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【fifty fifty】幸原果名
美しければ、それでいい。
それが女でも。──男でも。
高い天井から下がる数々の豪奢なシャンデリアに照らされて中央のシャンパンタワーが黄金色に光り輝いている。
よりラグジュアリーで非日常な空間を、というコンセプトのもと開業された新しいホテルのパーティー会場。一通りのスピーチも終わって宴もたけなわ、といったところだ。
西園寺司(さいおんじつかさ)はシャンパンを片手に華やかなパーティードレスを纏う女性たちと歓談していた。
独立して二年目。二十八歳。順風満帆に進んできた西園寺は莫大な富を持つだけではない。その見目の美しさから周囲の者が放っておかない。毎日ジムで鍛え上げた体躯はいつも羨望の的だ。少し長めの襟足にかかる髪からは甘くセクシーな香りが漂う。整った鼻梁、人の心を射抜く鋭い眼差し。したたかで美しい猛獣の危険な匂いを放っている。
嫌みのない純白のスリーピースのパーティースーツを身につけ、会場に入った途端、誰もがその姿に心を奪われて、しばし熱い視線を注ぐのだった。
ファンドマネージャーという職柄、女性関係は派手だと思われがちだが、西園寺は手当たり次第漁るような真似はしないよう心掛けている。相手がどう顧客と繋がっているかわからない。それに、と止まらない女性達の話をどこか上の空で聞きながら思う。
──本当の美など、そんなに簡単に転がっていない。
どこが仕事の糸口になるかわからないため、パーティーの最後まで残ろうとふと視線を巡らせたその時だった。
「……あの方は?」
つい口をついて出た言葉に女性たちが一斉にそちらの方を見る。
西園寺も知っている大手病院の院長と歓談している。シルバーグレーのスーツはとてもよい生地でできているのだろう、光沢が違う。どこか儚げで少し線の細い、黒い瞳が印象的な青年だ。左右対称の顔、というのは滅多にあるものではない。その類まれなる美しさに西園寺はしばし目を奪われた。
「小笠原(おがさわら)製薬のご長男で、副社長の圭人(けいと)さんよ」
「……そうですか」
「少し近寄り難い雰囲気がするけれど気さくな方よ」
「西園寺さんと同い年くらいじゃないかしら」
西園寺は軽く手を上げると女性たちに一礼する。
「ご挨拶がしたいので、少し失礼しますね」
歩を進めているとあちらもちょうど話を切り上げて一人になったところだった。
「失礼。少しお話し、よろしいでしょうか」
「ああ」
圭人はふわりと花が咲くように微笑んだ。その姿は例えれば白い百合の花、というところだろうか。
「先程から女性陣を一人占めになさっている……」
「西園寺司と申します。ファンドマネージャーをしております」
西園寺は胸ポケットからいつも常備している黒皮の名刺入れを出した。その中から一枚引き抜くと圭人に渡す。
「片手で失礼します。僕も……」
「お持ちしますよ」
シャンパングラスを受け取り、整えられた指先で名刺を差し出す様を見る。艶のある黒髪。煌めく理知的な瞳。ただ線が細いだけではなくほどよくしなりそうなその身体。上から下まで完璧だ。
「小笠原圭人、と申します。圭人、で結構です」
「では、私のことは司で」
中央から少し端に移動して二人は話し始めた。御曹司というだけあって、立ち振る舞いすべてにおいて行き届いている。苦労とは無縁の生暖かい生活を送っているのだろう。人を疑うことなど知らぬような好意的な笑顔が西園寺の支配欲をくすぐる。一晩でいい。自分の下で激しく乱れさせて、泣かせてみたい。薄暗い情欲が頭をもたげるが、善人の表情はまったく崩さない。
「なにか、飲みますか?」
「…………」
「圭人さん?」
圭人は少し俯き加減で口元に手を当てた。
「……ごめんなさい、忙しくて、今日、なにも食べていなくて……」
