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【 アレクシスの無自覚な恋 】  佐藤

 囁くような静かなざわめき。  耳に心地よいピアノの繊細な音は、どこぞの名のある奏者なのだろう。  流曲線が特徴のロカイユ装飾を多く施した広い室内は、煌びやかな紳士淑女たちの社交の場となっていた。  高い天井から釣られた豪華なシャンデリアに相応しい格のある客ばかりのこのパーティーは、大富豪のロズウェル家当主の粋な趣味として、月に数度行われている。代々受け継ぐ資産もさることながら、当人の経営手腕もあいまって大企業のボスともなったこのパーティーのホストは、その反面、童心を過去へ置いてくるのを忘れたらしく、あの手この手で客を喜ばせ、時に驚かせて当人がそれを何より楽しんでいるような好々爺でもあった。  その御仁が主催するとあって、集まる客も洒落のわかる人種ばかりで、ここでは商談を始めるような野暮な朴念仁はいない。  そんな身も心も洗練された客達の中でも、ひと際目立つ男がいた。  淑女のみならず、紳士たちの目をも集めるその男は、今はその長身を白い壁にもたれかけ、片手に持つシャンパングラスを傾けていた。少し瞼を伏せたその顔に、ほおっとどこからともなく溜息がでるのも、その男の周囲では茶飯事のことである。  見事なブロンドの髪は長い前髪を片側だけ垂らし、その精悍な頬を僅かに隠す。そしてその髪色に負けることのない鮮やかなブルー・アイ。それを縁取る目元はきりりと上がり、男がその目をちらりと向けるだけで大抵の人間は頬を赤らめた。歪みのない真っ直ぐで高い鼻筋、男らしい少し厚めの形の良い唇が操る言葉は、フェロモンをアクセントにしたかのような深みのあるハスキーボイス。バランスよく鍛えられた長身の身体は、そのままランウェイを歩いただけで無名のデザイナーを一躍トップへ押し上げてしまうのではと思えるほどの美丈夫である。ただし、どんなブランドであっても男の色香が強すぎて、デザイナー泣かせのモデルになってしまうのは容易に想像できた。  それほどに神の恵みを一身に受けた男の名は、アレクシス・オーウェン・ミラー。  ホストのドーパー・ロズウェルは懇意にするミラー家の中でも、跡継ぎであるアレクシスを実の孫のように可愛がっているのはこの界隈では周知のことである。アレクシスもまた、ほどよい距離感を保ちつつその立場を甘んじて受け入れている節があり、かといってそれを笠に着るような愚かさとは程遠い、有能さと節度を持つ男であった。それがまた、周囲の羨望を集める要因の一つでもあるのだろう。  そんなアレクシスがこうやって壁際で一人、シャンパングラスを傾けているのには理由がある。  今夜のベッドの上でのパートナーをじっくりと検分するためだ。  一夜のアバンチュールを楽しむのは紳士の嗜みだとばかりに、ときおりこうやって特定のパートナーを連れずにアレクシスがパーティーに姿を現すことはよく知られていた。  その長い前髪から覗くブルー・アイが意味深に細められただけで、溢れかえる男の色香に酔わされる者は多い。しかしアレクシスが選ぶのはその中のごく僅かな人間。その嗜好が男女問わないことも暗黙のうちに受け入れられてはいたが、その趣味が偏ることはなく、それがまたアレクシスに興味を持つ者に淡い期待を抱かせてしまっていた。  パーティーが始まってもう随分と時間は過ぎていたのだが、その日のアレクシスはなかなか目標を決められないでいた。 (あの女は……確かビルダーの妻の友人だと言っていたか。スタイルはいいが少し化粧が濃いな。あの唇にキスを強請られたら逃げたくなる。――ピンクのドレスの女はいい。細い腰がそそる。だが……若すぎる)  アレクシスは涼しい表情で女達を品定めしてゆく。  