
「ああ。美味そうだ。今夜は冷えるな。ブランケットを1枚足すけど、お前独り占めするなよ?」
「ルーカスこそ俺から離れてベッドから落ちないでよ」
「生意気言うようになったな、チビ」
「いつの話してるんだよ」
肩を並べて帰る道でさざめく星を見上げて願う。この地に平和を。この子に平穏を。
先日、ゲリラ組織の主要メンバーが匿われている屋敷を特定した。
作戦を立てメンバーに命令を出す立場の人間で、組織のブレイン的存在だ。コイツを潰すだけで組織にはかなりのダメージを与えることが出来る。
屋敷はかつて銅の産出で栄えた銅鉱山の麓 にあり、鉱山の持ち主が建てたものだ。銅が採掘されず閉山してからは持ち主が転々としていた。おそらくゲリラメンバーの一人が買い取り、提供したのであろう。
俺達はこの屋敷の内部と坑道を繋ぐ経路、そして更に坑道を抜けて町はずれの小屋に出る経路を発見した。この経路を使えば内部から襲撃することが出来る。町はずれの小屋はすでに空き家として放置されていたので、ここを拠点として坑道へ潜り込む作戦が立てられた。
「反対だ!どうしてルーカスが行かなきゃならないんだよ!」
俺が行くと言った時、ハバシュは真っ先に反対した。
「分かっているだろ?俺が一番適任だ」
「じゃあ俺も行く。危険だ。一人でなんて行かせられない」
「二人のほうがよっぽど危ない。坑道は暗くて狭い。相手を気遣いながらなんて進めない。お前は足手まといになる」
「でも!!」
「俺なら慣れてるから平気だ。軍でコンバットの練習もしている。何年戦場にいると思ってるんだ、一般市民のおまえらとは違うぞ」
「でも!それでも!!心配だ……。置いてっちゃやだよ、ルーカス……」
「泣き虫ハバシュ、幼児返りか?馬鹿だな、何を心配してるんだよ。いつもの任務を一人でこなすだけじゃないか」
「……」
「だいたい縁起でもない。俺だって逝くならお前の腕の中がいい。一人寂しくなんてごめんだね。ちゃんと帰ってくるよ」
「約束だよ」
「ああ。お前の元に帰ってくる。一人で死んだりしない。これが成功したら大きな争いは少なくなるんだ。絶対成功させてくる」
「ルーカス……」
「だからお前はお前の任務をしっかりこなせよ。俺が屋敷の中に爆弾を仕掛けても、表から取り逃がしたなんて真っ平御免だからな」
「分かった。逃がさないように気を付ける」
今回の作戦の詳細はこうだ。
俺が小屋から坑道を通って屋敷に潜入し、爆弾を仕掛ける。ハバシュと他のメンバーは先に町へ侵入し、俺が爆弾を仕掛けているその間、俺の侵入を気付かれないように表で陽動作戦を展開させる。
「大体、俺の心配ばかりしてるがお前も気を付けろよ。気を引くといったって相手は本気で抵抗してくるんだ、銃もナイフも出してくるだろ」
「分かってる。防弾ベストを着けていくよ」
「任務は俺のほうが早く終わる。出口の小屋で待ってるからな」
「うん。俺たちも終わったらすぐに向かう。……気を付けて」
「お前もな」
心配そうな顔に苦笑いする。俺はお前の方が心配だというのに。
ハバシュ。
俺が生きて帰ってこられるのはお前がいるからだ。今までずっとそうだった。多少手荒い任務で傷を負おうとも、必ず帰ると自分に誓ってきた。どんなに過酷な任務でもお前の元に必ず帰ると。
ハバシュ。贈り物。
その名のとおり、お前は天が俺にくれた贈り物だ。
つらい過去を乗り越えた強い瞳、学業をひたむきに続けた真摯な姿、俺を心配する優しい心、俺を守りたいと言った大きな手。
どれもこれもが俺に力を与え、俺を強くしてきた。
お前は俺に守られてばかりだと思ってるだろうが、お前も俺を守ってくれてるよ。
必ず帰るから心配するな。
作戦は決行された。
小屋の地下室の隠し扉から坑道に入り、屋敷へと潜入した。頭に叩き込んでいた屋敷の見取り図を基 に標的 となる人物の居場所を推察し、その部屋へ向かう。気付かれないように遠くからそっと様子を窺うと、ターゲット以外にも重要メンバーが数名揃っていた。
(ついてる!コイツらをまとめて始末すれば、この組織を壊滅させることが出来るかもしれない)
俺は逸る気持ちを抑えて慎重に爆弾を設置した。
タイマーは15分。設置個数は念を入れて4個。一つでも十分威力があるが、不発の場合と見つかった場合を想定しておく。
全てが爆発すれば隣と上の部屋も炎上するので更に多数のゲリラメンバーを減らせる。仲間には威力は十分に伝えてあるから巻き込まれるヘマはないだろう。
設置を完了し、元来た坑道を灯 り一つで走る。
屋敷からの道を三分の二ほど戻った時にその異変は起こった。
遠くで地響きがしたのだ。すぐ近くからパラパラと土がこぼれる音がした。
設置した爆弾ではない。まだ15分と経っておらず、爆発しても影響はここまで届かない。
一体何が。
嫌な予感を覚えて足を速めた。走る途中でも小さな振動が起こる。
ズウウゥゥン……
また大きめの地響きが。
予感は確信に変わっていった。
外で想定外の何かが起こっている!