「え? それで酒を飲んでいたのかい?」
空腹で酔いが早まったらしい。圭人は大丈夫、といいつつもまだ俯いている。
──これはチャンスだ。
西園寺は彼の手のグラスと自分のグラスを近くのボーイに手渡すと耳元で囁いた。
「少し酔ったらしい。すぐに部屋の準備を。できればスイートで」
「……司さん?」
「大丈夫、少し休みましょう。歩けますか?」
「……はい」
圭人の肩を抱いてゆっくりと人の波をかき分ける。足元が少しふらついていたがその手が西園寺のスーツの裾を握りしめるのを見て、久しぶりに楽しい夜になりそうだ、と口元を綻ばせた。
「……っ……あ、ああ……っ」
夜景を一望できる独立した寝室。そのキングサイズのベッドの上で圭人は大きく足を開かされて西園寺に熱い楔を打ち込まれていた。スプリングの力を借りて揺すり上げるたび、圭人の唇から甘い吐息が漏れる。
男性なら後で騒ぎ立てることもあるまい、と西園寺はほくそ笑んだ。なによりこのしなやかな身体。どこまでも快楽に従順。誰ともセックスなどしたことがない、というような清廉な表情とは裏腹に、今は熱く熟れた果実のように溶けている。
「……圭人……」
「……つ……かさ、さん……」
「すまないね。俺はチャンスを逃さないもんでね」
圭人の潤んだ瞳に欲望を剥きだしにした自分の姿が映っている。長い睫毛が時々震えるように伏せられた。
「男は俺が初めて?」
そう尋ねると赤く染まった目尻から涙を流しながらこくこくと頷いた。
「そうか。じゃ、優しくしてあげる」
ぐっと身体を倒して唇を重ねると圭人の腕がおずおずと西園寺の背中に回された。
「舌を出して。……そう」
舌を噛んで、吸って、絡ませ合う。ぎこちなく、しかし必死になって応えようとする姿を見ているうちに西園寺は胸の奥がざわつくのを感じた。
──まさか……な。絆されるなんて。
「ここは? 気持ちいい?」
奥へ、奥へと入り込みながら汗ばむ圭人の耳元で囁く。そのたびに喉の奥から、いい、という微かな声が漏れ聞こえた。強く突くと中が熱く締まり、絡みついてくる。ふう、と息をついて西園寺はきつく腰を掴み、激しく身体を前後に動かした
「あっ、あ……っ……あ……!」
「中に出すよ」
「司さ……ん!」
すべてを注ぎ込んで身体を起こすと、圭人はじっと西園寺を見上げていた。荒い息をしながらも一途に見つめてくる圭人にたまらなくなってもう一度口付ける。熱くざわめく心からその言葉ははらりと落ちた。
「圭人。俺と付き合ってくれないか」
連絡が、無い。電話をしても留守電に変わってしまう。仕事が忙しいのか、それとも敢えて避けているのか。
西園寺は投資家への説明が終わるとエレベーターのボタンを押して到着を待った。
あのパーティーの翌日。西園寺はスイートルームで一人目覚めるというなんとも虚しい朝を迎えた。仕事柄朝が早いのでさすがにそれはないと思っていたが、五時きっかりに目を覚ますと隣りはおろか、もう部屋の中にさえ圭人はいなかった。
付き合ってくれ、との言葉に返事は無かった。だが「断られる」という経験をしたことのない西園寺は勝手にもう付き合うものだと判断していた。なのに連絡をしても通じない。圭人は一晩の過ちにしたいのだろうか。それにしては自分を見つめていた目が熱かった。圭人の気持ちがわからない。これはもう本人を捕まえる他ないのだな、と考えた。
エレベーターを降りて天井が吹き抜けの大きなロビーを歩いていると突然、後ろから誰かが肩にぶつかってきた。驚いて鞄を落としてしまった西園寺の前にその人物は頭を深く下げた。
「ごめんなさい! 急いでいて……」
「圭人?」
「司さん?」
圭人が人懐こい笑顔で見上げる。
「こんなところで会うなんて。お仕事ですか?」
「あ、ああ……」
西園寺は少したじろいだ。あんな風に激しく抱き合った相手に対してこんな爽やかな笑顔を向けてくるなんて。