前回誘ったのは、パーティーの給仕をしていた男だった。セレブばかりの集まるパーティーに身元の怪しげな人間は立ち入れない。厳しいチェックの元に採用されるのだ。それはホストの力量も問われる重要な点であるから、その辺りの心配をする必要はなかった。遊び慣れた風の年上の男で十分楽しめたが、アレクシスは今までどんな相手でも二度同じ相手を抱いたことはない。それはロズウェル家に引けを取らないミラー家の跡取りだという自覚の表れでもあった。  空になったシャンパングラスを即座に取替えにきたウェイターから新しいグラスを受け取っていると、ふとホストのドーパーのそばに立つ男の姿が目に入った。 「――あのドーパーの前にいる客は? 知らない顔だが」  立ち去ろうとしたウェイターを引きとめ聞くと、プロであるウェイターは即座にそれを確認した後、「先日、主人が日本から招待された御堂様でございます」と答える。 「そうか」  それっきり黙ってしまったアレクシスに小さく頭を下げたウェイターは、何事もなかったようにそこから立ち去った。  アレクシスがシャンパングラスを片手に、寄りかかった壁から背中を離す。  遠目に彼の動向を盗み見ていた視線が、一斉に期待に熱を持ち、わずかに空気が浮ついた。  しかし当人はどこ吹く風の体でフロアを優雅に横切ってゆく。 「ドーパー」  ここで気安くファーストネームでホストを呼ぶのは、ごく限られた人間だけだが、むろんアレクシスもその中の一人だった。 「――アレクか。いつもは自分から近寄ってこないくせに珍しいことだ」  ソファに座り客と談笑していた好々爺が、含みをもたせた言い方で笑う。 「お楽しみの邪魔をしてはいけないと遠慮しているだけです。ですがたまには挨拶をしておかないと、と伺いました」  ドーパーの探りなど意に介さないようにアレクシスは笑ってホストへ近づいた。  男の隣へ並ぶように。 「こちらの方は……?」  ちらりと艶やかな黒髪を後ろへ緩く撫でつけた日本人だという男を見た。  東洋人にしては身長は高いのだろうが、やはり百九十近いアレクシスと並ぶと拳一つ分ほどの差がある。突然の来訪者に視線を上げたその瞳はまるで黒曜石のように深い色合いで、アレクシスは思わず魅入ってしまう。  男らしい傾斜のある眉、意思の強そうな眼差し、少し丸みはあるがすっと通った鼻、そして頑固そうにきゅっと引き結ばれた口元。黒でまとめた三つ揃いも服に着られることなく、逆にそれが東洋人独特のストイックさを際立たせて男の魅力を引き出すという、パラドクス的現象を体現しているかのような男――。 「なんだ、ここへ来たのはそれが目的か」  かっかっと高笑いするホストに、隣の男は驚いたように目を見開く。どうやら男は悪戯好きなドーパーの性格までは知らないらしい。ということはおそらく仕事絡みの客なのだろう。 「否定はできませんね。珍しい東洋のゲストを紹介していただきたくて」  悪びれずににこりと微笑むアレクシスに、好々爺がワガママな孫が可愛くてしょうがないとでもいうように皺を深めて含み笑いを零す。 「おまえに強請られては聞かんわけにはいかんな。――御堂君、これは私が可愛がっているアレクシス。アレク、こちらは今度日本に会社を作るためのアドバイザーを頼んだ御堂君だ」  ホストにお互いを簡単に紹介され、正面で向き合う二人。  アレクシスはまずは控えめに薄く微笑み、グラスを持っていない方の手を差し出す。ロズウェル家の仕事のパートナーと聞いてはそう気軽に誘うわけにもかない。 「アレクシス・ミラーです。よろしく」  アレクシスの自己紹介を聞いた御堂という男が少し驚いたように表情を変えたが、それは一瞬ですぐに元の硬質な顔に戻される。 「――雅樹・御堂です。失礼ですが、ミラー財閥の……?」 