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第9話

 9 「小枝は良い子ねえ」  学校から帰ったら、テーブルに自分の分の食事がなかった。小学5年生の頃で、その頃から小枝と僕との差は明確になっていった。  どうしたらいいのかわからなくて、テーブルを茫然と眺めていたら、ふとソレを見つけた。  僕の分の食事、小枝の好きなハンバーグにご飯にスープがきちんと添えられて、床の上に置かれていた。  それは明らかに不自然で、明らかにおかしいことで。   「おいしい? 小枝?」  だから、どうしたらいいのかわからなくて、動けなかった。持ち上げてテーブルに乗せることができなかった。きっとそれは望まれていないとわかっていたから。  怖くて、信じられなくて、心臓が無駄にドクドクいっていたのを覚えている。  そのまま2階に上がって、頭を抱えた。    どうしたらいいんだろう。  どうしてこうなったんだろう。  何をしたんだろう。  母さんと父さんを怒らせるようなこと、したのかな。  怖い。  嫌だ。  嫌だ。  嫌だ。  怖いよ、嫌だ、どうしよう、どうしたらいいんだろう。  嫌だ。 「あんたがいなければ、うちの家族、おかしいことなんて何もないのにね」  嫌だ。 『ノゾミ』     目を開ける。緑色の瞳が僕をのぞき込んでいた。瞬きをすると、熱いものがこめかみへと流れていく。  うわ。  慌てて、身体を起こし、目をこする。夢で泣くなんて、子どもじゃないんだから――しかも、スーウェンさんの前でなんて恥ずかしすぎる。   『あ、え』  状況を整理しようとするも、途中から記憶がない。『リゲラ』から俺、どうやって帰ったんだろう。  それでもって、どうして、部屋にスーウェンさんがいるんだろう。 『えと、』  混乱していると、スーウェンさんの掌が額に触れた。そのままぐぐと後ろに抑えられる。ボスと落ちた先は大きな枕の上だった。こんなものあったかな。けど、気持ちいい。  簡単に眠気に任せてしまいそうになって、必死で目を開ける。  ベッドの側に座ったスーウェンさんが険しい顔でこちらを見下ろしていた。 『ス、ウェン、さん』 『寝ろ。寝て、食べろ。熱がある。医者に診てもらった。肺炎を起こしかけているらしい』  意味のわからない単語もあったが、『寝ろ』『食べろ』『熱』というのはわかった。熱、そういえば、身体が熱い。胸が苦しい。  息、苦しいなあ。  スーウェンさん、家まで送ってくれたのかな。いつも忙しそうにしているのに、時間、大丈夫なのかな。  窓を見る。もう陽が落ち、暗くなっていた。  エリアさん、ミラさん、もう、僕を雇うの、嫌になっていないかな。  迷惑、かけて。エリアさんのあんな顔、初めて見た。それだけ、怒らせた。 『ひっく』  堪えようと思っていたのに、嗚咽が漏れた。バレたくなくて、枕に顔を埋める。 『ノゾミ、きついのか?』  大きな手が背を撫でてくれる。  そうだ、スーウェンさんにももう帰ってもらわないと。いい人だ。心配して、こんな遅くまで付いててくれたんだから。  ズズと鼻をすする。枕から顔を上げ、笑ってみせた。  スーウェンさんにまで嫌われたくない。 『すいません。スーウェンさん。ご迷惑、おかけして』 『……ノゾミ?』 『僕、大丈夫です。もう帰って下さい。仕事、』 『ノゾミ!』  突然の大声に、ただでさえ鈍かった思考が停止する。 『このままにしておけるわけがないだろ! 何バカ言ってんだ!』  早くて、頭回らなくて、何言っているのか聞き取れない。怒っていることだけわかる。何か不快させたのかな。間違えたのかな。また、知らない間に嫌われたのかな。  「ひっく」、また、嗚咽がこみ上げた。 『……ご、ごめんな、さ』 『え、』 『ごめんなさい』 『ノゾミ?』 『お、怒らないで』 『お、おおおお、怒ってなんかないぞ!』  ああダメだ。もう止まらない。涙がぼたぼたぼたぼた、頬を流れて落ちていく。  苦しい。苦しい。  苦しい。  苦しい。  ダメだ。僕はなんてダメなんだろう。どうしてうまくやれないんだろう。  ここでも、居場所はないのかな。作れないのかな。 『――?』  灰の髪が、鼻をくすぐる。スーウェンさん、大きいんだ。細く見えていた身体は意外と硬くしなやかだった。  僕なんか、すっぽりだ。  

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