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第37話
痛みに目を覚ます。
ちょうど、振り上げられた足が降りてくる瞬間だった。
「っ!」
胸を強かに踏みつけられ、息が詰まる。そのまま、ぐと力が加わったかと思えば、部屋の隅に転がされた。
何度も咳き込む。うまく身体が動いてくれない。
「――起きたか」
咄嗟につむってしまっていた目を開く。薄暗い部屋だ。窓がない。狭い部屋。その中に、複数の人影があった。
ここはどこだろうと考える間もなく、また足先が、今度はこめかみをかすめた。
熱い液体が、目の縁を流れていく。血だ。
「こいつ、本当に動けないんですか」
僕を蹴りつけた男は後ろを振り返る。「もちろん」という返事と共に影の内から、長髪の中性的な姿が現れた。
細身の身体にまとわりつくような、光沢のあるストンとしたワンピースのようなものを着ている。
――この人、は。
整った顔に歪な笑みが浮かぶ。
「ふ、特級術師の座は失った私では信用できませんか」
「そうは、言ってないでしょう」
「ふん、どうだか」
気づく。言葉が違う。言葉が、僕の元いた世界の言葉だ。
倉庫か何かなのだろうか、次第に慣れてきた目には、たくさんの木箱が映った。その内の1つに、「術師」は腰を下ろした。
乱暴に足を組む。
無言でこちらを眺める目は、何の色もない冷徹さを湛えていた。
「動けない」と言われて、ああと思う。身体を起こそうにも、酷く重たい。確かに動かない。
痛覚だけがじんじんと響き続ける。
久しぶりに自分の世界の言葉を聞いたなあ。
男の人が近づいてくる。その厚みのある靴先に、目を閉じる。前腕を踏みつけられ、ゴリと骨が悲鳴を上げた。
「声は出せるんだろう?」
「っ、あっ」
体重をかけられ、痛みが走る。容赦ないその動きに、堪らず悲鳴が上がった。
冷や汗が背筋を濡らす。
痛い。痛い。
「あんたのせいでさあ、この国はお終いだよ」
「お前さえ、ちゃんと落ちてきていれば」
影から次々と現れる人の中には、覚えのある顔もあった。
お城の人達だ。
特級術師、僕を呼び出した人だ。王様の側で崩れ落ちていたことを思い出す。僕を送り出した門番の姿もある。
ああ、そうか。
痛みが熱さに変わり、ただ、じんじんと痺れたような感覚が残る。腕が折れたのかどうか、動かせないからわからないや。
「ノゾミ」
呼ばれた方に目を向けると、そこには赤い髪の。
「エーゲル、さん」
お店に来てくれていた頃とまるで別人だ。表情が違う。へらへら笑いながら近づいてくる。思い切り、お腹を蹴られた。
術師の力は、どうやら身体の外側だけを固めるものだったようで、突然の刺激に騒ぎ出した胃の中身が逆流する。
だらと、口から吐物が零れた。
みっともないと、笑い声が聞こえてきた。
エーゲルさんは気にした様子もなく、何度も僕を蹴りつけていた。
僕は、これから起こるであろうことにホッとしていた。
「もういいですか? それ以上は時間の無駄です」
ふと身体が軽くなる。エーゲルさんは渋々後ろに下がった。代わりに術師が前に進み出る。身体は動かせそうだけど、これまでの痛みでどうしても緩慢になる。
床に掌をついた途端、全身を稲妻のような痛みが走り抜けた。冷や汗で身体が濡れる。右腕、やっぱり折れているらしい。
天井に向かって立てられた術師の細いキレイな指の先、風がぐるぐる渦を巻いている。あれが、「術」ってやつなんんだろうか。
目蓋を降ろす。
やっぱり、うまくいくわけなかったんだ。
スーウェンさんに嘘をついて、エリアさんやミラさんに優しくしてもらって。そんな日が続くわけがなかったんだ。
『小枝はいいこね』
僕は、ノゾミだからね。
ふと、笑えた。
けど、これで全部お終い。
これで、もう、今度こそお終いだ。もう嘘を吐かなくていい。もう嫌われなくていい。もう怖くない。
「スーウェン、さん」
――終わりは、いつまで経っても訪れなかった。男達も動揺しているようで空気がざわついている。
薄く目を開ける。そこに風の渦はなかった。
術師は目を見開き、僕を見据えている。
「スーウェン、スーウェン様の名を何故、お前が」
白い顔がより白く青ざめて見えた。
「ソイツは、そのスーウェンて野郎と『恋人』なんですよ」
エーゲルさんの言葉に、術師は目を剥き、そして、首を傾げた。ぶつぶつと、何かを呟いている。
『よくも、スーウェン様にまで手を出して』、そう、言葉の切れ端がどうにか耳で拾えた途端、術師はにぃと笑んだ。
「気が変わりました」
くるりと、振り返り、言う。
「貴方は、彼をどうしたいんでしたっけ?」
エーゲルさんの顔からふと表情が消えた。そこから、段々と両方の口角が引き上がっていく。全身が悪寒に襲われる。
「自分のものにして、そして、それから、今度こそ、この手を、拳にして、彼を」
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