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第17話
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寝台の上、壁にもたれて座り、自分の足先を眺める。
『よく考えること』。
目を閉じると、今日のことが溢れてくる。エーゲルさんから言われた言葉、僕のことを好きと言ってくれた。
僕がもらうにはもったいない言葉だ。
素直に嬉しい。
僕だって、エーゲルさんのことは好きだ。よく来てくれる優しいお客さんだ。
スタンプがいっぱいに溜まったら、どう返事をすればいいんだろう。
そこまで考えて、いやいやと首を振る。もしかしたら、その間に僕のことを好きでなくなるかもしれない。
そうなれば、僕は。
そうなってくれれば、僕は。
違う。
嫌われたいわけではないんだけれど、変わらずお店には来てほしいんだけれど。
頭の中がごちゃごちゃでまとまらない。
どうしよう。どうしよう。
『そんなの、ノゾミの好きにすればいいんじゃない? 俺に聞かなくてもさ』
あのときは堪えきった涙が、今になって溢れてくる。
鼻を啜って、上を向く。
僕の好きなようにすればいいって、それは、どうすればいいってことだろう。
僕は、今、何よりも。
せっかく来てくれたスーウェンさんに気まずい思いをさせてしまったことが申し訳なくて、『また』のとき、笑ってくれるか心配で。
それから、なんだかすごく悲しくて。
膝を曲げ、そこに顔を埋める。
痛い。身体の奥の方が痛い。そこが痛みを増す程、涙が落ちる。
痛い。
***
『いらっしゃいませ』
朝一番のお客さんは、昨日も一昨日もその前も来てくれたエーゲルさんだった。ケーキ屋さんというのは若い男の人には入りづらいものなのか、大抵来る時間は人気のないこの時間だ。
かごにいくつかパンやバターケーキなんかを入れ、まっすぐレジに歩いてくる。歩き方が、なんだかぎこちないのもいつものことだ。
会計を済ませ、渡された台紙にスタンプを押していく。ふと、手を止めた。いっぱいになるまであと2つしかない。
折りたたみ、商品と一緒に返す。エーゲルさんは黙ってそれを受け取った。初めて来てくれた時以外は、世間話を一言、二言するくらいしかしていない。
『いつもありがとうございます』
やっぱり、勘違いだったのだろう。深く頭を下げ、エーゲルさんを見送る。けれど、エーゲルさんはその場から動こうとしなかった。
訝しく思い、顔を上げる。
『あのっ』
勢いよくカードを目前に突き出された。
さっき押したばかりのインクの香りがする。
『あの、あと、少しですから!』
『はい、そうですね』と頷いてから、顔を真っ赤にするエーゲルさんの意図がわかり、汗が噴き出す。
目が見れない。
あと2つ。いつもと同じくらいの量を買っていってくれるなら、もう次の来店時には溜まりそうだ。
『お! 礼の品は、いいんで。あの、一番はじめに言ったことを覚えていますか?』
『え、と』
カードがハラリと床に落ちる。あと思うと同時に、熱い手が、僕の手を強く握りしめていた。
息を飲み込む。
引こうとするも、動かない。
『あ、あの』
『好きです』
髪より濃い赤色の目が、今はぎゅうと閉じられている。
『明日、また、来ます』
手が離れる。エーゲルさんは、カードを拾い上げ、丁寧に表面を払った。僕の方へ小さく何度も頭を下げながら、店を出て行く。
茫然とそれを見送った。『ありがとうございました』も言えなかった。
誰もいなくなった店内は静かで、自分の鼓動ばかりが大きく聞こえてくる。
明日また来ると言っていた。頬を抑える。熱い。どうしよう。
どうしよう。
『で、どうするの? ノゾミくん』
『わあっ』
急に声をかけられ、振り返れば、エリアさんが仕上がったケーキを片手に立っていた。腰をかがめ、ガラスケースを開ける。
『ど、どうするって』
『エーゲルくんだったかな? 彼のこと好きなの?』
告白を受けた日からずっと自問自答してきたことを、エリアさんに聞かれたじろぐ。
『もちろん、好きです』
『そう』
ケーキを並べ終えたエリアさんは、ガラスケースを閉めた。トレイを脇に抱え、ぽんぽんと僕の頭を撫でる。
ぐりぐり撫でながら目をつむり唸っている。
エリアさんの首が傾く。
『スーウェンより、好き?』
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