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第10話

 10 『落ち着け』 『は、はぁ……はあっ』 『ノゾミ。お前、少し頑張りすぎだ』  『エリアもミラちゃんも心配してた』、そう、背中に声が響いてくる。  段々と呼吸が落ち着いてくる。声が、ちゃんと耳に届く。   『しん、ぱい?』 『そうだ。店が忙しくて出てこれなかったけど、無理しないで体調よくなったらまたお願いねって伝言預かってる』 『まだ行ってもいい、の』 『あたり前だ』 『よ』  スーウェンさんの服が涙で濡れてしまう。けれど、押し返すだけの力が出ない。嬉しくて、手が震える。   『よかっ、たあ』  よかった。よかった、よかった。また、お店行っていいんだ。まだ、嫌われてないんだ。僕のこと、見てくれるんだ。  ひっくひっくと揺れる肩を、スーウェンさんが静かに撫でてくれる。不思議と落ち着いてくる。気持ちが良い。 『俺も、困るよ、ノゾミがいなかったら。……毎回、癒されてるんだからな』 『え、ええ?』  僕に? そういえば前にもそんなようなことを聞いた気がするけど、冗談だろうと笑えば、ぽんぽんと背を叩かれた。 『本当に』  低い囁くような声で言われ、鳥肌が立った。熱だけのせいじゃなく顔が赤くなる。 『――本当に、俺は、一生懸命なノゾミの姿に、励まされてきたんだよ。いなくなられたら、困るよ』  身体の芯が、ツーンと痛くなる。こんなこと、今までに言われたことがなかった。どうしよう。嘘でも冗談でもなんでもいい。今だけでもいい。  嬉しい。 『スー、ウェン、さん……』  嬉しい。また、涙が一筋落ちていった。  どかないと、けど身体、力入らない。目蓋が重い。スーウェンさんの体温が心地よい。支えてくれる腕が、背中を上下する手が、安心をくれる。 『ノゾミ? 寝たのか?』  スーウェンさんの身体が離れていく。あ、あ、もっと。けど、その意志を伝える体力も勇気もなくて、そのままそっとベッドに横たえられた。上から掛布がかけられる。  暖かい。 『……軽いなあ。大丈夫か、こいつ』  もっと、ちゃんと話がしたいのに、意識はあっという間に闇に飲まれていった。    ***  寝返りを打つ。耳元でカサと紙のこすれる音がし、意識が覚醒した。  枕元に小さな紙切れが置いてあった。几帳面な文字が並んでいた。 『今日は休むこと! スープをつくってるから食べなさい。 スーウェン・ライナー』  どれくらい寝ていたんだろう。もう陽が高い。  床を踏みしめ立ち上がる。ぐらと視界が揺れる。自分で額に触れるとまだ熱を持っていた。  テーブルの上に、見覚えのない大きな鍋と、見覚えのある紙袋にいっぱいのパンが入っていた。『リゲラ』のパンだ。  どうも、涙もろくていけない。じんわり、また目蓋が重たくなる。  鍋に触れるとまだ暖かさが残っていた。   「スーウェン、さん」  一層、体温が上がったような気がした。  ***  恐る恐る扉を開けると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。  エリアさんもミラさんも奥に入っているのか外から覗いている分では見えない。『おはようごさいます』と小さな声で言って中に入る。  と、同時に、ガラスケースにケーキを陳列しようとしていたらしいミラさんと目が合った。  ビビッと緊張が走る。 『お、はようございます』  ぺこり、腰を曲げる。   『ノゾミくん!』  明るい声音にホッとして顔を上げるも、ツカツカこちらに歩み寄ってきたミラさんの眉間にシワが寄っているのを発見し、思わず半歩下がる。  逃げる間なく、勢いよく、白い掌が額に張り付いた。 『熱は!? ちゃんと下がったの!? 苦しくない!?』 『は、はい』 『本当に!? もう、倒れたりしない?』  ふと変わった曇った表情に慌てる。 『すいません、でした。迷惑かけて』 『ノゾミくん!』  離れたと思った掌が、今度は、両頬に張り付いた。ぺしりと渇いた音をたてる。  すぐ至近距離にミラさんの顔があり、大いに動揺する。女の子だ。睫毛長い。目大きい。口が開いた。 『――謝らないで。心配しただけだから』 『は、はい』  心配。 『ありがとう、ございます』  本当に、してくれたたんだ。  ミラさんは『よし』を顔を綻ばせ、手を離した。よかった。嫌われていない。心配なんて、嬉しい、な。   『けど本当によかったよ。ノゾミくんのことだから、無理してでも来るんじゃないかって』 『ああ、ノゾミくん。今度こそ体調は大丈夫かい』  ミラさんの後ろからひょっこり、エリアさんが顔を出した。甘い香りが濃くなる。ミラさんと対面するよりも緊張する。  大きく頷こうとしたら、ミラさんが再び両手で頬を押さえてきた。くるり、まずは僕でなく後ろを振り返る。 『今度こそって、何』 『言ってなかったかな、一昨日ミラが配達に出ている時に一度出てきたんだよ。もう大丈夫ですって青い顔してさ』 『聞いてないし、ノゾミくん!』  今度はくるりとこちらを向く。怒ってる。かなり怒っている。 『本当に、本当に、大丈夫なんでしょうね!』 『ご、ごめんなさい! 大丈夫です、今度は、絶対に大丈夫です!』 『信じるからね! もう!』  いけない。怒られているというのに頬が緩んでしまう。慌てて俯く。  ミラさんは顔を覗き込み、にこりと微笑んだ。 『また今日からよろしくね』  頑張れ、涙腺。僕はぐぐと色んな言葉を飲み込んで、深く深く頭を下げた。

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