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第46話
小枝が軽い足取りで近づいてくる。
慣れない。
咄嗟に逃げ出したい衝動にかられるも、緊張と恐怖に足が竦み動けない。あっという間に、窓を背に追い詰められてしまった。
視界がぐらぐらと揺れる。
声が聞こえる。
両親の声だ。
両親の、「小枝」と呼ぶ声がする。それで頭がいっぱいになる。
間違えたら、嫌われる。
けれど、いつだって正解がわからない。いつだって間違える。
それが怖くて動けなくなる。
「スーウェンて、優しそうな人だよね」
唐突な言葉だった。
小枝はにこにこと笑っている。後ろに手を組み、僕の方を覗き込むようにして、首を傾げた。
「お兄ちゃんは、スーウェンのことが好きなの?」
どいういう答えを求められているのかわからなかった。喉が、乾く。唾を飲み込もうとしても、口の中はカラカラで、苦しい。
好きだ。
好きだ。
大好きだ。
けど、そんなことを口に出すのは『間違い』なのかもしれない。小枝を、不快にさせるかもしれない。
僕が、僕なんかが、スーウェンさんを好きなこと、ばかばかしいって笑われるかもしれない。もう終わっているのにと、突きつけられるかもしれない。
怖い。
「――スーウェンのことを、恨んでいないの?」
答えられないでいる内に、小枝から追加で質問がきた。
どう答えるのが『正解』で、どう答えるのが『間違い』なのだろう。
「こっちの世界に勝手に呼び出しておいて、力がないってわかったら、外に放り出されて。怒らないの?」
「僕、は」
溜まっていく質問に焦る。何か、答えないと。
これ以上、小枝からの質問に沈黙で返すことは許されないように思えた。
目線を床に落とす。喉が張り付いて、出た声は掠れていた。拳を握りしめる。
「僕は、勝手に呼び出されたなんて。思っていない、よ」
チラと目線を上げ、様子を窺う。小枝は何も言わない。怒ってもいないようだ。「どうして」と、更に先を促してきた。
「ずっと、ここに来たいって思ってた。バカみたい、だけど、都市伝説、信じてた」
それしか縋るものがなかった。
小枝はまだ、ストップをかけない。視線が突き刺さるように、痛い。答えが違う? まだ、もっとという意味だろうか?
段々と、早口になるのを止められない。
「僕は、救世主になりたかった。けど、やっぱりダメだった。こっちの人達に迷惑をかけた。だから、怒ってなんかいない。怒るわけ、ない。怒ってるのは、こっちの人達だ、よ」
スーウェンさん。
ミラさん。
エリアさん。
「僕は、皆、好きだったよ」
笑いかけてくれた、たくさんのお客さん達、きっと、向こうにいたままなら、絶対に出会わなかった人達だ。
「だから、もういいんだ。元いた場所に帰ることで、皆が喜ぶなら、それでいいよ」
言ってしまってから気づく。
これじゃあ、小枝への恨み言に聞こえるんじゃないだろうか。未練がましい自分が嫌になる。決めたはずなのに。
「ご、ごめ」
「お兄ちゃん」
謝ろうとした言葉は遮られた。
また顔を上げる。小枝の方が今度は俯いてしまっていた。握った小さな拳が震えている。
「僕は、僕、は」
まさか、小枝は泣いているのだろうか。
その考えに思い当たり、動揺する。どうして、小枝が泣いているのか。小枝を泣かすようなことを言ってしまったんだろうか。
僕より白く、細い身体が揺れている。
酷く脆く、痛々しく映った。
「さ、小枝」
「触らないで!」
不用意に伸ばしてしまった手が、払われる。血の気が引いた。
「ごめ」
「お兄ちゃん、儀式は、今夜だよ」
儀式。
「アーヴァーとワイト、サカンの許可は出てる。月のない夜でないとダメなんだってさ。それが今日らしい。逃げたりしないでよね、そんなことされたら、僕、この国に何をするかわからないんだから」
小枝は泣いてなんかいなかった。
強い目で、僕の方を見据えている。手が、痛い。
『間違え』た。
また、間違えたんだ。
嫌だ。帰りたくない。嫌だ。あそこに戻りたくない。あそこは怖い。
けど、僕にもう居場所はない。帰るのが一番いい。ついさっき、自分でもそう言ったじゃないか。
「わ、わかった」
無理矢理、頷く。
「わかった。僕は、向こうに戻る。だから、この国を、大事にしてほしい」
声が、情けないくらいに揺れている。
「お願い、し、ます」
頭を深く下げる。小枝からの返答はなく、ただドアの開閉の音だけが聞こえてきた。顔をあげる気力もないまま、目を閉じる。
終わる。
これで本当に終わる。
終わってしまう。
上体を起こし、窓の外を、もう一度覗く。
やっぱり、赤い屋根は見つけられなかった。
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