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第32話

 しばらく部屋で待った後、入り口まで降りた。もう夜も遅いからか、カウンターには誰もいない。外に出て左右を見るもそれらしい人影はない。  そわそわ、立ったり座ったりと落ち着かず、端から見れば、挙動不審だ。  もう外、真っ暗だ。  ふと気がつく。  スーウェンさん、本当に来てくれるんだろうか。気づいてしまえば、次第に不安は増してきた。来ると思い込んでいたけれど、来ないかもしれないんだ。  仕事が忙しいとか、事故にあったとか、それとも、僕、僕のこと、で、何か。 「っ」  頭が真っ白になった。何も考えられず、道に飛び出す。 『うわっ』  その途端、ぶつかった。尻餅をつく寸前の僕を、しっかりと抱き留めてくれる。  顔を上げる。  スーウェンさんが、そこにいた。 『どうしたんだ、ノゾミ』 『あ』  スーウェンさんはゆっくり、僕の上体を起こし、立たせてくれた。『ん?』と先を促すスーウェンさんに対して首を横に振る。目が見れない。恥ずかしい。申し訳ない。  スーウェンさん、ちゃんと来てくれた。  ホッと息を吐く。 『えと、ちょっと、あの、雨! 雨大丈夫かなって』  ――苦しい。  けど、それ以上追及されることはなかった。スーウェンさんは、小さく笑って、頭を撫でてくれた。 『大丈夫だよ、ありがとな』  じわじわ、胸のあたりが暖かくなっていく。この時間が来るまで、どうしようどうしようって右往左往してた自分がバカみたいだ。  単純だなあ。これくらいのことで、こんなにも嬉しい。  手が離れた後も触れられた部分を自分で確かめるように撫でてみる。まだ少し体温が残っているように思えて、自然と口角が上がった。  嬉しい。 『部屋、よかったら、あの』 『え、入れてくれないつもりだったのか』 『い、いいえっ。どうぞ』  テーブルとベッドだけの簡素な部屋だけど、思いつく限りの掃除はしたつもりだ。  ソファーなんてものがないので、ベッドへ座るよう促し、僕もその隣に腰を下ろす。これで3度目だ。  スーウェンさんを見上げる。 『ん?』  久しぶりだ。少しだけ、思い切って身を寄せてみる。気づかれないように少しだけ。 『何』 『いえ』 『はは』  ギシとベッドが軋んで、スーウェンさんが立ち上がりかけた。え、と思う間もなく、また元の場所に落ち着く。  そうしたら、僕とスーウェンさんの距離は0になっていた。  ぺったり、二の腕がくっついている。 『こうしたかった?』  そうだけど、そうなんだけど。  一気に心臓が高鳴り出す。逃げたい。熱い。嬉しい。熱い。スーウェンさんの体温が直に届く。落ち着かない。   『スス、スーウェンさん、あの』  どもったし、声も裏返ってしまった。  恥ずかしい。ダメだ。落ち着け落ち着け。せっかく、来てくれたんだから、たくさん話がしたい。少しでも、スーウェンさんが楽しく思ってくれたらいい。 『今日はあの、来てくれてありがとうございます。あの、忙しい、のに』 『そういう言い方はなしって言っただろ。俺も会いたかったよ。あんな誘い方されたら、さ。期待、も、するし』 『期待?』 『うん。いや、何でもない』  期待。僕と過ごすことで何かを期待してくれたのなら、それはすごく嬉しいのだけど。「何か」を問う前に、スーウェンさんは目を反らし、『何でもないんだ』ともう一度繰り返した。  『やっぱり、俺の思い過ごしかあ』、そう上体を折り頭を抱えてしまう。  何、何だろう、どうしたんだろう。何か間違えたかな。丸まった背を撫でるべきか、離れるべきか迷っている内に、更にスーウェンさんが呟くように言った。   『それに、ヒイロのことが心配だったから』  スーウェンさんの目がこちらに向く。広い掌が、いつのまにか握っていた膝の上の手を覆った。唇を噛む。  なんで、そんな表情をするんだろう。  なんで、そんな表情をさせてしまうんだろう。  楽しく過ごしてほしいのに、スーウェンさんにもミラさんにも暗いカオをさせてしまう。せっかく来てくれたのに。   『平気です、大丈夫です。そんなことよりも』 『ヒイロは、俺と会うと、必ず、泣き出しそうな表情をする』  スーウェンさんは、笑ってくれない。深い緑色でじっと僕の方を見つめている。怖くなる。どうしてうまくできないんだろう。   『何が、そんなに不安なんだ?』  不安なんて。  エリアさんがいてくれて、ミラさんがいてくれて、スーウェンさんがいてくれて、僕にはもったいないくらいの毎日で。  ――だから、本当に「救世主」だったらよかったのにって、そればかりが頭から離れない。いつかバレて、嫌われてしまうんじゃないかってことが、怖い。  そんなこと、言えるわけがない。  首を横に振った。 『何も、不安なんて。もう、その、スーウェンさんが今日来てくれただけで、なくなってしまいました』  これは、本当。スーウェンさんに会えた途端、今までが嘘みたいに気持ちが軽くなった。  今は大丈夫。僕を見てくれている。まだ、大丈夫だって安心できる。  ほんの少し、スーウェンさんの目元が和らいだ。そのことに安堵する。 『あの、リゲラでも、配達、任せてもらえてて。お客さんにお礼言ってもらえるの、すごく嬉しくて。今日も、』  今日も。ありがとうって。  ――『今日はね、弟の誕生日なの』  言ってもらえた。 『弟さんの誕生日だって人が注文してくれてて。誕生日は、やっぱりリゲラのケーキだって、言ってくれて』  あ、なんだか、声、割れそうだ。喉の奥が、熱い。  一度、唾を飲み込む。 『いいなあ、って』  言ってしまってから、シンと静まりかえった空気に我に返る。何を話しているんだろう、僕は! 『ご、ごめんなさい。こんな話! こ、子どもみたいですよね! 今更、誕生日なんてどうでもいいんですけど! ただ、あの、いいなあって』  全然フォローできていない。あまりの羞恥に赤面する。暖かかった手が離れていく。  しまったと後悔したところで、手が僕の鼻を摘んできた。 『へ?』  涙目になってしまったところで、指が解かれる。  スーウェンさん、しかめ面をしている。貴重な時間を、僕の話で使ってしまった。つまらなかったに違いない。疲れているのに、こんな話。  段々、パニックになりつつあることに気づいた。拳を更に強く握りしめ、とりあえず謝らないとと口を開く。 『もっと聞きたい』  口をぽかんと開けた間抜け面で固まる。  スーウェンさんの厳しかった表情が綻んでいる。笑ってくれている。 『もっと話してよ、ノゾミ』  そんなことを、言ってくれる。  話すの、苦手だし。そもそも、人と話すことをあんまりしてこなかったし。すぐどもるし、焦るし、多分、ちゃんとできていないのに。  それなのに。 『つ、つまらなく、ないの?』    なんで、話を聞きたいって言ってくれるんだろう。笑ってくれているんだろう  嬉しくて。 『好きな子の話で、つまらないなんてないだろ』

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