圭人は落とした鞄を拾って西園寺に渡してきた。
「すみませんでした。急いでいて……司さん?」
「何度か、電話をしたんだけど」
圭人は少し考えた後、ああ、と声を上げた。
「司さんだったんですか! ごめんなさい、まだお名刺の方登録していなくて。知らない番号には出ないんです」
「……そう。なんで、あの時、先に帰っちゃったの?」
「……あの時?」
圭人は首を傾げて、よくわからない、というように眉を顰めた。
「ごめんなさい、もしかしてパーティーの時のことですか?」
「ああ」
圭人は少し顔を赤らめて俯いた。
「ごめんなさい。あの日僕酔ってしまったらしくて。全然覚えてないんです。気が付いた時には家にいて」
あからさまな嘘をついている。スイートに一人で置いていかれる、連絡は通じない、名刺は登録していない、挙句の果てには嘘をつかれる……。
「でも、司さんと途中までお話したことはよく覚えています! これからもぜひよいお付き合いをさせていただきたいと思って……」
西園寺は少し首を捻った。途中までは覚えている。しかしその後の記憶がない……。しかし朝まで酔っていたわけではないはずだ。まさか。
部屋に連れていかれたことを覚えていないのか。そして朝起きて事の重大さに気付いて、寝た相手の顔まで確認していなかったのか。そしてそのことを西園寺には隠したい。それなら話の辻褄が合う。だが……。
西園寺は少しずつ怒りが込み上げてきた。自分一人が馬鹿みたいに圭人のことを想っていて、当の本人は何も覚えていない。こんな仕打ちを受けたのは初めてだ。西園寺は圭人の片腕をぐっと掴むとどんどん歩き出す。
「……っ、司さん?」
「ちょっと来い。話がある」
「……っん……んぅ」
トイレの個室に閉じ込められ、圭人は壁に押し付けられたまま西園寺からの激しいキスを受け続けていた。声は出せない。ロビーのトイレということもあって、さっきから頻繁に人の出入りがあるのだ。必死に背伸びして西園寺の肩にしがみついている。しばらくして人の気配が無くなると西園寺は唇を離した。圭人の頬が紅潮して瞳が濡れている。
「あの夜、なにがあったか教えてやろうか。君は男に抱かれてた」
「…………!」
圭人は息を飲んだ。やっぱりだ。圭人は相手の、西園寺の顔を確認しないまま部屋を飛び出したのだ。
「……なんで……そんなこと……」
「さぁ? なんでだろうな」
西園寺の長い指が圭人のスラックスのファスナーの辺りをさまよう。肩にかかっていた力が強くなる。
「いいのか? 小笠原製薬の御曹司が男相手に足を開いていたなんて知れたら……」
「つ、司さん……なんで……」
覗き込むと圭人は苦しげに息を吐いた。ボタンとフロントホックを外し、ゆっくりとファスナーを下ろす。手を中に入れると圭人のものは熱く脈打っていた。外に出すと緩くそれを扱き出す。思わず圭人は西園寺の肩に額を当てた。
「やめて……」
「やめないよ」
「なんで……」
なぜか、身を持ってわからせてやる。西園寺は思わず強く圭人を握りしめ、責め立てた。
「あっ……! 司さ……ん!」
ぐちゅぐちゅと淫らな音が響き、圭人は必死に声を堪えている。足ががくがくと震え、立っているのもやっとのようだ。西園寺は腰を抱き止め、圭人の耳元で囁いた。
「なんでって? 俺のプライドを粉々にしたお仕置きだよ。圭人。俺と君は付き合っているんだ」
「……えっ……?」
意味がわからない、というように圭人は何度もかぶりを振る。西園寺が最後の情けとして跪き、圭人のペニスを口に頬張った。髪に白い指が差し入れられ、掻き乱される。
「司さ……ダメ……」
「イッていいよ」
ぶるりと身体を震わせて圭人は西園寺の喉に白濁した液体を流し込んだ。最後まで飲み干して唇を拭うとそれを見下ろしていた圭人が口元を片手で覆った。うっすらと肌が紅潮して西園寺が立ち上がると腕の中に倒れ込んできた。
「……司さん……」