「アレクはこう見えても次期当主に決まっておる」  控え目に訊ねる男に答えたのは脇でソファに座る今日のホスト。 「こう見えて、とはずいぶん手厳しい」  アレクシスが苦笑する前で、男が言葉を飲んだかのように黙り込んでいる。 「ドーパーが脅すから御堂氏に引かれてしまったじゃありませんか。この場所で家のことを出すのはマナー違反では?」  わざとらしく溜息をついて見せるが、百戦錬磨の好々爺がそんなことを気に留めるはずもない。 「どの口が言うか。――まあ、歳も近いことだし、二人で話してくるといい。御堂君、アレクは顔も広い。君が必要な人間も紹介してくれるだろう。行ってきなさい」  ホストの代役を勤めろとのお達しに、アレクシスは快く頷く。任されたということは、ドーパーの許可が下りたも同然。仕事に支障がなければ誘っても問題はないということだ。 「それでは――雅樹、と呼んでも?」  いきなりファーストネームを呼ばれ驚いた雅樹は、それでもその整った容貌で小さく頷いてみせる。 「私のことはアレクでもアレクシスでもご自由に」  お互いがシャンパングラスを持ったまま並んでフロアへと出る。 「いつから、ここに?」  歩きながらアレクシスが聞くと、雅樹がグラスを傾けた後、答える。 「一週間ほど前ですね」 「ここに滞在中ですか。快適でしょう、ここは。ゲストルームはどこも日当たりもいいし、部屋も広い。何よりシェフの腕がいい」  アレクシスは前を向いたまま他愛ない話を向ける。 「――アレクシスもここへ宿泊したことが?」  初対面、しかもシャイな民族の人種ということもあり、アレクシスはかなり控え目な態度ではあるのだが、女性であればアレクシスの隣にいるだけで落ち着かないというのに、雅樹にはまったくその効果はないらしい。だが、それはアレクシスの興味を引く要因にしかならなかった。 「もちろん。ドーパーとは家族同然の付き合いをしているのでね」 「そうなんですね。――ところで、ここは?」  広いフロアからついてきていた雅樹が首を傾げる。 「シガレットルームですよ」  フロアにある扉を開けると、そこにはこじんまりと部屋がある。そこここにソファが置かれ、内装に添う装飾の施された大振りの灰皿が各ソファの前に据えられている。二人ほどの紳士がそれぞれに葉巻を燻らせて楽しんでいた。 「……申し訳ないが、私は葉巻は――」 「私もです。――こっちへ」  排気システムは完備してあるが、それでも葉巻の煙の漂う空間に二の足を踏む雅樹を、アレクシスはさらに奥へと促す。  不承不承についてくる雅樹の姿を確認して、アレクシスはその部屋の大きな窓を開けた。 「ここは……」  テラスへ出たアレクシスに続いた雅樹が、いささか戸惑うように辺りを見回す。 「あそこへ」  ここにきて初めてアレクシスがいつものパーティーで見せる表情をちらつかせた。  家柄ばかりか、その整った器量でも羨望を集めるアレクシスが、雄としてのフェロモンを含ませ雅樹に微笑みかける。さすがにそれには気づいた雅樹が、微かに神経質そうな眉根を顰めた。だがしかし、その表情がまたアレクシスの中の狩りをする獣としての燠火(おきび)を煽っていることには気づいていない。  母国での雅樹は恐らく、掃いて捨てるほどに女が近寄ってくるに違いない。そして同じ男に口説かれるなど想像もしていないのだ。だからこそ、その程度の警戒しかしないのだろう。  それとも、とアレクシスはテラスの端に設置されたデッキチェアに向かいながら考えた。  それとも、ストイックなのは見た目だけで、男をあしらう術も心得ているほどに言い寄られたことがあるのだろうか。そうふと頭に浮かんだとき、アレクシスの胸の奥に、雄の本能とは違う、ごく小さな火が灯る。