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第20話

   20  情けないことに、申し訳ないことに、足の力が抜けてしまい、その場に蹲る。  震えが止まらない。  僕の勝手で、エーゲルさんを怒らせた。   『離せよ! 何なんだよ、あんた! 後から出てきて』 『離すわけないだろ。ほら、もう出て行けよ』    頭上で声がする。  エーゲルさんの声が遠くなっていく。ドアが閉まった挙げ句、鍵までかけられた様子だ。  腕をとられ、立ち上がるよう促される。 『なんて顔してんだよ』  スーウェンさんの手が、僕の目元をそっと擦った。   『バカノゾミ。何されてもいいわけないだろ』  そう、長く息を吐かれる。  ドアを叩く音は、やがて静かになった。外に、エーゲルさんの姿はもうない。もう来てくれないだろうと思う。  僕は、最低だった。  最低だ。 『ノゾミ』  腕の中に囲いこまれる。ふと寝込んでいた時のことが思い出された。  暖かい。 『ノゾミは、俺のこと、どう思ってるの?』  ドクドクドクと、心臓の打つ音が聞こえてくる。   『好き』      一度口に出してしまえば、ぼろぼろぼろぼろ、中身が零れていった。 『初めてお店で会った時から、優しい人だなぁって思ってて、次に会える日がいつなのか、楽しみで、た、倒れてしまった時も、迷惑かけたのに、そんな顔しないでくれて』  ああ、余計なことまで言ってしまっている。これじゃあ、またスーウェンさんに嫌な顔させてしまうかな。 『好き』  それだけでよかったんだ。 『ノゾミ』  腰に腕が回され、引き寄せられる。チュと額に唇が降ってきた。   わ? わ。わあ!  『ありがとう』、耳のすぐ傍で、低い声が響く。ぞくぞく、鳥肌が立った。 『ありがとう。卑怯な真似してごめん』 『ひ、きょうな真似? スー、ウェンさん、う、嬉しいんですか?』 『当たり前だろ』 『そう……ですか』  恐る恐るスーウェンさんの背にしがみつくように、手を這わせる。嫌がられないか、なと不安だったけれど、スーウェンさんは更に強く抱き返してくれた。  ホッとする。 『俺と、付き合ってよ』  バクバク、うるさい。うるさすぎ。カーディガンに皺が寄るのにも構えず、掌を握り込んだ。 『はい!』  なんだかもういっぱいいっぱいで、頭の中、パンク寸前で、ああもう、涙が止まらない。 『絶対、大切にする』  大切に、だって。僕を、大切にしてくれるんだって。  「母さん」と話しかけても無視された。目線さえもらえなかった。  教室でも、話しかけることもしてもらえなくて。  そんな僕を大切にしてくれるんだって。  ついに涙が頬を落ちる。何度も頷いた。 『ノゾミ』  大きな掌が、こめかみあたりを撫でる。くすぐったい。  スーウェンさんの顔が近づいてきて、キスされるんだと気がついた。どうしたらいいのかわからず顎を引く僕に、角度を変え、唇が触れあう。  何度も、何度も。 『ノゾミ』  名前を呼ばれる度に、頭の中が溶けていくようだ。 『好きだ、ノゾミ』 『っ、はい、はい……スーウェンさん、ぼ、僕も!』 『うん』  頷いて、スーウェンさんはまた、キスをくれた。  大切に、なんてされたこともないのに。される価値もないのに。そっとそっと触れてくれる。 『好きです、スーウェンさん』  *** 『そろそろお客さん増えてくるので、離してもらっていいですかね? あと勝手に鍵とか閉めるな』  一瞬、誰の声かと思った。  が、すぐに思い当たる。  それは、スーウェンさんも同じだったようで、ビクッと身体が震えた後、勢いよく身体が離れた。  ここはリゲラの店内で、今は開店中で、今更ながら自分の状況を確認していく。   『エ、エリア、さん』  微笑みを浮かべた状態で、無言で頭を撫でられた。  なんだか余計に恥ずかしい。  スーウェンさんは、顔を真っ赤にして、唸りながら天井を見上げている。帰る、よね。  視線に気がついたのだろう、スーウェンさんは咳払いの後、僕に向き合った。 『また来るから』 『はい』  バァン! その時、豪快な音をたてドアが開いた。あ、鍵、壊れてる。  ゼエゼエ、スーウェンさんの時よりも荒い息が聞こえてくる。若い、男の人だ。眉間にしわを深く寄せた状態で顔を上げた。  スーウェンさんが、『げ』と声を漏らす。  男の人は呆気にとられている僕とエリアさんに小さく頭を下げると、スーウェンさんを睨みつけた。 『帰りますよ、スーウェン様!』 『今戻ろうとしてた』 『子どもみたいな言い訳はよして下さい! 急にいなくなられて、どれだけこちらが混乱したか!』 『い、今、戻ろうとしてたんだ!』  スーウェンさんは、『絶対、また、来るから! あとエリア、本当にすまん! ありがとな!』と言葉を残し、引きずられるようにして去っていってしまった。  扉が閉まる。   ぽかんとするしかない。 『さ、ま?』 『スーウェンはね、この国の王様の一番近くで働いている人なんだよ』  エリアさんがすかさず疑問に答えをくれた。  王様という言葉に、血の気が引く。 『あんなんだけど、だから、忙しいんだよね』  この国の、王様。  金色の髪、青い眼の、完璧な顔の造形をした男の人。冷たい目で僕を見下ろしていた。  あの人、だろうか。  じゃあ。  スーウェンさんは、救世主が召喚されたこと、それが失敗に終わったこと、失敗が僕のせいだってこと、知っているのか?  血の気が引いていく。  震え出す手を片方の手で押さえた。 『スーウェンには黙っておけって言われたんだけど、まあ、自業自得……ノゾミくん?』  エリアさんの問いかけに応えられない。  大丈夫だ。大丈夫のはずだ。知ってたら、あんなに優しくしてくれるわけがない。『好き』なんて言ってくれるわけがない。けれど、知られたら。  ――『こいつのせいで召喚に失敗したのに』  スーウェンさんに、知られたらダメだ。 『ノゾミくん?』 『だ、大丈夫です。すいません。ごめんなさい』  ごめんなさい。  

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