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【赤に散り、黒に咲く】運営

西暦2017年9月17日 「「メリークリスマス。」」 二つの声が廃墟の中で重なり木霊し、まだここに来る前いつか行ったオペラハウスを思い出す。 観客のいないコンクリートのオペラハウスに役者は二人。 一人はアメリカ兵のリアム、もう一人は戦争孤児のハバシュ。 「綺麗だね。」 「ああ。」 リアムが軍の備品から拝借した蝋燭には火が灯っており、コンクリートの冷たい床でまっすぐ上に燃えあがっている。わざわざ白い蝋燭を赤と緑に塗ったが、あまり役目を果たしていなかった。 しかし、ハバシュはどうにかしてクリスマスを演出しようとしてくれるリアムの優しさに再度触れた気がした。 その優しさに応え様とハバシュは持てる限りの記憶でこの美しさを表す。 「怖くない空爆みたい。ありがとうリアム。」 必死に考えたハバシュの感謝の言葉に一瞬表情を曇らせたリアムだったが、ハバシュから見れば蝋燭の揺らめきによる影に見えただろう。 本当にそれくらい一瞬の変化、しかし、それには今二人が置かれている現状やハバシュの長く辛い人生を憐れむ思いが込められていた。 「あっ。でも、前に一緒に見た星空みたい!」 「粋な事を言うじゃないか。」 彼の心の中に紛争以外の美しい思い出もしっかり残っている事が分かり、今度は口角が上がる。心の中で「一緒に」という言葉を反響させ、ハバシュの中に自分の存在意義を確認し更に嬉しくなる。 たったそれだけ……。 たったそれだけの事でこんなにも嬉しくなるのは、此処が何の娯楽もない紛争地域だからだろう。 主役となるこの二人が出会ったのは数年前。 その時も今と同じ、ここシリアの紛争地域だった。 *   *    * 西暦2013年4月某日 シリアのとある地域で大地が激しく揺れた。 「うあああっ!!!!!!」 喉がはち切れんばかりの声量で自身に降りかかった恐怖を払拭するかのように悲鳴を上げるリアム。しかしその声は耳に届くことなく爆発音にかき消された。 走馬灯が駆け巡り、長い体感速度の後、背中に走った激痛が自身がまだ生きていることを教えてくれる。 「くそっ!」 建物の中に足を踏み入れたリアムを襲った建物外部からの爆発は彼を瓦礫ごと外へ吹っ飛ばした。 そしてリアムは自身の叫び声すらもかき消す爆発音と衝撃に鼓膜が破れたのだと覚悟した。 しかし、炎が上がる音、さらなる爆発音、そして人の叫び声に鼓膜の無事を確認し一安心した─────のも束の間、悲痛な現実の叫び声が鼓膜を震わせ耳を塞ぎたくなる。 爆発で吹き飛ばされ瓦礫の上に打ち付けた身体を丸めながら恐怖と戦っているリアムの耳が聞き覚えのある声を拾う。 「リアム!!」 すがるような気持ちで目を開けると、砂埃にシルエットが浮かび上がる。 「パース!!」 シルエットの主に向かって声を張り上げれば、パースと呼ばれた人物の周りで砂埃が左右に広がるように流れを変える。 「大丈夫かリアム!」 「ああ……。一体何が起こった。誤爆か?」 「いや違う。よくは見えないが建物があちらこちらで崩れる音はする。自爆テロかもしれん、もしくは敵の攻撃か。」 「ここは交戦地域に入っていない。」 「だったら、命知らずの自爆テロだろ。」 比較的、紛争の魔の手が忍び寄っていない地域のパトロールに来たリアン達多国籍軍の兵士。 しかし、先ほどの爆発であたりは一気に地獄と化していた。 「立てるか?……あれは……。」 リアンを支え起こしているパースの目が細くなる。そして瞳が真っ赤に染まる。 「炎が上がっている。行くぞパース!」 身体の痛みも忘れてリアムは走り出した。 「おい!このお人好し!」 背中に投げられた言葉を無視して、炎が上がる場所へ向かう。視界の隅に、血だまりや腕、足、首、胴体だけの人だったものを捉え足が竦みそうになる。 しかし、まだ生きている命があるかもしれない場所へ、リアムは力強く痛む身体を無我夢中で動かした。 「聞こえる!」 建物から微かに聞こえる悲鳴がはっきりと届いてくる。 「おい貴様!近付くな!」 燃え上がる建物をただ茫然と見守る兵士の言葉を無視して、リアムは炎の中に突進した。 吹き飛ばされた時とは別物の皮膚を表面から刺す様な痛みが身体全体に走る。降りかかる火の粉は払いのけても無意味で、腕はただ前へ進むためだけに動かし続ける。 爆発したのは一階で、駆けのぼった階段の先の二階はまだ火の手が弱い。しかし充分人を殺傷するだけの威力は持っている。 「くっ。」 鼻孔の奥を焼死体特有の臭いが刺激し、汗ばみ火傷した腕を押し付ける。 ゆっくりと目を瞑れば、あの声が再び鼓膜を揺らす。 近くにいる。だが、その声は遠くへ行ってしまいそうな声色をしている。 