だがそれは、あまりにも小さすぎて、アレクシス本人にも正体のわからない曖昧なものとして見過ごされてしまった。 「――ここから見る景色が、私の一番のお気に入りでね。ここに滞在しているのなら、ぜひ見せておきたかった」  大富豪の屋敷の敷地には、当主ご自慢の広い庭園が表にはある。  しかしアレクシスは屋敷の主と限られた人間しか知ることの出来ない、この裏手の景色の方が好きだった。  高い丘の上にあるロズウェル邸の裏の敷地には、三階建ての洋館を覆わんばかりの木立が広がる。だが、一箇所だけ、このデッキチェアの置かれた場所からでしか見れない景色があった。 「――これは、素晴らしいですね……」  先ほど感じた警戒心などもう忘れてしまったかのように、雅樹が息を飲むのがわかった。  その視線の先に広がるのは、敷地内の木立を取り払ったことで連なる山脈をバックに広がる森が一望できるのだ。しかも今日は幸運なことに満月に近い月がその森を照らし、あたかも幻想的な絵を見ているような錯覚に囚われる。  事実、今の雅樹の目はその木立の間の景色に見入っていた。  アレクシスは期待通りの反応を得たことに満足し、雅樹の背中をそっと押してデッキチェアに座るようエスコートする。まだ目先の光景に囚われているのか、雅樹は特に拒否することもなく足を動かした。  背中に手を添え身体が接近しとことで、アレクシスは雅樹の首筋からふわりと香るパフィームに気づく。  爽やかなようでどこか甘さの混じる独特な香りは、東洋のものだろうか。ストイックな雰囲気の雅樹に合っているが、ほんのわずかに感じるスパイシーさが、その中に隠し持つ何かを表現しているのではと思うのは考えすぎだろうか、とアレクシスは内心だけで笑う。 「気に入った?」  砕けた口調のアレクシスに、雅樹は景色に目を向けたまま頷いてみせた。 「――ここへ案内したのは、君が初めてだ」  わざと低く囁くアレクシスのその声に、ぴくりと雅樹が反応し、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。  その不快そうに下げられた瞼の下の、黒曜石のような瞳が月の光を吸い込み、透明度がいっそう増して見える。  アレクシスはそれを素直に美しいと感じた。  装飾を施したジュエリーや華美な装いではなく、ベッドの上の若く瑞々しい肢体でもなく、あえて言うならば、そう。ここから見える自然の美に感嘆したときと同じ気持ちをそこに感じたのだ。  だが、今目の前にいるのはあくまで自分がひと晩の相手にと落とそうとしている男で、そこには何の感情も見出してはいない。わずかに自分の中に兆すぼんやりとした感情をアレクシスはわざと無視して言い聞かせた。 「そういった誘いなら、他を当たってください」  今までとは違う、低く冷たい口調で突っぱね、立ち上がり去ろうとする雅樹の背中を数秒ほど見つめ、アレクシスは口を開いた。 「いいのか?」  その言葉はアレクシスの考えと違わず、雅樹の脚を止める効果があった。 「――何のことでしょう?」  ゆっくりと振り返った雅樹は、その一部の隙もなく整えられた装いで、堂々としらを切る。  だが、振り返った時点で、もう半分はアレクシスの手の中に落ちたようなものだ。 「私が――俺が名乗ったとき、驚いていただろう? もしかしてミラーに何か頼みたいことでもあるのかと思ってね」  口調を変え、デッキチェアの背に肘をつき不敵な笑みを浮かべるアレクシスに、雅樹の表情が険しくなる。 「……よく観察してらっしゃる。さすが次期当主と言われるだけのことはありますね」  否定せず、だが肯定もせずに皮肉を吐く雅樹に、アレクシスは笑った。本当に落としがいのある相手だ。 「ずいぶんと強気だな。助けて欲しいんじゃないのか?」 「――身体を差し出せとは、ずいぶんと悪趣味でいらっしゃる。