ドッ、ドッ、ドッと速い鼓動が耳に煩い。
仲間は無事だろうか。
ハバシュは、ハバシュは無事だろうか――
転がるように出口に辿り着くと、出口は土が崩れ落ち殆ど塞がれていた。
この場所も崩落の危険がある。
マズい!
戻ると言った。逝く時はお前の腕の中だと言った。絶対に約束は破れない。
この向こうにはあいつがいる。
俺は必死に土を掘りかえした。
爪が剥がれたが構わない。
約束を守れるなら。
釘で出血したが構わない。
再びあいつに会えるなら!!
堅い木の板に当たった。
この扉の向こうにあいつが!
土を押しのけ、必死に引くと少しだけ隙間が空いた。
そこから見ると向こうも崩れているらしく、少ししか開かない。細い隙間から何かないかと覗くと見覚えのある色が見えた。
ハバシュ!
あれはハバシュの着ていた上着だ。あいつはこの向こうにいる!
「ハバシュ!ハバシュ!」
向こうの状況が一向に掴めない。
俺は隙間からできる限りで手を伸ばし、なんとかその上着の端を摘んだ。
ハバシュ!お前は無事なのか!?
掴んだ端を手繰り寄せ、何とか引っ張ることに成功した時、何処からか何度目かの地響きがした。
(ルーカス!目を開けてよ、ルーカス)
俺を呼ぶ声に重い瞼を開けると、ハバシュが泣きながら上から覗き込んでいた。
また泣いてるのか。泣き虫ハバシュ。
俺が笑うとあいつはホッと息を吐き、嬉し泣きだと笑った。
(無事で良かった)
(お互いな)
俺は真上から見下ろすハバシュの瞼に触れ、涙を拭った。
あいつが俺を抱きしめると、あいつの上着からは煙草とムスク、そして硝煙の混ざった匂いがした。
ハバシュの匂いだ。
ああ。約束を守れた。
良かった。戻ってこれた。
しかし疲れた。体が鉛のように重い。
(ふぅ……今回はハードだった。疲れたよ。少しだけ寝ていいか?)
(いいよ、でもちょっとだけだよ、夕飯にドルマを作ってるんだ。早く帰って食べよう)
ハバシュの手作りドルマは俺の大好物だ。手間暇が掛かるから頻繁には作らない。張り切ったな。
ハバシュが大きな手のひらで俺の髪を梳いた。あの日、涙をためて俺の服を掴んでいた子供の手。今は俺を支える大きな手。
ひと眠りしたら家に帰って、二人でドルマを食べよう。そして布団でゆっくり眠ろう。互いの鼓動を聞きながら。
俺はハッサンの匂いを大きく吸い込み、ゆっくり息を吐いた。
ちょっとだけお休み、ハバシュ。すぐに起きるから。ハバシュ。
「ルーカス!ルーカス!!ルーカス――――」
俺達が崩れた小屋の中からルーカスを見つけた時、彼は既に冷たくなっていた。
あの作戦の最中、空爆が起こり、街に火の手が上がった。小屋は街の中心部から外れていたが、爆風や銃撃のあおりをくらって半壊していた。火の手こそ上がっていなかったが、地下の坑道の出口は瓦礫でほぼ塞がれていた。
ルーカスは扉のむこう、坑道の出口側にいた。
俺の上着を握りしめて。
上着は作戦開始の時、防弾ベストを着けるために俺が脱いだものだった。扉を少しでも隠そうと側の椅子に引っ掻けておいたもの。
俺と一緒の時に見せる安らかな寝顔だった。
その顔を見て、彼が約束を守った事を知る。
握りしめた俺の上着。
ルーカスは最後、俺のところに戻ってきて逝ったんだ。約束通り、俺の腕の中で。
今の俺を見たら彼は苦笑いするだろうか。
(泣き虫ハバシュ。こら、もう泣かないって言っただろ。お前も約束守れよ)
だけど俺もこう言うんだ。
(これは嬉し涙だってば。ルーカスが約束を守ってくれたから嬉しいんだよ)
(減らず口ばかりだな。さ、家に帰ろう。お前のドルマ食べさせろよ)
ああ。帰ろう。貴方と俺の暮らす家に。
真上から見下ろす俺の雫が、幸せそうに眠るルーカスの頬を濡らした。
数日後、ルーカスの体を神の御許へと見送った。
その後、俺の胸にはシルバーのロケットが光っている。中には小さな欠片が。
それは、俺との約束を守ったルーカスの遺骨だ。
彼は今も約束を守り、俺の胸で眠っている。
〈了〉
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