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ブルーラグーン(2)
その連絡は、週の半ばぐらいにあった。
仕事が終わって、家に帰りついたくらいに電話があった。ディスプレイに出る『明家』の名前に、俺は少しだけ首を傾げる。いつもはメールだからだ。
「もしもし、どうした?」
何か緊急の話かもしれないと思って、俺は心持固い声で話し出す。明家はそれに、少しだけ無言だった。
「おい、どうした?」
『いや、ちょっとね。あのさ、今週の土曜日って、空いてるか?』
「空いてる。知ってるだろ?」
最近はずっと、土日に予定など入れていない。予定を入れるのはいつもこいつだ。
『飯、食いに行こう。車で迎えに行くからさ』
「? あぁ、分かった」
『絶対だからな』
「分かったって」
妙に念を押してくる明家に、俺は首を傾げる。いつもの軽さがない。
胸騒ぎは一瞬あった。けれど必要以上に悩みもしなかった。少なくとも、俺は関わっていられる。電話の様子を考えたら、明家は俺を巻き込む気満々だ。だから、大丈夫だと思えた。
約束の土曜日、最寄りの駅まで明家は迎えにきた。乗り込んで、まずは買い物。どうやら、今日は家飲みのようで色々買い込んでいる。だがなぜか、ビールや焼酎は買わなかった。
そのまま、車は俺の知らない方向へと走っていく。いつもは最初に行った、明家の隠れ家なのだが。
「どこ行くんだ?」
「ないしょ」
それ以上、明家は教えてくれなかった。
連れてこられたのは、前のマンションよりもずっとグレードの高い高級マンションだった。
車を停めて、荷物を持ってエレベーターへ。上層階まで一気に上がり、ついて行ったのは角部屋。そこを開けると、なんだか重厚感のある部屋が広がった。
リビングはこれまでのマンションの倍くらい広い。空間をゆったりと使っていて、堅苦しさがない。ソファーも、いいものだとわかる。スプリングが違う。
「ここ…」
「俺の本宅。まぁ、仕事場近くの隠れ家の方が使う事多いけどさ」
明家の職業を今更ながらに思い出した。こいつの雰囲気がそれを思わせないが、これでも経営者だ。しかも後で知ったが、けっこう有名店ばかりなのだ。大きくはないが、品質の高いサービスと料理を提供するこだわりの店ばかり。
こういう世界の人間だった。それを今更見せられた気がして、少し落ち着かない。
「座ってろよ、作るから」
「あっ、手伝う…」
「今日は俺がやるの。あんたは座ってて。本とか、適当に見てていいから」
そう言われると突然突き放されたようで寂しくなる。でも、ここは明家の家だ。彼に従うよりほかない。いると余計に面倒な手伝いなのは、理解もしているし。
大人しくテレビをつけ、ニュースに視線を向ける。それと一緒に、ローテーブルの上を観察している。綺麗に片付いているが、端に読みかけの本がある。その本は、何か見覚えがあった。
「これ…」
それは確かに、俺の好きな作家の本だ。しかもけっこう古い。どうして今更そんなものを読んでいるのか、俺は気になって手に取ろうとした。
だがそれは未遂に終わった。俺の手を止めるように、食前酒とチーズのセットが置かれた。それは自然に、俺の視線を遮っていた。
「仕上げだけだから、ちょっとこれでも摘まんで待ってて」
「あぁ」
俺の視線が一瞬外れた隙に、本はどこかに回収されてしまっていた。
食前酒がなくなる頃、見計らったように明家が俺を呼んだ。立ち上がり、ダイニングテーブルを見て俺は言葉を無くした。
明家は料理が上手い。だがこれまでは、その場でぱぱっと作るお手軽料理が多かった。だが今目の前に並んでいるのは、間違いなくそんな簡単なものではない。仕込みが必要そうな、とても手の込んだ料理ばかりだ。
それに加えて、セッティングが綺麗だ。アレンジされた花や、キャンドルが中央にある。まるで、特別な席のようだ。
「食べようぜ」
「…あぁ」
そんな、気軽に食べる雰囲気じゃない。気を引き締めて食べなければいけないようで、俺はいつもよりかしこまって食事を始めた。
正直驚いた感じがある。前に明家は『調理学校とかは行ってない』と言っていた。だがこの料理は、本格的なフレンチの味がする。これでも仕事のリサーチに、あちこち食べ歩いた。そこで出された数々の料理にも引けを取らない。
「もっと気楽に食えよ。顔が固まってるぞ」
「こんな立派なの、気軽に食えるか! ちゃんと食べないと、失礼だろうが」
コースのように一品ずつ出てくるわけではないが、それでもそれなりに順番を守ってしまう。驚くべくはパンも、明家が焼いたらしいということだ。
明家はどこか嬉しそうだった。正面に座って、嬉しそうに笑っている。笑顔が多い奴ではあるけれど、いつもとは違う、もっと優しい笑みだ。
「佑のそういう所、俺は結構好きだよ」
「!」
飲みかけのワインがおかしな方向に入っていって、俺はむせて咳き込む。こいつは、今なんと言った? 「佑」と、名前を呼んだのか? そんな事今まで一度だってないだろ。今までは「あんた」か「なぁ」だった。
「おい、大丈夫か?」
「あっ、あぁ」
今日は何かおかしい。何か企んでるのか? なんでこんなに豪勢なんだ? こいつの態度は、どういう意味なんだ?
俺は混乱しまくっていた。
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