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第40話

   ***  また、眠っていたらしい。  誰かの悲鳴と、物の壊れる音に跳ね起きた。大きな足音が、階段を登ってくる。近づいてくる。僕の部屋の前で、止まった。  そして、勢いよく、扉が開いた。  術師がいた。  そこにいつものような余裕はまるでない。つり上がった目が、僕をじっと見据えている。 「お前のせい、で!」  降りる前に腕が伸びてきた。首を掴まれ、押し倒される。息が、詰まる。  白く細い腕が今、血管を浮かせ、喉を絞めている。  こうも動揺し乱れた姿の術師は、これまで見たことがない。しかも、1人だ。エーゲルさんもいない。  大粒の涙が、まっすぐに落ちてきた。幾粒も、幾粒も、落ちてきては頬で弾ける。 「私は、何のために、今ま、で」  術師の噛みしめた唇から、赤い血が滴る。   「何のために」  そう項垂れた。嗚咽が、薄い背を何度も揺らしている。  手の力は緩まない。  苦しい。苦しくて、もがく。解けない。   「お前だけは」  再び、顔を上げた術師の目は、赤く血走っていた。  息を吸いたい。けれど、叶わない。  そうか。  目が霞む。  僕は、いよいよ死ぬんだ。  あの日から、随分と見逃してもらっていたなあ。  そのおかげで、エリアさんとミラさんと長く過ごせた。  スーウェンさん。スーウェンさんとも、最後に会うことができた。  嬉しい言葉を、またたくさんもらってしまった。  目を閉じた拍子に、熱いものがこめかみを伝っていった。  スーウェンさん。  僕は、本当に、一緒に行きたかった。また、あの王様と会うなんて、やってはいけないことだとわかっていたけれど、行きたいって思った。  スーウェンさんといれる時間が増えるなんて素敵なことだと思ってしまった。  行きたかった。一緒に、行けたらよかった。  段々と思考が緩慢になっていく。  ミラさん、エリアさん、スーウェンさん、それから、それから。  うん。  勝手だけど、僕はここに来られて本当によかった。  術師の手首に縋る。きっと、この人には、すごく迷惑なことだったに違いない。今はもう謝罪の声も出せないけれど。  術師は、何か言いたげに口を開いた後、再び唇を結んだ。  手に、力が加えられる。  今度こそ、お終いだ。 『ノゾミ!』  聞こえるはずのない声が聞こえた。薄く目を開け、扉の方を見る。そこに、スーウェンさんがいた。  駆け寄ってくる。普段は見せないような形相で、腰に帯びていた剣を抜いた。  どうして。  術師の重みが消える。シーツの上に血が散った。 『スーウェン様、おやめ下さい!』  突然再開した酸素の供給に、ムセる。  なおも斬りかかろうとするスーウェンさんに後ろから部下の人がしがみついている。  術師は悲鳴を上げながら床を這っている。  何度も、深呼吸を繰り返しながら、シーツを握りしめる。  来た。  スーウェンさんがここに来た。  どうして。  どうして。  どうして。  それは、だから、つまり。 『離せ!』 『ワイト様からの命令です! シリエル様を殺してしまっては』 『うるさい! 離せ!』  スーウェンさんと、目が合う。  苦々しげに細められた後、すぐに逸らされた。  そうだ。  スーウェンさんは知ってしまったんだ。  ひゅうと冷たい風が身体の中を通りすぎていった。全身に鳥肌が立つ。反射的に両手を交差させ腕を擦り上げた。   『――もう、わかったから、離せ』  部下の人が恐る恐るといった様子で、拘束を解く。スーウェンさんは、剣を鞘に収めた。  黙ったまま、部屋の隅で頭を抱えガタガタと震えている術師を見下ろす。   『見損なったぞ、シリエル。ワイトだけでなく。何が革命だ。やっていることは、ただの犯罪だな』 『そん、な!』  その言葉に、術師は弾かれたように顔を上げた。 『っ、ス、スーウェン様! は、はは、犯罪なのではございません! 私は、私は、ただ、断罪を! そいつは!』  やめて。やめてくれ。  声は出ない。 『そいつは私が召喚した』  届く距離でないのに、手を伸ばす。 『救世主なのに!』  ただ、むなしく、手はベッドの上に落ちた。  終わった。  スーウェンさんが、まだ何か言っている。術師に対してか、僕に対してかわからない。聞こえない。聞きたくない。  同じ制服を着た男の人たちが、部屋にぞろぞろと入ってきて、術師を立たせた。色んな声が混ざり合って、そのどれもが形を為さないまま、ぐるぐる頭の中を埋める。  術師がいなくなって、部屋にはスーウェンさんだけが残った。  顔が見れない。  怖い。  どうしよう。バレた。嫌われた。嫌われた。  スーウェンさんに、嫌われた。  手が、僕の肩に置かれた。 「あ」  怖い。   『あんたがいなければ、うちの家族、おかしいことなんて何もないのにね』 『あんたがいなければ』 『お前のせい、で』  お終い。   「あ、ああ」  丸くなり、僕は吸い込んだばかりの酸素を全部、悲鳴とともに吐き出した。   「hdoiscuosoceivspoipc!」  スーウェンさんが、何か言っている。全く聞き取れない。わからない。  耳を押さえる。  嫌われるのは、怖い。  大好きな人に嫌われるのは、もっと怖い。  ずっと、僕はこの日が怖かった。    プツン。  視界が暗転した。  

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