急がなければ間に合わない。 「おーい!!」 焼けた喉からひしゃげた声を出し、耳をそばだてる。 更に力のなくなった声がまだ生にしがみつこうともがくのが聞こえた。 「そっちか!」 火の手が上がる部屋の一角に突っ込むと、炎の中で逃げるわけでもなく部屋をさまよう少年がいた。 「こっちへこい!」 抱え上げた身体は軽い。しかし手足をバタバタと動かし、下ろせと言わんばかりに反抗する。 炎が踊り狂い弾ける音の中、少年が炎に向かって何かを叫んでいる。 「オッム!!ヤバイ!!」 少年が見つめる先───炎に包まれた作業台らしき物、消火器は役目を果たさずに曲がっている、そしてそのそばで重なる真っ黒な何か。それらはどれも一ミリたりとも動かない。 「オッム!!ヤバイ!!」 必死に叫ぶ少年に 「すまない。」 と謝罪し、リアムは少年が助けようとしている何かに背を向けて炎の階段を落ちる様に駆け下りた。 そして破壊が生み出す轟音から逃げる様にリアムは建物から滑り出た。 「消火しろ!」 「早く!」 仲間たちが自らの服を脱ぎ火達磨になったリアムに叩きつける。 「無茶しやがって!」 再びパースに支えられ上半身を起こす。 「坊主もよかったな。」 パースの声に恐る恐る自身の腕の中に視線を落とすと、きちんと上下に動く肩が見えて、安心感からかきつく抱き締めた。 「良かった。大丈夫か?」 顔を見ようとするが少年はリアムの胸に押し付けあげてくれない。 それでも生きていてくれたことに嬉しくなり、戦地には不謹慎なほど微笑んでしまう。 その上がった頬を横から摘ままれる。 「まずは自分の心配をしろ。」 「痛い、パース。それに俺は大丈夫だ。とりあえずこの子を救護班に。」 「本当に相変わらずだな。」 どんなに自分の命が危険に晒されようと、誰かの為に必死になる仲間にため息をつきながら、パースは近くにいた救護班に少年を託した。 身体が動かないリアムはそのまま硬い地面に身体を投げ出す。 「目が染みる。」 「火傷したか?」 見せてみろと、パースがリアンの目元を下に引っ張る。 溜まった雫が大量に零れ落ちる。 「俺が見えているか?」 「ああ。女にモテなさそうな不細工が映っているよ。」 「どうやらリアム兵士は視覚、脳の機能に異常があるようだ。苦い薬でも出してもらうか。」 「すみません。大統領夫人も落ちるほどのハンサムが映っています。」 「大統領夫人には興味がないがまあ上々だな。少し充血はしているが火災のせいだろ。問題ないと思うぞ。」 「そうか。」 「ほら、救護テントまでおぶってやる。」 「悪い。」 少年が連れていかれた方へ、パースがリアムを背負って連れて行く。 「あの子一人か?中にいたのは。」 「……いや。」 「……そうか。」 パースの肩に頭を乗せ、数分前の惨状を思い出す。 あの部屋に居たのは少年だけではなかった。少年はその人たちを必死に助けようとしていた「オッム」「ヤバイ」────「お母さん」「お父さん」を。 「でも、もう死んでいた。」 「そうか。一人助けられたなら十分だ。お前は良くやったよ。」 「ふん。どうせ基地に戻ったら説教するんだろ?」 「それとこれとは別だからな。」 もし自分が早く駆けつけられていればもっと多くの命を救えたかもしれないのに、一人しか救えなかったと落ち込むリアムをパースなりに励ます。そして彼の無茶な行動だけは直らないと分かっていても説教をするのもまたパースの仕事だ。 「次に無茶したら、帰国した時にマンハッタンの真ん中で服をひん剥くからな。」 「勘弁してくれ。というか、グレードが上がっていないか?この前は確か……。」 「タイムズスクエアで好きな子に告白。」 「それそれ!」 「そうやって覚える気がないからお前は同じことを繰り返すんだ!」 「悪かったって!それに俺は好きな子なんていない。」 「知るかよ。ちなみに次の次は自由の女神の展望台に全裸で登る……にするからな。」 止めろと言うくせに次の次も用意しているパースの心の広さにも適わないなと苦笑いする。 そして急に瞼が重たくなる。 「悪い、寝る。」 「おう。」 いつも通りに接する彼に安心感が沸き、リアムはそのまま意識を手放した。  リアムが次に目を覚ました時は基地の医務室だった。 体中が火傷で包帯だらけだったが、幸い骨折はしておらず五体満足だ。 軋む首を右へゆっくり動かすと、リアムの他に何人かベッドに横たわっていた。 「いない。」 目的の人物が見つからず今度は左ヘ動かせば視界いっぱいに軍服が映りこみ、ドスの効いた声が降ってくる。 「誰がいないんだ?」 「げえええ。」 「で?誰がいないんだ?」 「……パース。」 「今の反応でよくそんな嘘がつけるな。」 パースが呆れたようにリアムを見下ろす。 「あの子は、四日前にあの地区に戻った。」 「四日?