家名に傷がつくのでは?」  白々しく装いながらも、その表情はうかない雅樹に、アレクシスは声を出して笑う。 「本気で言ってるのか? 莫大な金が真っ当な手段で生まれるわけがないだろう。だいたいうちは昔からその手の黒い噂というやつが消えたことはない。俺が君の身体を取引で望んだからと生まれる汚点なぞ、たかが知れている」  自嘲するでもなく悪ぶるわけでもなく、アレクシスは事実を事実として言っているだけだった。  だが雅樹はそんなアレクシスに何を思ったのか、ますます眉根を顰め、考え込むように押し黙ってしまった。 「――君が俺の手を取るというのなら、どんな無理難題にも答えるが?」  沈黙の中、アレクシスは唆すように優しげな口調で提案すると、雅樹が嫌そうな顔をする。 「ずいぶんと安請け合いされますが、貴方にどれほどの権限があると?」  本気でそれを心配しているのではなく、単にアレクシスの自尊心をへし折ろうとする魂胆が丸見えなところが面白い。最後の悪あがきでことを先延ばしにしているに過ぎないというのに。 「侮られたものだ。言っておくがうちの耄碌爺はもうすぐ現役から退く身だ」  世界でも有数の財閥の会長を耄碌呼ばわりするアレクシスのその言葉の意味を、雅樹は間違えることなく読み取ってくれたようだった。  雅樹が何を求めているにしろ、アレクシスにはそれを叶えるだけの金も力もある。  ただ、アレクシスはこのときはまだ気づいていなかった。そこまでして手に入れようとしていることこそが、そこに何らかの感情が介入しているのだということに。 「――それで、私にどうしろと?」  ようやく諦めたセリフを吐いた雅樹は、それでもそのストイックで気位の高そうな態度を改めることはなかった。  アレクシスはそんな雅樹にふっと笑いかけ、手を差し伸べる。  しばらくそのアレクシスの手のひらをじっと見つめていた雅樹が、ようやく動く。  革靴を鳴らし近づく黒い瞳から、アレクシスは目を離さなかった。  目の前で一瞬の躊躇のあと、雅樹がアレクシスの手に己のそれを重ねる。  緊張していたのか、しっとりとしたその手は、今まで抱いてきたどの男よりも男らしく節ばった、そして綺麗な手をしていた。  心もろともとはいかないが、落ちてきたその身体に無理強いするつもりはない。  抱くのであればそれ相応に楽しませ、自分も楽しむ。それがアレクシスのやり方だ。  手の中の手を握り引き寄せると、その指に口吻を落とす。ぴくっと震えるその反応に薄く笑い、今度はその指をべろりと舐める。すると今度は緊張で身体を強張らせたのが目を伏せていてもわかった。  アレクシスはその手に唇を寄せたまま、視線だけを上にあげた。  そこには顔を背け眉根を寄せた雅樹の横顔。アレクシスが見ていることにも気づかないほどに緊張している。アレクシスはそのまま雅樹の顔を上目遣いで見つめたまま、その指に舌先を這わせてゆく。中指からはじまり、手の甲へ到達するとそこに優しく唇を押し当て、次の指へ移動する。それを何度か繰り返してゆくと、次第に雅樹が力を抜いていくのを添えた手で感じ取ったアレクシスが、隙を見ていたかのように雅樹の手首をぎゅっと握り締め、驚いて手を引こうとした雅樹の指と指の股にぐりゅっと力強く舌を押し当て、吸い上げた。 「っ」  必死に手を取り戻そうとする雅樹も、自分の手を侵す男の力には敵わず、アレクシスの思う様に指を、手のひらを愛撫されてしまう。 「っや、やめろ……汚ないっ――」 「汚い? 綺麗にしているのに?」  指の間にしゃぶりつかれながらも震える声で抗議する雅樹に、アレクシスは目を細めて妖艶に微笑んでみせる。  その眼差しをまともに受けた雅樹が、ぎくりと緊張を走らせた表情をする。 