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第29話
『ノゾミ?』
大きな掌が背を撫でてくれる。顔を上げると、スーウェンさんが眉をひそめ傍に一緒にかがんでくれていた。ぼんやり、周囲を見回す。噴水が見える。あの公園だ。
どうやら、敷地を覆う縁石の前に座りこんでいたらしい。
段々と頭がスッキリしてくる。
どうしよう。お店、早く戻らないと。
戻らないと、エリアさんとミラさんに迷惑をかけてしまう。
喉が痛い。軽く口元を拭い、脇に置いてあったカゴを抱える。視界に入った自分の拳は驚く程白かった。
『吐いたのか? また、体調悪いんじゃないのか?』
『スーウェン、さん』
元いた場所で、必要とされなかった。
こっちの世界でさえ、呼び出してくれたのに、期待に応えられなかった。
それなのに、本当にいいんだろうか。
本当に、スーウェンさんといていいんだろうか。
『大丈夫です。ちょっと、あ、久々に走ったから。あの、スーウェンさんはどうしてここに』
『ああ、ちょっと仕事で。それでついでにノゾミに会えないかなと思ってリゲラに寄ったんだけど、留守だったみたいでね』
『配達、行ってて』
『そうらしいね。エリア達喜んでいたよ』
まだ、掌が背をさすってくれている。上下するぬくもりがあまりに優しくて油断すると泣いてしまいそうだ。
『す、少しは役に立つようになれたでしょうか。仕事、任せられるようになったって』
『そういうので喜んだんじゃなくてさ』
ぽんぽん、今度は頭の上に掌が乗った。そこで2回跳ねる。
『ノゾミが自分からそう言い出してくれたことが嬉しかったみたいだよ』
『なん、で』
『自信、持ってくれたのかなあって』
『自信、なんて』
『うん』
スーウェンさんに支えられて立ち上がる。ずっとしゃがんでいたせいか、一瞬、また世界が揺れた。
いくら断っても、『送る』と言ってくれるスーウェンさんと一緒にリゲラまでの道を歩く。
『会えてよかった』
そう肩を抱かれた。
店に戻ってからも少しだけ一緒にいれる時間を作ってくれた。
配達での全力疾走が幸いして、たいして店を空けることにはならなかったらしく、ほっとした。
『で、どうだったんだ? 配達は』
『道に迷ったり変な奴に絡まれたりしなかったかい』
『お兄ちゃんもスーウェンも心配しすぎ』
後ろから両肩に手を置くスーウェンさんが僕の方を覗き込みながら『どうだった』ともう一度改めて聞いてきた。
『ありがとう』と言ってくれた2人のお客さんの顔が思い浮かぶ。
自然と頬が綻んだ。
『すごく、親切なお客さんで、僕の方がお礼をいいたいくらいで、すごく、嬉しかった、です』
それに、3人がにこにこと頷く。なんだか恥ずかしくなった。
ああ、けど、僕は今、一緒に輪の中にいる。
ちゃんと輪に入れている。
『あ、じゃあ俺、そろそろ行くわ。ノゾミにも会えたし。またうるさい迎えが来ちゃうからさ。ノゾミ、』
『はい』
『しばらく、町には降りれないと思うけど、くれぐれも気をつけてね』
『あ、はい』
咄嗟に頷きはしたものの、その言葉に自分でも驚くくらいに落胆した。どうにか表面には出さないようにと笑ってみせる。
忙しい中せっかく来てくれたんだし、気持ちよく送り出さないと失礼だろう。
僕だって、会えただけで十分、嬉しかったんだし。
『またな』
またっていつですか。
そうは聞けず、手を振り店内から出て行くスーウェンさんを僕も手を振って見送った。
――また、っていつだろう。
忙しいんだろうな。また、しばらく会えないんだろうな。
会えたのに、会いに来てくれたのに、すぐにマイナス思考に走ってしまう自分が嫌だ。
『ノゾミくん? 平気?』
『あ、はい。すいません』
『ノゾミくん』
エリアさんは顔をこちらに寄せ、薄く微笑んだ。優しげに細められた目、上品に口角を上げた口から小さな小さな声でとんでもないことを耳打ちされた。
時間と思考が停止する。
『もう、スーウェンとセックスしたの』
『な!』、エリアさんを凝視する。顔が、あっという間に熱くなる。飛び出し声はここに来てから一番大きいものだったと思う。
ミラさんの不審そうな視線に気がつき慌てて声のトーンを落とす。
『ななななな、何を、エリアさ』
『何が?』
『何がって、え、そ、そんなの』
そんなの、まだに決まってる。というか、いまいちイメージが沸かない。僕が、スーウェンさんと、セ、セセ?
僕なんか、経験もないし、胸も平らで柔らかくないし、いいとこないしで、――スーウェンさんがその気になってくれる気がしない。全くしない。
どんどん血の気が引いていく。
『無理、です』
『ノゾミくんはもっと自信を持っていいと思うけどなあ』
『自信、と、は』
『そう。スーウェンは十分、ノゾミくんに惹かれていると思うから……そうだな、今度会った時にでも誘ってみるといい』
さ、誘う。できる気が、全くしない。経験値が足りない。無理だし、無茶だと思う。スーウェンさんも、そんな気はないだろう。
そもそも、今度なんてあるのかどうかもわからない。いつになるのかもわからない。また、気分が沈んでいく。
『ああ、お客様だ。ノゾミくん手を洗ってエプロン準備して』
『あっ、はい』
見れば、ドアのガラスからこちらに向かっている影があった。
慌てて、奥へと走った。
離れたばかりなのにもう会いたい。不安で溜まらない。こんなんじゃダメだ。ダメなのに。
スーウェンさん。
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