あの地区?はあ?!まさかお前、あそこは、あの!」 慌てすぎて呂律が怪しくなっているリアムのベッド横の椅子に座り直すパース。 「落ち着け。一から話すから。まずお前はもう四日間眠っていた。」 「……。」 思った以上に身体に大ダメージを食らっていた事に驚きリアムは大人しくなる。 「そしてあの子はあの地区の子だ。ある程度の応急処置をしたら、そのまま走って行ったらしい。自分の家にでも帰ったんだろうよ。」 「あの子の家……。」 あの少年は両親のいない家に帰ったのだろうか。 あの付近に住んでいるのか?まだ危険だ、一人で大丈夫だろうか?────と、リアムが考えている事はパースにはお見通しだった。 「いいかリアム。」 「……。」 「おいっ!」 「えっ?」 「まったく……。覚えておけよ、次に無茶したら……。」 「自由の女神の展望台に裸で登るだろ?」 「つまりそれは一回は約束を破る……と受け取っていいな?」 顔の前に手を持っていき「すまん。」と謝るリアムに新しい包帯を投げる。そして他の負傷者に聞こえないように囁く。 「点呼までには戻って来いよ。あと、包帯はこまめに巻き直せ。」 「恩に着るよ相棒!」 「はいはい、調子の良いやつめ。」 ベッドから跳ね起き、急いで軍服に着替えたリアムはパースを残して基地を出た。 歩いて少しのあの地区は、ほんの数日前までの眺めとは一転していた。 瓦礫だらけの地区は煙が燻り、まだあちこちに死体が転がっている。すすり泣く声が聴こえ、それを浴びながらリアムはただ一か所を目指して歩を進める。 「ここか。」 真っ黒に焦げた壁、かろうじで全壊は防いだが、建物として機能することはもう不可能だ。 まだ焦げ臭いその建物へ足を踏み入れると、予想していた通り二階から人の気配を感じる。 今日はゆっくり階段を登り、会いたいような会いたくないような複雑な気持ちを抱えあの部屋へ入った。 「オ、オッム…ヤバ…イ。」 人だった黒い塊のそばで蹲る少年。 絆創膏や包帯まみれの足は、ずっとここに座り込んでいたからか真っ黒だ。 「ウウウウ……。」 か細い手が黒い塊を抱きしめる。 解けて合体した二人の大人は、一つの塊になり、もうどこがどの部分かなんて分からない。 だが、それが両親である事はこの少年が一番知っている。掌を真っ黒にしながら撫でている個所きっとそこは……。 「?!」 しばらく見つめていると少年がリアムに気が付いた。慌てて身を引く少年───両親は抱きしめたまま。 「俺だよ、俺。」 少年は首を傾ける。 「やっぱりか……英語が通じない。」 少年の態度と言語から彼はアラビア語しか分からないと推測した。 もちろんリアムも英語しか分からない。 だが、彼の両親への叫び声は理解していた。 「困ったな。」 何か、この少年に自分が無害である事と先日の兵士である事は伝えたかったが、リアムの分かるアラビア語は限られている。 「そうだ。」 リアムは両手を上げて少年に近づく。 警戒はしたものの、このポーズが意味するものは世界共通のようで少年の強張った表情が少しだけ緩む。 「大丈夫だぞ。」 通じないと分かっていても、雰囲気だけでも伝われと、色々な言葉で危害を与えないことを伝える。 そして手を上げたまま少年の前まで来た。 「大丈夫……大丈夫だからな……。」 ゆっくりと手を下ろす。 「ヒッ!」 と、少年が小さな悲鳴を上げて、ギュッと目を瞑る。 しかし次の瞬間温かい何かが少年を包んだ。 「俺だよ。君を助けた兵士だ。」 この前のように強くは抱き締めず、優しく祖国にいる母親の事を思い出しながら、リアムは少年を抱きしめた。 その逞しい上腕二頭筋や胸筋に何かを思い出したのか目を見開いた少年の瞳にはリアムが映っていた。 「元気か?どこか痛くないか?」 やはり通じない。 しかし少年はリアムを見て微笑み、真っ黒な手を伸ばしてリアムの頬を包み込む。 「────。」 何と言ったのか聞き取れないが、過酷な状況の中微笑んでくれた少年に、 「ありがとう。」 そう伝えずにはいられなかった。さすがにそれは伝わったのか少年はもう一度微笑み、そしてまた手を黒く染めながら悲しみに沈んでいった。 *   *    *  「アラビア語できる兵士を知らないか?」 「は?」 怪訝そうな顔をするパースは、勿論知っているが教えないつもりだった。 しかし今回はリアムの方が一枚上手で、手に人質を握っていた────アメリカにいるパースの恋人の写真だ。 「一本取られたな。はあ……隣のテントのイギリス人ができるはずだ。」 「ありがとう。」 すぐさまリアムは用済みになったアメリカ人女性の写真をパースに返して身を翻した。 「おいリアム、どこに行く。」 「……トイレ。」 「イギリス人と連れションか?ついでにユニオンジャックで尻拭いて嫌われて来い。」 