「全部――綺麗にしてやるよ……」  低く宣言すると同時にアレクシスはぐいっとその腕を引っ張った。力に抗えず倒れ掛かる軽くはないはずの雅樹の身体を、アレクシスはデッキチェアの上でやすやすと受け止めた。  自分の腕の中で受け止めた雅樹の耳元に、アレクシスがふうっと息を吹きかける。びくっと震える背中を見ながら、アレクシスはその首筋に指を這わせ、整えられた髪をわざと乱すように搔きあげて露にしたその肌に口吻けを落とす。すると先ほど嗅いだ香水がより色濃く感じられ、それをもっと深く味わうために大きく口を開けてその肌に歯を当てた。 「っ、跡が……」 「心配するな。……見える場所にはつけない」  動揺する雅樹に、アレクシスはそれ以外には跡をつけてやると言外に宣言し、その筋肉質な身体に手を這わせた。  雅樹の臙脂色のアスコットタイを器用に片手で緩め、その下のウィングカラーシャツの前を自分の手が入るだけの分だけボタンを外す。滑り込ませた指先で雅樹の浮き出た鎖骨を辿ると、雅樹が短く息を飲んだのがわかった。  アレクシスが含み笑いを零すと、それが面白くなかった雅樹の歯がギリと音を出す。  気が強い男は嫌いではない。かといっていつまでも嫌々相手をされては興も冷めるなと、アレクシスはやり方を変えることにした。  腕を離したアレクシスに怪訝な顔をした雅樹は、目の前に座る、腹が立つほどに雄のフェロモンを出す男が両腕を自分に向けて広げた意味を察する。そしてやはり嫌そうな表情をするのだ。 「できないのか?」  薄く笑って挑戦的な眼差しを向けると、雅樹がむっとしたあと色気もなにもない乱雑さでアレクシスの膝に跨った。不服そうな雅樹を無視してアレクシスは正面にあるその首元の窪みに舌を這わせ甘噛む。その度に震える腰に腕を回したまま、アレクシスは執拗にそこを責めた。 「も、もう、いいだろっ」  たまらず声を上げる雅樹に、アレクシスは素直にそこから顔を離し、じっと熱を込めた目で近くにあるその顔を見上げた。 「……何……?」  赤みの差した目元を眇め見下ろしてくる雅樹の腰を、ぐいっと自分の方へ引き寄せたアレクシスは顎を上げて囁く。 「感じてる。――」  アレクシスの下腹部に当てられた自分のそれが硬くなっていることを指摘され、雅樹のストイックな顔が恥ずかしげに歪む。 「揶揄ってるわけじゃない。……俺も同じだ」  雅樹が自分のそれのすぐ下にあるアレクシスの前立てが膨らんでいることに、今気づいたように驚く。 「なぜ驚くんだ? ――君が俺を興奮させてるんだ」  アレクシスは自分が考えている以上に自分の身体が熱くなっていることには気づいていなかった。  シャツの隙間に伸ばした手のひらの下にある体温に唆されたように、その肌に夢中になっている。  頭上から雅樹の洩らす声が聞こえるたびに、アレクシスの指先にも力がこもる。  次第に荒くなるアレクシスの愛撫に、追い上げられてゆきながらも雅樹は困惑していた。 「ま、っ、――まて……」  いくら人がいないとはいえ、すぐそこには二人が通ってきたシガレットルームがあるのだ。誰がいつ出てくるとも限らない。雅樹がぐいっとアレクシスの頭を自分から引き剥がそうと力を込めると、やっと妖しげな動きが止まる。 「今さら、なんだ――?」  アレクシスはぎらついた眼差しで雅樹を睨みつける。まるで無理やり首輪を引っ張られた、待てのできない猛犬のようだった。 「これ以上は……ここ、では――」  すると猛犬は今気づいたとでも言うように片眉を上げる。それなら、と雅樹の腰に腕を回し立ち上がった。 「っ!」  ぐらついた雅樹の上半身を支え、床に足をついたのを確かめるなり、アレクシスは雅樹の手を取ってさっさと歩き出す。そして一番近くの窓に近づくと、そこを躊躇なく開け、垂れ下がるカーテンにも構わずに中へと足を進めた。 