「君は俺のものだ。いいね? 意味なんて、わからなくていい」
圭人は小さく──しかしはっきりと頷いた。
「遅れてごめんなさい」
「いいよ。仕事お疲れさま」
仕事柄、朝は早いが市場が閉まってしまえばあとは雑務をこなすだけ。圭人を抱いたホテルの最上階の会員制バーで西園寺は先にくつろいでいた。
付き合い始めて三か月。最初、圭人は困惑していたがベッドを共にするたびに急速に距離は縮まった。今では心底西園寺を信用しているようで、本当に危ない子だな、と苦笑する。昼の凛とした立ち振る舞い、夜に見せるうっとりとした甘い表情。そんな圭人のギャップを大いに楽しんでいた。
「明日は休みなんだろう?」
「うん。今夜も……大丈夫。泊まれるから」
「そうか」
西園寺は手元にあるグラスと同じものをバーテンダーに注文した。
「でもあまり飲むなよ。おまえはそんなに酒に強くない」
「そんなことない」
「最初に会った時も……」
そう言うと圭人は困ったように口を尖らせた。
「その話は……止めて」
「……そうか」
夜を共にした相手が自分だということを圭人に教えなかった。教えるつもりもなかった。圭人を手に入れられたのだから、それでいい。西園寺は頬杖をついて、窓の外の夜景を眺めた。
「圭人。今度、旅行にでも行かないか」
「旅行? そんなに長く休みは取れないよ」
「俺もパソコンから目を離せない時間があるからな。近場で」
グラスが圭人の目の前に置かれる。軽く礼をするとふふっと笑みが零れた。
「どうして?」
「おまえをもっと一人占めしたいし、甘やかしたいんだよ」
「嬉しいことを言ってくれるね」
カランと氷が崩れる音がした。圭人が自分を見つめているのがわかる。西園寺はカウンターの下でそっと手を伸ばして圭人の手を握る。すると思わぬ力で握り返された。
「……司は僕のもの。……もう、離さない」
「どうした? 急に」
「僕はチャンスを逃がさないものでね」
「……え?」
圭人が無邪気に笑う。どこかで聞いた台詞だ、と西園寺が振り返る。
「あの時、あなたはそう言ったっけ」
「圭人?」
「……あなたのことはずっと前から知ってた。モテる割に簡単に手を出さない。相手に求める条件が高い。どうしたらいいか考えてた。あの晩は幸運だったよ。あとは一晩限りで終わらせないようにするだけだった」
グラスを置くと圭人は視線を巡らせた。
「酔ったフリをしたのも、電話に出なかったのも、あなたにぶつかったのも、全部計算のうち」
「圭人……」
まさか。ひやりとする。圭人が計画して動いていた? 自分を手に入れるために?
「あなたはプライドが高い人だからその鼻をへし折れば必死になって相手を屈服させようとする。そうだ、なにかのインタビューで好きなタイプは奥ゆかしい人、なんて言ってたけど、それは違うな」
圭人の指に更に力がこもる。もう逃さない、とばかりに。
「あなたにはじゃじゃ馬馴らしの方が似合ってる」
面白そうに瞳の奥が躍っている。
「俺とが、初めてじゃない?」
「さぁ。どうなんだろう」
「ハメたつもりが……ハメられたってこと?」
「ここまで来たら黙っているのはフェアじゃないからね」
やられた。完全に手綱を握られた。こんなことは初めてだ。だが、不思議と屈辱とは思えなかった。どこか心地よく感じる自分がいる。胸が熱くざわつく。初めて会った夜よりも、なお熱く。
圭人は今まで見たことのない妖しく艶やかな表情で微笑んでみせた。
「こういう僕は嫌いですか?」
嫌いなわけがない。むしろ。西園寺はふっと息をつくと圭人の手を引き寄せて頬に唇を寄せた。
「負けたよ、圭人。俺は君に首ったけだ」
数多の宝石を散りばめたような景色が眼下に広がる。それは新たな夜の幕開けを祝福しているかのようだった。
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