「そんな事したらアラビア語教えてもらえないだろ、ととと、何でもない。」 慌てて口を噤んだがもう遅い。 「会えたのかあの子に?」 「会えた。言葉は通じなかったけど。」 「リアム……お前は、ここに何しに来たんだ。遊びに来たのか?」 勿論違う。 多国籍軍に参加し、空爆や紛争地域の警備の為にアメリカから送り込まれてきたのだ。 しかし、お人好しなリアムの性格上助けたあの子が気になって仕方なかった。 「せっかくなら楽しくお喋りしたいだろ?それに……」 「?」 「せっかく外国にいるのに覚えた言葉が「死ね」「殺してくれ」「お母さん」「お父さん」じゃ嫌だろ?」 派遣されて覚えたアラビア語は、自然に耳に入ってきたものだけ。どれも冷たく、悲しい色を纏っていてもう聞きたくはなかった。 「せめて「こんにちは」「ありがとう」くらいは覚えたいからな。」 リアムは初歩的な挨拶を疎かにしていた自分に怒りを感じていた。 誰であれ危険に晒されれば助けてあげたいという心情を持ち合わせていたのに、最初の一番大切な言葉を知らないだなんて、これでは最初から相手を拒絶したも同然だと痛感した。 目の前に立ちふさがる「言語」という大きな壁を壊さない限り、自分は、自分達はただの傍観者としてこの紛争地域にいるだけだ。 政府軍と反政府軍だけではなく、ここでたくさんの命を奪っている多国籍軍もまずは一人でも歩み寄ることが大切なのではないか。 「それに聞きたいこともあるんだ。」 あの少年から両親を引き離したのはリアムだ。少年はあの日の事を恨んではいまいか────それが一番知りたかった。 あの日の事を思い出しリアムの瞳が濡れる。 「熱いなここ。汗をかいてきた。」 「……。」 下手な言い訳の雫を指先で拭きとるのを見てパースはある事を思い出した。 「そういえば、目は大丈夫なのか?」 「ああ。もう何とも。」 「凄く染みたんだろ?」 「あの時はな。でももう大丈夫だ。あれは……スカンクの屁みたいだった。」 「リアム、食らったことあるのか?」 「ある。アニマルパークでな。あの時もすごく目が染みた。」 昔、霧状に噴射されるスカンクの屁を食らった時も目から大粒の涙を流した。 幼いころの記憶だがあまりにも刺激的過ぎてリアムは未だに忘れる事が出来ない。 「まあ、大丈夫ならいいけど……って、もういないし。」 既にテントを抜けて件のイギリス人の所にでも向かったのだろう。 影も形もないリアムが立っていた場所を見つめながらパースは呟く。 「スカンクの屁か……どこかで聞いたな。」 臭いが強烈と言われるから気になるのか、それとも別の何かが自分の中で引っかかっているのか、この時のパースには答えを出す事が出来なかった。 しかし着実にリアムの身体にはその臭いがこびり付いていた────「死」の臭いが。 *   *   * 西暦2013年6月某日 「俺は17歳だ。リアムは?」 「17歳?!そんなに若いのか……。俺は28歳だ。」 イギリス人に頼み込み2か月間の猛特訓の末、本日ようやく年齢を聞き出せた。 あまりにも発音が下手で、名前を聞き出すだけでも1か月要した。 そして1か月目に知った少年……いや、青年の名前はハバシュというそうだ。 紛争でまともに食べ物も食べることが出来ず、成長が上手く進まなかったハバシュは棒のような手足に童顔も相まって10代そこそこに見えていたが、もう20歳目前の青年だった。 物心ついたときにはこの廃墟、少し前までは立派な建物だったここに住んでいた。今でもここで寝泊まりしており、リアムが会いに来るといつも居る。 「ねえ、リアム。」 「何だ?」 ハバシュが手を広げる。 これは言葉のいらない二人だけの合図だ。 「おいでハバシュ。」 そしてリアムはハバシュを優しく抱き締める。これは会いに行ったあの日から毎日続いている。そして抱き締められたハバシュの戦争孤児とは思えない安らかな笑顔を見るのがリアムは好きだった。 その時いつも何かを言っているが未だにその意味は分からない。 「そろそろ点呼の時間だ。」 そう言って名残惜しそうな表情をして廃墟を後にする。言葉は通じずともその表情で別れの時間だとハバシュも理解している。 悲しそうな表情がリアムを見て、そしていつものあの場所をみる────床の一番黒ずんでいるところに、もうあの塊はない。 今はそこに雑草が供えてある。それは花もないこの戦地で出来る唯一の死者へのお供え物だった。 「では、また。」 もう一度ハバシュを抱きしめ、雑草のある場所に頭を下げて基地へと戻った。 *    *    *  それから数年の月日は流れたが、紛争は一向に収まる気配を見せない。 空爆は激しさを増し、基地に飛び込んでくるニュースも悪いニュースばかりだ。 砂埃と血の臭い、鼓膜を劈くほどの爆撃に、死体の山。 