「勝手に……っ!?」 「俺の部屋だ」 「は?」 「正しくは俺に自由に使っていいと許可のされた部屋、だな」  むろん無人の部屋はカーテンが引かれ、真っ暗だ。だが、強引に入ったせいで僅かにできたカーテンの隙間から月の光が差し込んでいた。  その光の帯の先にあるのはベッド。  しかしアレクシスはそこまでも我慢ができない様に壁に雅樹の身体を押し付けた。 「おっ――」  いきなり覆いかぶさる男に抗議しようとした雅樹の口をアレクシスは強引に塞いだ。 「っ、んんっ!」  しきりに首を動かし逃げをうつ雅樹の顎を痛いほどに掴んで固定したアレクシスは、その口内に自分の欲をぶつける。両腕を壁に押し付けられ、身体ごと密着した中から逃げ出すことを、いつしか諦めた雅樹は、今度はアレクシスに与えられる熱に浮かされ始める。  「っ、う……」  吐息さえも奪い去ろうというほどの激しさで同じ男に求められているわだかまりなど、もう雅樹の中には存在していない。その証拠に、その腕は明らかな意図をもってアレクシスの腰に回されていた。  掴んだ顎を離しても、もう雅樹はそれに気づけないほどに熱い口吻けに酔っていた。アレクシスは雅樹のつけたアスコットタイを完全に引き抜き床へそのまま投げ捨てた。そして両手で相手のジャケットをシャツごと脱がす。自分の腰に回された雅樹の腕で引っかかったそれには構わず、昂ぶった下肢の前立てを緩めそこへ直に手を差し入れる。  そこにきて初めて雅樹の身体がびくりと揺れた。それでもアレクシスはその唇を、その中で蠢く濡れた雅樹を離しはしなかった。布の中で触れる雅樹の昂ぶりを擦り上げ、緊張で力を失ったそれを急き立ててゆく。次第に硬くなるその先に親指の腹を当てて何度も圧迫すると、ぴくぴくと震え反応するそれに、アレクシスの熱はもう限界に達しそうになっていた。  ぐっと耐えるようにアレクシスは雅樹の唇をやわやわと食む。  二人の絶え絶えの吐息で空気が熱を纏い、それがさらに二人を煽る。  ヌルついてきた手の中のそれを置いて、アレクシスはその奥へと指を伸ばした。  その瞬間明らかに雅樹の黒い瞳が恐れを抱く。それでも口を引き結び耐えようとする危うい雰囲気を醸し出す雅樹の表情を、アレクシスはじっと探るように見つめながら、そのあわいを抜けて濡れた指先をそこへ押し当てた。揺れる瞳を落ち着かせるためにアレクシスは暴走しそうになる己の欲望を抑えて、さっきまでとは違う口吻けをその唇に落とした。  ゆるく触れるだけのそれを何度も繰り返しながら、侵入者を拒もうと締め付けられた入口を丹念に解してゆく。もう片方の手で力を失いそうになるそれを煽りたて、滲みでる先走りを後ろで乾いた指でまた掬い取り、と、何度も往復させる。 「く、っ……んっ」  指先を滑り込ませた衝撃に、雅樹が身体を竦ませる。だがアレクシスは抜くことはせずに、慰めるように雅樹の前と口内を優しく嬲る。徐々に力を抜く雅樹の隙を狙ってさらに奥へと忍び込ませた指を、くいっと曲げると雅樹の腰が跳ねた。 「んぁっ――」  感極まった婀娜めいたその声にアレクシスは見つけたその弱点をぐりぐりと容赦なく擦り上げる。 「や、あっ、ぁ――っっ!!」  余裕がなくなっているのは雅樹だけではない。アレクシスもまた、ぱんぱんに膨れ上がったそれを早くどうにかしたくて切羽詰っていた。そのためには先に雅樹の身体を押し開くしかない。アレクシスは雅樹の身体に傷をつける気などさらさらなかった。  ゆるんだ蜜壁をぐりゅ……ぐちゅっ……と音を立てるほどに増やした指を出し入れし、雅樹の目が内に籠もる熱をどうにかしてくれと伝えてくるまで続けた。 「っ、も、――」  ようやく雅樹が根を上げたと同時に、アレクシスは指を引き抜くなり、雅樹の身体を乱暴に反転させた。  そして――。 