12 / 15

ブルーラグーン(2)

 その連絡は、週の半ばぐらいにあった。  仕事が終わって、家に帰りついたくらいに電話があった。ディスプレイに出る『明家』の名前に、俺は少しだけ首を傾げる。いつもはメールだからだ。 「もしもし、どうした?」  何か緊急の話かもしれないと思って、俺は心持固い声で話し出す。明家はそれに、少しだけ無言だった。 「おい、どうした?」 『いや、ちょっとね。あのさ、今週の土曜日って、空いてるか?』 「空いてる。知ってるだろ?」  最近はずっと、土日に予定など入れていない。予定を入れるのはいつもこいつだ。 『飯、食いに行こう。車で迎えに行くからさ』 「? あぁ、分かった」 『絶対だからな』 「分かったって」  妙に念を押してくる明家に、俺は首を傾げる。いつもの軽さがない。  胸騒ぎは一瞬あった。けれど必要以上に悩みもしなかった。少なくとも、俺は関わっていられる。電話の様子を考えたら、明家は俺を巻き込む気満々だ。だから、大丈夫だと思えた。  約束の土曜日、最寄りの駅まで明家は迎えにきた。乗り込んで、まずは買い物。どうやら、今日は家飲みのようで色々買い込んでいる。だがなぜか、ビールや焼酎は買わなかった。  そのまま、車は俺の知らない方向へと走っていく。いつもは最初に行った、明家の隠れ家なのだが。 「どこ行くんだ?」 「ないしょ」  それ以上、明家は教えてくれなかった。  連れてこられたのは、前のマンションよりもずっとグレードの高い高級マンションだった。  車を停めて、荷物を持ってエレベーターへ。上層階まで一気に上がり、ついて行ったのは角部屋。そこを開けると、なんだか重厚感のある部屋が広がった。  リビングはこれまでのマンションの倍くらい広い。空間をゆったりと使っていて、堅苦しさがない。ソファーも、いいものだとわかる。スプリングが違う。 「ここ…」 「俺の本宅。まぁ、仕事場近くの隠れ家の方が使う事多いけどさ」  明家の職業を今更ながらに思い出した。こいつの雰囲気がそれを思わせないが、これでも経営者だ。しかも後で知ったが、けっこう有名店ばかりなのだ。大きくはないが、品質の高いサービスと料理を提供するこだわりの店ばかり。  こういう世界の人間だった。それを今更見せられた気がして、少し落ち着かない。 「座ってろよ、作るから」 「あっ、手伝う…」 「今日は俺がやるの。あんたは座ってて。本とか、適当に見てていいから」  そう言われると突然突き放されたようで寂しくなる。でも、ここは明家の家だ。彼に従うよりほかない。いると余計に面倒な手伝いなのは、理解もしているし。  大人しくテレビをつけ、ニュースに視線を向ける。それと一緒に、ローテーブルの上を観察している。綺麗に片付いているが、端に読みかけの本がある。その本は、何か見覚えがあった。 「これ…」  それは確かに、俺の好きな作家の本だ。しかもけっこう古い。どうして今更そんなものを読んでいるのか、俺は気になって手に取ろうとした。  だがそれは未遂に終わった。俺の手を止めるように、食前酒とチーズのセットが置かれた。それは自然に、俺の視線を遮っていた。 「仕上げだけだから、ちょっとこれでも摘まんで待ってて」 「あぁ」  俺の視線が一瞬外れた隙に、本はどこかに回収されてしまっていた。  食前酒がなくなる頃、見計らったように明家が俺を呼んだ。立ち上がり、ダイニングテーブルを見て俺は言葉を無くした。  明家は料理が上手い。だがこれまでは、その場でぱぱっと作るお手軽料理が多かった。だが今目の前に並んでいるのは、間違いなくそんな簡単なものではない。仕込みが必要そうな、とても手の込んだ料理ばかりだ。  それに加えて、セッティングが綺麗だ。アレンジされた花や、キャンドルが中央にある。まるで、特別な席のようだ。 「食べようぜ」 「…あぁ」  そんな、気軽に食べる雰囲気じゃない。気を引き締めて食べなければいけないようで、俺はいつもよりかしこまって食事を始めた。  正直驚いた感じがある。前に明家は『調理学校とかは行ってない』と言っていた。だがこの料理は、本格的なフレンチの味がする。これでも仕事のリサーチに、あちこち食べ歩いた。そこで出された数々の料理にも引けを取らない。 「もっと気楽に食えよ。顔が固まってるぞ」 「こんな立派なの、気軽に食えるか! ちゃんと食べないと、失礼だろうが」  コースのように一品ずつ出てくるわけではないが、それでもそれなりに順番を守ってしまう。驚くべくはパンも、明家が焼いたらしいということだ。  明家はどこか嬉しそうだった。正面に座って、嬉しそうに笑っている。笑顔が多い奴ではあるけれど、いつもとは違う、もっと優しい笑みだ。 「佑のそういう所、俺は結構好きだよ」 「!」  飲みかけのワインがおかしな方向に入っていって、俺はむせて咳き込む。こいつは、今なんと言った? 「佑」と、名前を呼んだのか? そんな事今まで一度だってないだろ。今までは「あんた」か「なぁ」だった。 「おい、大丈夫か?」 「あっ、あぁ」  今日は何かおかしい。何か企んでるのか? なんでこんなに豪勢なんだ? こいつの態度は、どういう意味なんだ?  俺は混乱しまくっていた。

ともだちにシェアしよう!