今ここの様子は映画の一部分の様に機械の枠で切り取られて裕福な生活をする人間たちに流されているのだろう。 同じ地球上に広がる天国と地獄に、天国から地獄に来た兵士たちの不満は爆弾の様になっている。しかし所詮は命令に従う不発弾にしかなれない中、リアムはハバシュとの密会を糧にして必死に過ごしていた。 「行ってくる。」 「気を付けろよ。」 「ああ。」 もう諦めたのかパースは何も言わない。 夕食の缶詰の残りを忍ばせ、こっそりと基地を出ていつもの廃墟へ向かう。 少し浮足立つ足取りは、缶詰の他に忍ばせているある思惑のせい。 廃墟の階段を一段飛ばしで駆け上がりいつもの部屋を覗く。 「ハバシュ!」 懐中電灯で中を照らすと、軍の備品からリアムがこっそりプレゼントした懐中電灯を持ってハバシュがいつもの場所に座っていた。 「リアム!」 リアムをみとめると駆けてくるハバシュはもう19歳になる。その逞しい身体を30歳のリアムが必死に受け止める……はずだったのに、今では逞しくなったハバシュがリアムを抱きしめる。 そしていつからか逆転した行為にリアムの心臓は煩くなり、触れる肉感に身体のどこかがムズムズするようになっていた。 それを隠すかのようにいつも親戚の挨拶の定番みたいなことを言う。 「だいぶ体つきが良くなったな。」 「缶詰のお陰。」 軍の高カロリーな缶詰をハバシュに食べさせ始めたころから、急に思い出したかのようにハバシュの背は伸びていった。そして体つきも良くなり年齢にも追いついたと言っていいだろう。 だが、体格が逆転しても、ハバシュは変わらずにあの言葉を言う。 「─────。」 言い終わりリアムをさらに抱き締める。 だが今日のリアムはそこから抜け出し、そして発音に気を付けながらアメリカ人の口からアラビア語で感謝の言葉を紡ぎ始める。 「俺もハバシュが生きてくれて本当に嬉しいよ。ありがとう。」 伝わっていないと思っていた言葉に返事を貰い、ハバシュがこの地特有の色をした目を見開く。 「助けてくれてありがとう、この命を大切にします……だろ?」 「分かるの?」 「ああ。今まで理解できなくてすまなかった。」 そっぽを向き顔を隠すハバシュの耳輪が真っ赤になっていた。クスリと笑い、赤くなったそこを指でなぞると肩幅が狭くなり緊張しているのが分かる。 そしてリアムも今日のもう一つの目的を思い出し顔を引き締める。 「ハバシュ。」 「何?」 「来週、クリスマスなんだ。」 その単語にハバシュが固まる。 そして深呼吸をする。 「ごめんリアム。」 「……。」 返答に何を言われるか分かっている。 「俺、ムスリム(イスラム教徒)なんだ。」 「知っているよ。それでも……。」 イスラムとキリスト教は姉妹宗教だ。 そして現代では、ムスリムでもクリスマスを祝う人たちはいる。 だが、国や地域によってその風習は異なる。 ハバシュにはクリスマスを祝う規律の寛容さは無いようだ。 しかし、言葉の壁を越え調子に乗ってしまったリアムはきっと宗教の壁も超えられる────そう思っていたが、ハバシュの表情に自分が愚かな事をしてしまったことを悟る。 「やはり軽率だったかい?文化を捻じ曲げるなんて。でもこれだけは信じてくれ。俺はただ、大切な日をハバシュと祝いたかったんだ。」 「……。」 「君と出会って、俺は色んな壁が煩わしくなった。言葉も宗教も……国境まで邪魔だと言えば大袈裟と言われるかもしれない。でも、そう思えるほどもっとハバシュと近い存在になりたいと思った。だから…君とクリスマスを祝いたい。」 リアムを見つめるハバシュの目じりが下がる。 それがリアムの吐露した気持ちの返答を物語っている。 「ハバシュ、ありがとう。」 心配事は杞憂に終わった。 余程嬉しかったのかハバシュは珍しく廃墟の外に出てリアムを近くまで見送る。 「リアム少し座らない?」 焼けて緑を無くした裸の木の根元に二人で腰かける。 「綺麗だね。」 空を見上げるハバシュにつられてリアムも顔を上げる。 「凄いな。」 口下手な自分にはこんな安直な褒め言葉しか出ない。しかしリアムは精一杯の気持ちを込めて二人の上に広がる満天の星空を褒め称えた。 明かりの全くない紛争地域。 人工の光が届くことのない夜空は宇宙の頂きで照らさている。 「楽園みたいだ。」 楽園……だが平和ではない。 いつもは空爆の戦闘機やミサイルが弧を描く空。曇天のように立ち昇る煙に、空を見上げる事なんてすっかり止めていた。 ただ前だけを見て生きてきた。 でも、今は違う。 心にできた何かを楽しむという余裕……そしてそれをくれたのは…… 「ハバシュ?」 空を見上げていたリアムの視界が満面の笑みのハバシュでいっぱいになる。 「リアムの宗教のお祝いを、俺の宗教の日付でするのはどう?」 「ハバシュの?」 「そうヒジュラ歴!」 