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第44話(スーウェン)

44(スーウェン)  終わった。何もかも終わった。  スーウェンはぼぅと、欄干に肘をつき、空を見上げていた。やることなら山積みだ。どこから手をつけていいのか迷う程にいっぱいだ。  けれど、それももう全てどうでもよく思えた。  自分はこれまで何を守ってきたのだろう。  何のために時間を割いてきたのだろう。 「shoiduoie」  ヒイロが何を言っているのかわからなかった。ヒイロにも、自分の言葉は通じていないようだった。  ワイトとは話せていたということは、『救世主』の元いた世界の言葉なのだろう。  酷く怯えていた。  触れれば、身体を震わせ青ざめていた。目も合わせてもらえなかった。  終いには、動かせなかったらしい手足を無理に駆使してまで、ベッドから落ちた。そこまでなのか。  避けられた。  嫌われた。  完全に嫌われた。 『う』  泣きたい。悔しい。どうして気がつかなかったんだ。情けない。ちくしょう。  ふと、視界の端から近づいてくる2つの影に気がついた。  リントスの救世主、サエと、特級術師であるらしいサカンだ。  慌てて、佇まいを整え、頭を下げる。  もう話は済んだのだろうか。  戻って、もう一度、ノゾミと話がしたい。そして、できることなら。 『――お兄ちゃんのところに行くの?』  唐突に問われ、顔を上げる。薄い茶色の目が、スーウェンを見上げていた。  リントス王の後ろから出てきたときと同じく、薄く笑みを浮かべている。 『その、つもりですが』  おそらくこの場で一番力を持ち、鍵を握る存在との対峙に額に汗が滲む。 『お兄ちゃんは、会いたくないって言ってたよ』  当然だ。わかってる。そのはずだったのに、いざ事実を突きつけられると、膝から崩れてしまいそうだった。  後悔してもしきれない。 『救世主の召喚のこと、あなたは知らなかったらしいけど。そんなこと関係ない。あなたは、こちらの世界の、それも王の傍にいた人間でしょ』 『――はい』  次第に周囲の空気が冷えていく。そう感じているだけなのか、実際に術でも使われているのかまではわからない。  サエの顔に、もうあのにこやかな笑みはない。 『勝手にこっちの世界に呼び出しておいて、力がないってわかったらここから追い出して。貴方の国の王様なんて、お兄ちゃんの名前すら知らなかった。その上、僕との交渉を頼むなんて、厚かましいにも程がある』  どれも、胸に突き刺さる言葉だった。言い返しできない。  『なーんて』と、いくら冗談めいた語尾をつけられたところで、笑えない。サエの目はそれほどに冷えていた。   『わ、かってます。けど、』  だからこそ。  あんな怯えた態度をとらせてしまうくらいなら会わない方がいいのかもしれない。その方が、ノゾミのためなのかもしれない。けれど。 『ノゾミのことが好きなんで。もう少し、頑張らせて下さい』  深く、腰を折る。  しばらく沈黙が続いた。  肌に積もってた霜のようなものが、段々と溶けていく。そっとサエの表情を伺う。口を一文字に結び、何かを堪えているようだった。目の縁が、赤い。  握った拳が小刻みに震えている。そのまま俯いてしまった。  これは、ひとまずは、許しをもらえたということだろうか。救世主としての力は知っている。これ以上神経を逆なでしたくはない。スーウェンは恐る恐る顔を上げた。 『サエ様』 『……』 『あの、ノゾミとは兄弟だそうで、何か、意見を頂けないでしょうか』 『意見?』  ノゾミと会って、そうできることなら、願いを叶えてあげたい。 『誕生日が近いそうなので、何か贈れたらと、』  突如、収まっていた冷気が吹き荒れた。細かい氷の混じった風が、床や欄干を白く変えていく。 『な……』 『知らない! そんなこと、僕に聞かないでよ!』 『サエ様!』  サカンがスーウェンの前に飛び出した。全身がほのかに光り始める。長いローブがゆらりと浮き上がる。  吹きすさぶ風が、若干弱まり、温度を落とす。そこまでだった。この状況を収めようとしているのだろうが、力が足りていないのは明らかだ。 『落ち着いて下さい!』  サエは両手で顔を覆い、首を横に振っている。   『行かないって言って! 今日はお兄ちゃんに近づかないで!』  突然の激昂に、スーウェンは1歩後退る。  確かに、彼らからすると、自分は厚かましいことを言っているのかもしれない。だが、それにしても、サエの怒りの爆発は唐突に思えた。 『――ううん、近づかせない』  ぱったり、風が止む。サカンはその場に膝をついた。  サエにはもう何の色も浮かんでいなかった。スーウェンを素通りし歩き始める。  その後ろを、サカンがよたよたと付き従った。  残されたスーウェンは呆然と、2人を見送った。    ***  サエに言われたことが気にかかり、スーウェンは何度も、ノゾミの居室の前をうろうろと歩き回った。  今日はもう会わない方がいいのかもしれない。  けれども、会いたい。  会いたい。   「よし」  自分で自分を励まし、ドアノブに手をかけた。 「あ?」  ノブは、動かない。押そうが引こうが動かない。 『近づかせない』  サエは、そう言っていた。

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