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第49話(小枝)
49(小枝)
食卓には、ハンバーグにスープそれから白いご飯が、3つずつ用意されている。向かいには父が、隣には母が、にこにこと微笑んでいる。
母は小枝の頭を抱え、何度も髪を撫でた。
白く滑らかなその手が上下をする度に、息が止まりそうに怖かった。
「小枝、今日の晩ご飯は小枝の好きなハンバーグにしたのよ。たくさん食べてね」
「小枝は、身体が小さいからなあ。もっと食べないとダメだぞ」
2人とも、目はこちらを見ていない。いや、こちらは見ている。けれど、関心は余所にあることを、小枝はもう知っていた。
全ての関心は、少し前に帰ってきた陽色に向けられてる。
「小枝」
いくら名前を呼ばれても、まるで響かない。
気持ち悪い。吐きそうだ。
小枝はぴくりとも動けなかった。前に声を出したら、散々に怒鳴られた記憶がある。手もあげられた。痛くて、先が見えなくて、死ぬかと思った。
けれど、そのときに知った。
ああ、自分は、ただの人形なんだ。
上で扉が閉まる音がする。それでも、2人は話すのを止めない。2階にまで充分に声が通ることを知っているからだ。
家族から爪弾きにされていると錯覚させるための嫌がらせだ。ただの演技だ。今頃兄は耳をふさいで泣いているのかもしれない。
特に今日は2人の誕生日だ。考えたくなくても、考えてしまうだろう。
小枝は黙って座っているしかできない。
意味のない会話が続く。全くつじつまは合っていない。けれど、笑い声だけは大きくあげる。それで充分なのだから。
段々とハンバーグが冷えていく。
元より食欲などなかった。あるはずもない。誕生日なんていい口実だ。祝う気など全くないのだろう。もうあきらめている。
膝の上で固く拳を握りしめる。
ここから逃げ出せない自分が情けない。
兄がどういう思いをしているのか知っていながら、何も変えられない自分は、悪い奴だ。
ゆっくり、瞬きをする。
一筋、涙が落ちるも、両親が気づく様子はない。
逃げたい。誰か。どこかに行きたい。ここじゃないどこかに行きたい。ここから誰か助けてほしい。
兄と、話がしたい。
こんな酷いことをされたんだって、つらかったって、聞いてもらいたい。泣くなら一緒に泣きたい。
前に、酷い風邪を引いた日があった。
隣で咳き込む兄に母は「うるさい」と言い放ち、そして、こちら側の部屋に来た。目はずっと隣の部屋を見ながら、「心配」だと嘘を吐く。
両親が寝静まってもなお、隣からはくぐもった咳き込む音が聞こえてきた。起きている。そっと、部屋を出た。ゆっくり、兄の部屋に近づく。
熱で頭が朦朧としていた。今から思えば完全な失策だ。不用意だった。
『お兄ちゃん』
けれど、それでも、話がしたかった。
なんでもいい。1人じゃないと思いたかった。
恐る恐る声をかけるも、兄は布団を頭から被った状態で応じてはくれず、やがて寝息を立て始めてしまった。眠ってしまったらしい。
それでも、あきらめがつかず、部屋の中に足を踏み入れようとした。
『小枝』
後ろから声をかけられ、一気に血の気が引いた。
自分のやろうとしていたことに気がつき、これから先に起こることの想像がつき、手先が冷たくなる。
『何をしているの?』
母だった。
その後のことは、思い出したくもない。
今、髪を優しい動作で撫でているこの手が、どんなに硬い拳を作るのか、知りたくなどなかった。
どうかどうか、助けて下さい。
どうか、ここから連れ出して下さい。
プツンと突然、意識が暗くなった。落ちていく。途中、身体を締め付けられ、また抜けるような、『輪をくぐる』ような感覚があった。気がついたときには、真っ赤な部屋の中心で蹲っていた。
身体を起こすと、そこには、巨体があった。彼は、リントスという国の王で、アーヴァーと名乗った。そして、小枝のことを『救世主』だと言った。
どうやらここでも自分は、何か役割を架せられているらしい。
そのことに怒りを覚えた。
けれど、その役割を拒否できる程、強い態度をとることはできなかった。目の前の巨体が怖かったからだ。
あの細い母の力ですら、あれほどの痛みなのだ。この男に殴られでもしたら、きっと自分は壊れてしまうだろう。
しかし、小枝の不安とは裏腹に、アーヴァーは優しかった。何かわがままを言っても、全て受け止めてくれた。小枝は次第に、その暖かい性格に、その力強さに憧れ惹かれていった。やがては好きになっていた。力を振るうことが、嫌ではなくなっていた。アーヴァーのためになりたいと思えるようになっていた。
けれど、終わってしまった。
『あなたのこと、王は持てあましています。わかりませんか? 処分に困っているんですよ』
そう言ったのは、サカンだった。
けれど、思い当たる節はあった。アーヴァーがしきりに「向こうに帰りたいか」と聞いてくるのはそのためだったのかと気がついた。
気がついて、落ち込んだ。
向こうに帰らないと行けないらしいとわかり、怖くなった。戻りたくなどなかった。けれど、アーヴァーにこれ以上迷惑に思われたくもなかった。
ラドヴィンで呼び出された救世主が、兄だと知ったとき、今度こそ本当に神様に感謝をした。
話がしたい。
これまでの話がしたい。これからの話を聞いてほしい。
無理を言って合わせてもらった兄から返ってきたのは、はっきりとした拒絶だった。
あれ。
兄から見れば自分は加害者の最たるものなのだから、考えて見れば当然のことだった。
思考がまた、深く、暗く、沈んでいくのを感じた。
これでもう最後なら、せめて、自分で望んで兄にとっての悪者になりたい。
『お兄ちゃんはあっちの世界に帰って』
それがせめてもの兄への償いのように思えた。
それがせめてもの自分への供養に思えた。
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