イスラムが誕生してから太陰暦で彼らの時を刻み続けた暦────ヒジュラ歴。 そのヒジュラ歴の12月25日にお祝いをする。まさに壁を取り払い歩み寄る二人には素晴らしい提案だった。 リアムは二つ返事で返し、喜ぶハバシュはまたリアムを抱きしめた。 「クリスマス、楽しみ!」 「ああ!」 いつも以上に抱きしめ合いリアムは基地へと戻った。 あまりの嬉しさでソワソワと何度も足を組み直すリアムは今日の事をパースに打ち明けた。 「……おのぼりさんめ。」 「は?」 「恋する乙女みたい顔しやがって。浮かれてんじゃねえぞ。」 簡易ベッドからリアムはガバっと起き上がる。 「こ、恋?!誰がいつそんな!」 「だいぶ前から。だから途中から止めなかっただろ?」 確かにある日を境にパースの小言はなくなった。 「孤児に会いに行くだけならとっくに止めていたさ。なのにお前は、日に日に緩んだ顔で基地を出て行きやがる。」 慌てて自分の頬ペチンと叩き、引き伸ばし始めるリアムを見てパースは微笑む。 「もう諦めろ。数年前からお前の顔は緩みっぱなしだ。だから止めなかっただろ?」 「……。」 「で?プレゼントは決まったのか?」 「まだ。菓子とかがいいかな?」 「アメリカでのプライベートな事は一切知らないが、お前たいてい振られるだろ?」 「パースって俺のストーカー?」 多国籍軍に参加してからの付き合いのパースに、自身の恋愛遍歴を見抜かれてリアムは目を見開いた。 「俺じゃなくても分かると思うぞ。」 「……で、菓子じゃ駄目なのか?」 「好きな子に送るんならな。好きなんだろ?」 「……。」 思えば、抱き締めれるようになってから変な胸の高鳴りは感じていた。 目を閉じればあの逞しくなった肩幅や胸板やハバシュの匂いを思い出し、体中が熱くなる。 彼の腕が背中に回され、手のひらで撫でられるときに感じる震え。 「いや、でもあれはきっと……っ?!」 目の前に突き出されていた手鏡には顔を真っ赤にし頬が緩んだリアムが映っていた。 「忘れんなよ、タイムズスクエアで告白。」 懐かしい懲罰を引っ張り出してきたパースが鏡を引っ込め、今度は軍が支給している通信端末を渡してくる。 「ネットが繋がっている。菓子なんてやるなよ。せめてお前を近くで感じられるものにしてやれ。」 こんな身の上なんだから余計にな、と悲しく言うパースの言葉は彼とあの写真の彼女の今をひしひしと伝える。 「ありがとう。」 受け取った端末で彼の分まで必死になってリアムはプレゼントを選んだ。 戦場で咲いた恋。 それは固いきずなで結ばれているようにみえて実は脆い。なぜならここは戦地なのだから。二人を引き剥がす要素はそこら中に転がっている。 だが、浮かれているリアムにはそんな危険は微塵も感じる事ができなかった。 そして頼んだ贈り物が届く日。 夜の見張りを免れるために昼のパトロールをかってでたリアムの代わりにパースが物資配給車に品物を取りに行く。 新しく任についた兵士に件の荷物を受け取る。 「それ、リアムのだ。俺が渡しておく。」 「頼んだ。」 「…もう一つのそれは何だ?」 食料でも何でもない違和感のある大きな段ボールが目につく。大きく「C」とだけ書いてある。本当にそれだけ。 「ん?これか…C地区に持っていく物資だ。」 「多国籍軍への物資か?」 「いや違う。地区の人間にだ。前からずっと届いているぞ。数年前あのリアムが火災に突っ込んだ地区に送っていたんだけど、今はC地区らしい。俺も任に着いたばかりだからよく分からん。」 「ふーん。」 国名すら記載のない段ボール。 普段は物資の担当ではない為、パースももう一人の兵士も分からない。 「どこの国からだ?」 「…国名がない。」 二人で顔を見合わせる。 手近に会ったカッターをキリリと鳴らし、刃物を入れた。 その中からは……。  物資配給車で何があったか知らないリアムは、今日届くクリスマスのプレゼントを想いながら口笛を吹き担当地区から基地の自室テントへ戻った。 「パース!俺の荷も…っ?!」 テントには既にパースがいて荷物の事を尋ねたが、勢いよく振り向いたパースは怒りに満ちた形相をしていた。 そしてリアムの胸座に掴みかかる。 「おい、離せって!なんだ!」 「お前、どこか身体は悪くないか?!」 「えっ?」 手足をブラブラさせるが何処も痛くない。 「呑気な顔してんじゃねえ!ささっとアメリカに帰る支度をしろ!そして直ぐに専門機関にかかれ!」 「はああ?!」 突如伝えられた帰国命令にリアムは驚きの声を上げる。 「何故?!」 リアムの胸座から手を離したパースが彼の荷物を根こそぎかき集める。 「待てよ!どういうことだ!それに俺は帰らない!だって、今日は……。」 これからハバシュとクリスマスを祝うのだ。 まだ浮かれているリアムをパースが睨み付ける。 