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第41話
どうやら僕は、父さんと母さんから嫌われているらしい。
そう気づいたとき、まるで足元に大きな穴が空いたように感じた。
落ちた。
必死に黒い水の中を藻掻いて、藻掻いて、けれど、顔を出す度に、また水位は増した。
話しかけても、返事は貰えない。
笑ってみせても、表情は変わらない。
逃げても、追ってはもらえない。
怖くて、怖くて、そのまま沈んでしまいたかった。けど、苦しくて、苦しくて。
逃げたくて、逃げたくて。
逃げて。
その結果が、このザマだ。
***
白く高い天井だ。ベッドも今まで使っていたものよりも広い。
スーウェンさんがいる。ベッドに仰向けになった僕に、何か話しかけてくれている。その顔は、どう間違っても喜んでいるとか嬉しいだとか楽しいだとか、そういうものではなかった。
困惑とか、動揺とか、怒りとか、悲しみとか、そいういうふうに見えた。
「shoiudeos……」
言葉が頭の中で散る。バラバラになって砕ける。わからない。スーウェンさんが何を言っているのか理解できない。
ただ、自分のせいで、そんな表情をさせてしまっているんだとだけわかった。
何をすれば許してもらえるんだろう。
僕に何ができるだろう。
身体が重く動かない。だらしなく四肢を投げ出したまま、傍らに立つスーウェンさんを見上げる。
『救世主』を台無しにした僕を怒っているだろうか。
そのことを黙っていた僕を恨んでいるだろうか。
「好き」なんて言ってしまったことを後悔しているだろうか。
目頭が熱くなる。瞬きすると同時に涙が零れた。こめかみを伝い、シーツを濡らす。
「dsoiuf」
不意に掌が背に回された。えと思う間なく、引き寄せられる。鼻が、スーウェンさんの肩のあたりにぶつかった。
抱きしめられている。
どうして。
相変わらず、何を話してくれているのかはわからない。けど、もう二度とはないと思っていたのに、スーウェンさんの体温が僕に密着している。
夢か、奇跡か。どういうつもりでもいい。嬉しい。
「スー、ウェン、さん」
僕のいた世界の言葉だ。
学んでいないスーウェンさんにはわかるはずのない言葉だ。
だから、届かない。届かなくていい。
「スーウェンさん」
動いてよ、腕。どうして動かないんだろう。動いてよ。しがみつきたいよ。
スーウェンさんは何も言わず、ただただ強く、僕を抱いてくれた。
「ごめんなさい」
背を擦ってくれる、平たい大きな掌が、大好きだった。
ノックが鳴った。
スーウェンさんは舌打ちとともに、僕を離した。
入ってきた人物を見、血の気が引く。
『召喚は失敗だった』
金の髪、鋭い青い瞳をした男の人だ。スーウェンさんと同じくらいの歳だろう。ここに来たときに、期待を込めた目で彼を見てしまっていただろう自分が、恥ずかしくなる。
王様だ。この国の王様で、僕をここに呼んでくれた人だ。
今すぐ、身体を起こして、ここから降りたい。床に額を擦りつけたい。謝りたい。もう謝ってどうなる問題でもないだろうが。
その隣には、覚えのない男の人が立っていた。体格がいい。褐色の肌に、短い黒い髪がよく合っている。灰色の瞳は少し垂れていて優しげだ。髪と同色の裾の長いマントを羽織っている。歳は大分上に見えた。
「ラドヴィンは降伏する」
言葉はまっすぐ僕の中に飛び込んできた。そうだ、王様は、話せるんだ。だから、これは僕に向けての言葉なんだろう。
ズシと肩が重くなる。「降伏」というのが、どういったことを起こすのか。想像するしかないが、当然いいイメージは浮かばない。
堪らず、俯いた。僕のせいだ。僕が、ちゃんとできていれば。
「ご、ごめんなさ」
頭を下げたところで、何の意味があるのだろう。
「っ」
言葉が潰える。謝って済まそうなんて、勝手すぎる。
重たい沈黙が続いた。スーウェンさんは、僕の傍に、僕に背を向け立っている。
それだけで、心強いと思ってしまう。庇われているように思えてしまう。
そんなわけがないのに。
「頼みがある」
王様は言った。
スーウェンさんが何か言う。けれど、王様にそれに応える様子はない。
「ラドヴィンは降伏する。そのことに、今はもう抵抗はしない。今日はその調印式だった」
手に丸めて持たれていた紙が開かれる。そこにはいくつかの文章が並んでいた。一番下に2つの空白がある。下線が引かれていることから署名欄だろうと検討がついた。
王様から、そして、その隣に立つ男の人からも濃い疲労の色が伺える。
「調印が済んでいない。調印ができないんだ」
意味がわからず、目線を上げる。入ってきたときには気がつかなかった。大きな男の人の影に、もう一つ小柄な姿がある。
「こちらはリントスを収めるアーヴァー王、そして」
息が止まる。
『――、今日の晩ご飯は――の好きなハンバーグにしたのよ。たくさん食べてね』
『――は、身体が小さいからなあ。もっと食べないとダメだぞ』
『いいこね、――は』
薄い色の髪、大きな目、1つだけ年下の弟。
彼は、首を傾げ、笑った。
「お兄ちゃん」
小枝だった。
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