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第47話

 空が暗くなるのを、ベッドの縁に座り、窓からずっと眺めていた。  色々なことを思い出していた。  空腹で倒れそうなとき、ミラさんが差し出してくれたケーキ、甘くて、ふわふわで、優しい味がした。  僕を雇ってくれて、仕事を教えてくれた。そうそう、エリアさんは僕にエプロンをくれた。お揃いの、赤いエプロンだ。  部屋を訪れた小枝はいつもの調子だった。天真爛漫に笑いながら僕を案内してくれた。着いた場所には覚えがあった。  僕がここに召喚された円形の空間だ。床に、複雑な模様の魔法陣が組まれている。ワイト様、アーヴァー様と、サカンさんは、そこを囲むようにして、一段上に立っていた。  小枝とともに、円の中へと進む。  初めてのお給料では、辞書を買った。自分でお金を稼ぐことができるなんて驚いた。嬉しくて嬉しくて、頑張ろうって思った。必死で勉強した。なかなか慣れないでいる僕を、エリアさんもミラさんも急かそうとはしなかった。  そう、それから。  スーウェンさん。  心臓が、痛いくらいに打っている。  嫌だ。  怖い。  帰りたくない。    いつも、ふらふらで、目の下に隈つくってて、エリアさんのつくるお菓子が大好きで、大きな箱を大事そうに抱きしめて店から帰っていた。  リゲラの常連さんだ。  僕がミスをしたとき、フォローをしてくれた。  倒れたとき、看病までしてくれた。  大きくて、平たい手が、何度も頭を撫でてくれた。    スーウェンさん。  最後に、言えばよかった。全部全部、言えばよかった。例え伝わらなくたって、言いたかった。 『僕は、皆、好きだったよ』  そうだ。好きだった。大好きだった。  小枝にそっと背中を押される。1人で円の中心まで歩いた。  怖い。  嫌だ。  初めて僕を受け入れてくれた。  好きだと言ってくれた。一緒にいたいって言ってくれた。  スーウェンさん、スーウェンさん、スーウェンさん。 「ワイト、様!」  静かな空間に、不格好な声が大きく響いた。  どうか、どうか。消えるから、僕はいなくなるから、だから、これが『間違い』であっても、許して欲しい。 「僕のせいで、こんなことになってしまって、申し訳、ありませんでした」  どうか、どうか。  ごめんなさい。  だけど。   「僕、僕は」  誰かから大切されることなんて、ないと思っていた。  そんな価値があるわけもないと思っていた。  僕の話を聞いてくれた。抱きしめてくれた。たくさん、触れてくれた。  裏切ってしまったけれど。   「僕は、ダメな人間だけど、役に立てなかったけれど、ここに来れてよかった、です。呼んでもらえたこと、感謝、しています」  自分勝手な言葉だなぁと、自分で自分に呆れた。 『今度会うときには、ケーキ、用意しておくよ。一緒にお祝いしよう』  ケーキ、僕のために用意されたケーキ、食べてみたかった。  けれど、そう言ってくれた人がいただけで、これ以上ないくらい嬉しかった。幸せだった。  どうか。 「どうか、スーウェンさんに、ごめんなさいと、ありがとうって」  それから。 「好きでしたって、伝えて下さい」  誰かを好きって思えたこと、受け入れてもらえたこと、好きを返してくれたこと、全部が全部、奇跡だった。  胸がスッと軽くなる。ずっと言いたかった。怖くて口に出来なかった。けど、スーウェンさんの言葉がわからなくなって、スーウェンさんに僕の言葉が通じなくても、それでも、言えばよかった。  伝えられたらよかった。 「ノゾミ」  聞き覚えのある声だった。けれど、たどたどしい。それは、僕のいた世界の言葉だった。  振り返る。 「ノゾミ」  ここに来るまでに通ってきた細く長い廊下、その壁に手をつき、肩で荒く息をしている。  緑色の瞳と、目が合った。  スーウェンさんだ。  スーウェンさんの口から、今、僕の名前が呼ばれた。  ふらふらの足取りで円の中に入ってくる。前に倒れそうになる身体を思わず抱き留めた。 「ス、スーウェンさん」  腕に力をこもるのを、我慢できなかった。  会えた。  本当に会えた。 「ごめ、ごめんなさい。これまで、黙ってて、ごめんなさい」 「スキだ」  スーウェンさんの長い腕が、僕の背に回された。強く抱きしめてくれる。ものすごく近くで、心臓の音が響いている。  僕のものとも、スーウェンさんのものともわからない。  早い鼓動だ。   「変わらない。何も変わらない。好きだ」  頭が真っ白になった。   「戻るなんて、言うな」  言葉、僕の世界の言葉だ。話せなかったはずだ。勉強してくれたんだ、覚えてくれたんだ。  わかる。  スーウェンさんの言葉、ちゃんとわかる。 「気づけなくて、ごめん。怒るとか、嫌うとか、そんなわけ、ない」  「ごめん」と、「いまは、信じてくれ」と繰り返し振ってくる言葉に、処理が追いつかない。喉の奥が熱い。声が出ない。いくら瞬きをしても、ずっと視界は揺らいだままだ。  頬が濡れていて申し訳ないのに、スーウェンさんから離れることができない。  ひっくと、甲高くみっともない嗚咽が飛びでた。 「僕も、好きです。ずっと、好き」  言えた。伝えられた。スーウェンさん。   「――お兄ちゃん」  そうだ、小枝。 「ごめんね、からかって」

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