「クリスマスと自分の命どっちが大切なんだ!」 自分の命を天秤にかけられ、さすがのリアムもただ事ではないと理解する。 「今日、これが来た。」 落ち着こうと深呼吸をしたパースがハバシュに渡すプレゼントをリアムに渡す。 「その時、どこから来たかも分からん物資が一つだけあった。きな臭かったんで悪いが覗かせてもらった。そしたら……。」 パースの瞳がリアムを想い悲しみに揺れる。 「大量の中身が空っぽの消火器と……。」 「消火器?」 「黒い塊と液体が入ったボトルが入っていた。」 パースは段ボールを開けた瞬間のあの光景と薬品特有の臭いを思い出し鼻を摘まみ、目頭を押さえた。 「目が染みた。」 「目が?まさか……。」 「それで思い出した。リアム、スカンクの屁みたいだったって言ったよな?」 「ああ。」 「ずっとスカンクの屁が気になっていたんだ。スカンクの屁は、実際に第一次世界大戦中に利用された化学兵器の材料だ、爺さんに聞いたことがある。もしかすると今回のアレも化学兵器の類かもしれん。」 二人の間に重たい空気が流れる。 「本当なのか?」 「俺の仮説だ。」 「なら、あれは化学兵器でも何でもないんじゃ……。」 「……ここからも俺の仮説だが、もしこの化学兵器が実験段階の物だったらどうする?」 「……。」 「効果も持続性も分からぬ化学兵器。それを実験するなら紛争地なんてもってこいだ。物資さえ渡せば済む。」 「でも、そんな事がされていたら俺たちにも通告されるはずじゃ……。」 「残念だが段ボールには国名が記入されていなかった。どこの国かも分からん。だが多国籍軍の物資に紛れ込ませるってことは多国籍軍に参加している国のどこかだ。」 「じゃ、あの紛争から比較的に離れていたハバシュの地区は……。」 「実験にはもってこいだ。目も届かない、かつ現地民を格安の賃金で働かせ化学兵器を作らせることが出来る。」 「もう紛争に利用されているのだろうか。」 いつの間にか自分たちの知らぬ間にどこかで化学兵器を使用していたら。 そんな不安がよぎる。 「それはない。まだこうやって消火器なんてちゃちな物で隠してるってことはまだ効果が分からず実験段階なんだろ。それに……。」 パースがリアムを指さす。 「効果が表れていないのはまだ元気なお前が証明している。まだ実験段階なんだろ。つまりここは大きな実験地帯だったってわけだ。……っていう俺の仮説だが…お前はどう思う?」 仮説というのに真っ直ぐにパースはリアムを見つめて視線を外さない。 「……正しいかもしれない。」 あの火事の日を思い出す。 目が染みた、そして確かに……。 「消火器があった。」 「霧状型の化学兵器なのかもな。素人が作業をしたせいで爆発したんだろ。」 紛争地域から離れたハバシュの地区が何故爆発を引き起こしたのか謎は解けた。 あとは… クリスマスプレゼントを握りしめ、リアムはパースに背を向ける。 「おい!どこに行く!さすがに今日は行かせないぞ!」 肩を掴む腕をリアムは振りほどく。 「最後だ。お願いだ。ハバシュは…自分の命を懸けてまで守った男なんだ。お願いだ。会いに行かせてくれ。俺にとっては命より大切なんだ。」 「……。」 「それにもとはと言えば、そんなものを持ち込んだ俺達多国籍軍にも非はある。」 平和のための多国籍軍とはよく言ったものだ。 結局、それで全てを覆い隠し裏はこの化学兵器の様に真っ黒だった。 紛争地域を広大な実験地に、何も知らぬ現地民や多国籍軍を事件台に、先進国だけ先へ先へと、私利私欲の先へと進もうとしているのだ。 砂埃と瓦礫、血と悲しみに塗れたこの地のなんと純粋な事か。 崩れ去るその地を黒く染めていたのは政府軍でも反政府軍でもなく自分たちだったのだ。  だが、その考えにパースは真っ向から反論する。 「あるかよ。俺たちは知らなかったんだ。」 もう一度リアムの肩を掴み、そして労うように優しく叩く。 「でも、お前にその考えは通用しないな。」 そして背中を押す。 「行ってこい。点呼までには帰って来いよ。」 「ああ。恩に着るよ相棒。」 そう言い残して……リアムは去った。 そして冒頭───西暦2017年9月17日、 ヒジュラ歴1438年12月25日 二人はクリスマスを祝った。 プレゼントを渡す手を止めるリアム。 「ハバシュ、俺の話を黙って聞いてくれ。」 リアムは真実を確かめるためにハバシュに全てを話した。 黙って聞いていたハバシュも何か心当たりがあるのか途中から顎に手を当て何かを考えていた。 「君のお父さんとお母さんはここで化学兵器を作る手伝いをしていたんじゃないか?」 ようやくハバシュが口を開く。 そこからは恐ろしい事実が判明した。 「お父さんとお母さんだけじゃない。ここに住んでいた人はみんなその黒い塊を潰して、あの消火器に入れていた。