「いれるぞ」  短く宣言し、剥いた雅樹の腰を掴み、後ろからその妖しく濡れひくつく穴を己の太く猛ったそれで押し広く。 「っ、ぐぅ……っ!」 「く、ぅ」  中の熱さとその絡みつく肉壁にもっていかれそうになるのを耐え、アレクシスは雅樹の弱点を幾度かの抽送の後、見つけ出し、そこを重点的に責めた。  アレクシスの先から溢れ出していた先走りが潤滑剤になり、最初の圧迫感は遠のき、快感だけが雅樹の身の内を駆け巡る。  ぐちゅり、ぐちゅっ、ぐちゅっ、ぐちゅ……。  二人の耳へ届く音はお互いの熱く早い息遣いと、繋がった箇所からする卑猥な音だけ。 「は、ぁっっ、っ、ぅんっ」  壁に必死に縋りつく雅樹の背中を見つめながら、アレクシスは次第に腰の動きを速めてゆく。 「ふ、んっ、はっぁぁ……」  ぐち、ぐちゅ、ぐちゅっと自分の下肢から聞こえる音など、もう雅樹には聞こえていないようだった。ただただアレクシスの与える快楽に身を震わせ、熱を放埓したくて自ら腰を動かす。  フォーマルを着崩し、乱れる髪を気にする余裕もないほどに自分の身体に感じる雅樹に、アレクシスはもう当初の目的を忘れるほどに夢中になっていた。  思いつきで引きずり込んだ相手に、逆に囚われてその身体をもっと、と求めている。 「んんっ! も……い、――」  アレクシスの与える後ろの刺激だけで絶頂を訴える艶やかな声に、アレクシスはさらなる悦楽で雅樹を追い詰める。 「あっ! はっ! はぁぁ! っっ――」  息も絶え絶えに雅樹の声が高くなり、とうとう絶頂を迎えた雅樹の奥がぎゅっと収縮した。 「く……っ」  その搾り取るような中の動きに耐えられず、アレクシスはその最奥にこれまでにないほどの強さで己の欲望を突き入れた。 「っ――」  声もなく大量の放埓をその普段は秘められた肉壁の奥へたたきつける。  味わったことのない未知のその熱を腹の奥で受け止めた雅樹は、それにすら感じ入るように小さく喘ぎ声を洩らした。  すべてを注ぎ込んだアレクシスは、まだ繋がったままの雅樹の白い臀部を熱い眼差しで見つめる。余韻に微かに震えているそれを見て、目的を終えたはずのアレクシスの雄が、再びずくりと疼いた。 「っ」  もちろんそれを収められたままの雅樹が気づかないはずもなく、びくりと腰を揺らす。 「な、もういい――っ」 「一度で終わるとでも?」  壁から顔を上げて振り向いた雅樹の前で、アレクシスは、欲望に満ちた雄の目をぎらつかせ微笑んでみせる。 「っ」  圧倒的な力を持つ百獣の王のように欲望に忠実になったアレクシスの変貌に、雅樹はごくりと息を飲み込んだ。  ずるりと欲望の兆した熱を中から引きずり出すと、アレクシスは雅樹の身体に絡みついた衣服を手早く剥ぎ取った。荒々しいその行為にも、雄のフェロモンに圧倒された雅樹はされるがままになってしまっていた。 「次はじっくり満たしてやる」  布切れひとつ纏っていない雅樹の全身を視姦するように強い眼差しを向けるアレクシス。  ベッドへ連れこみ、言葉通りに丹念に雅樹の身体を隅々まで嬲り、追い上げてゆく男に、雅樹はもうすべてを委ねていた。何度イカされたかもう覚えていない頃には、自らアレクシスの腰に自分の脚を絡め、首を引き寄せてその蒼い瞳を見つめながら舌を差し出していたのだ。  そして組み敷いた男の身体に、その妖艶な黒い瞳に、アレクシスもまた、己の矜持を委ねてしまっていたことに気づいたのは、もうしばらく後のこと。  二人の関係がどう続いたかという物語は、アレクシスが自分の気持ちを素直に認めるところから始まる。  それはまた、別の機会に――。 感想はこちらまで     →佐藤@Satowaturime

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