他にも何か入れていたけどよく分からない。二人とも教えてくれなかった。」 消火器が置いてあった場所は今は瓦礫と件の火災で染みついた焦げ跡が残っている。 「あの爆発の日、下で大きな音がしたんだ。」 「下?」 ハバシュはゆっくりと頷き天井を見上げる。今は崩れて星空が広がっている。 「この上の階にここで働いていた人たちやその家族は住んでいた。子どもは俺だけだった。大人たちがこの部屋と一階で作業をしている間、絶対にあの部屋から出てはいけないって言われてた。でも……。」 ハバシュは覗いてしまった。 しかし大人たちの仕事が化学兵器の製造とは気が付かなかった。 だが大人たちは知っていた。 だからハバシュを部屋に近づけなかったのだ。 「あれは……。そういう事だったんだね。」 ハバシュの瞳から雫が零れる。 「爆発したってことは飛散して俺もリアムも死ぬの?」 「分からない。だから一緒にアメリカに行こう。」 「そんな事できるの?リアムは出来ても俺は……。」 「俺が必ず連れて行く。だから……。」 「だから?」 「……。」 「だから何?リアム?」 リアムは何も言わない。いや、何も言えなかったのだ。 「リアム?!」 重力に任せてリアムの身体がコンクリートの床に倒れ込む。 身体が動かない。喉を締められた様な感覚に襲われた後、硬直した身体。 そのまま味わったこともない激痛が走り座ってすらいられなくなった。 ────その時が来たのだ。 化学兵器はあの日から静かにリアムを蝕み続け、今とどめを刺そうとしている。 重くなる意識の中、ハバシュだけでもとリアムは最後の力を振り絞る。 「はや…くっ…ぐあっ…はあ…はあ…早く、君だけでも…っ?!」 目から熱い何かが垂れてくる。 ポタポタと赤い雫がコンクリートに染みを作っていく。 まるで空爆を戦闘機から見ているような光景だった。爆撃を思わせるような赤い染みはどちらも死へ誘う意味では変わらない。 「ぐはっ!!」 吐血も伴い、コンクリートの上の爆撃が全て朱に染まり、重くなった瞼と共に視界が霞みだす。それと共に体中が痺れ、痙攣を始める。跳ねように仰向けになり、闇が迫る中、必死にハバシュを探す。 手の感覚もほとんどない。まるで最初から自分に手などついていなかったようだ───が、微かに残った感覚が何かに触れる。 「リアム!!!!」 鼓膜を震わす声を頼りに首を動かす。 もう何も見えない。 リアムの視界は真っ暗になっていた───視覚神経を破壊されたのだ。 「…ッハバ……シュ……。」 声帯にまで化学兵器の魔の手が迫る。 しかし微かな声をハバシュは捉えていた。 「リアム、ここにいるよ!お願い死なないで!おいていかないで!」 「ハ……バ…シュ。」 最期の力で必死に声帯を震わせる。その言葉しか知らないかのように、リアムは最後のアラビア語を紡ぐ。 「…バ…シュ。」 もうその言葉が何を意味するのかなどリアムには理解できない。 しかし、きっとこれは大切な言葉だと本能で感じ、もう一度発そうと口を開けたが、出たのは細い息のみでもう二度と英語でもアラビア語でも言葉を紡ぐことはなかった。 *     *     * 命がまた散った廃墟で、涙が枯れきった青年が冷たくなったアメリカ兵を抱きしめる。 穴という穴から噴出した血液は、青年の涙と空気で乾燥と滲みを繰り返し、真っ赤な模様を身体やコンクリートの床に広げている。 その赤い光景にいつかの火事を思い出す。 あの時はリアムがいた。 だから己の中に湧き出る「復讐」という醜い心を抑えることが出来た。 彼がいれば、紛争が終わった先の時代に、この命が残っていてよかったと思える日が来る。そう信じていたのに。 自分を守ってくれた彼を、今度は自分が守りたいと思っていたのに。 「リアム……。」 もう彼はいない。 いつかの様に死体を抱きしめ頬を撫でる。 一人きりで。 「待っててね……俺もそっちに行くから……。」 苦しみを纏ったアメリカ兵の瞳を閉じる。 もう自分にも迫っているかもしれない「死」 その恐怖と多くの大切な人を失った悲しみが、青年の真っ黒な蕾を少しずつ押し広げる。 「でも、その前にやることがあるんだ。」 ゆっくりと立ち上がった青年がアメリカ兵のポケットから小さな箱を取り出す。 そこからはドッグタグプレートに二人の名前が刻印されたシルバーのネックレスが出てきた。 「まだ一緒に居るみたいだよ、リアム。」 でも彼はこの首飾りの様に冷たい。 初めて貰ったクリスマスプレゼントを首から下げ、その背中には復讐を纏い、朝日に照らされた瞳は輝きを跳ね返し影がさしている。 負の感情を吸い上げ、蕾が開ききる。 ────血塗れた大地で、テロリストの黒い微笑みが咲く。 終

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