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もう一度愛し合えたら

約束の日曜日。 徳永はもう蕎麦屋の前に待っていた。 「すみません……」 「いや、大丈夫。お腹空いたな」 蕎麦屋に入り、向かい合わせに座る。 徳永の精悍な顔は変わらないが、前よりも痩せたような気がした。 天ぷらそばを頼み、近況から話し始める。 「君はまだ結婚してないのか?」 「……そんな人、いませんよ。……そういえば、ひまわりの種は蒔いたんですか?」 結婚どころか、未だ独身で、男相手に体を売ってるなんて言えないと思い、星一は話を逸らした。 「……家が焼けてしまったからね。まだ蒔いてないんだ」 「夏に咲かすなら、この時期に蒔かないといけませんね」 「そうだな。どこか良い土地に蒔くとするよ」 徳永は、懐かしそうな眼差しで星一に笑いかけた。 その笑顔は、今の星一にはとても眩しく感じた。 (この人ともう一度愛し合えたら……客を代わりにすることもなくなるのかな) 1945年8月1日。 徳永は小屋に全員を呼び、連合軍に総攻撃を行うことを伝えた。 入営してすぐの頃は大勢いた仲間も、今では半分以下になってしまった。 「これが、最後の攻撃となるだろう」 総攻撃とは言うものの、日本兵20名ほどと百名を越えるアメリカ兵に勝てる見込みなどない。 「今日は各々、明日に備えて休みなさい」 徳永が全員に告げると、解散となった。 星一は、「遂にこの日が来たのだな」と思った。 次の日の午前9時、森を越え、アメリカ陣営に総攻撃を仕掛けるため、小屋を離れた。 しかし、敵陣近くの兵士に見つかり、皆バラバラになってしまった。 星一は森の中で方向感覚を失い、小屋にも戻れず、ひたすら森の中をさまよった。 陽が傾き始め、星一は疲れてしまい、ひとまず小さな洞穴のような所に隠れた。 喉が乾いたが、水筒の水は既に底をついていた。 敵に見つかって死ぬのが先か、餓死が先か。 洞窟の中でじっとしていると、ガサガサと誰かが近づいてくるのが分かった。 星一は思わず、持っていた拳銃を手にする。 せめて、敵に一撃加えて死ねたら格好がつくだろうかと思ったが、予想に反して、聞こえたのは「天城、俺だ」という声だった。 「大隊長……?」 「天城、生きてたんだな……」 「他は……」 「分からない……何とか敵を振り切ってきたが」 徳永は、所々擦り傷のようなものはあったが、大きな傷はないようだった。 星一と徳永は洞穴に隠れると、徳永はお守り袋を取り出し、彼に差し出した。 「天城、これを妻と娘に渡してほしい」 「何言ってるんですか……」 「俺は大隊長だ。部下が決死の覚悟で戦ったのに、俺がのうのうと生きていてはいけない。ほら、食料と水だ。この先の森を抜けたら、アメリカ兵の陣営がある」 徳永が残りの食料と水を無理矢理、星一に渡す。 「捕虜になれと言うんですか」 「この戦争は負け戦だ。日本軍には戻るな。戻ったら最期、どんな特攻をさせられるか分からんぞ。生き残るには、それしかない」 「大隊長は……」 「俺は、これから敵陣に乗り込む。だから、この種を娘と植えてやってくれ……頼む」 徳永はお守り袋を星一の手に握らせるが、星一は「嫌です!」と突き返した。 「俺は、絶対に嫌です……。あなたの奥さんと娘さんに会うなんて、できない」 「天城?」 星一は、戸惑う徳永の瞳を見つめた。 「俺はあなたが好きなんです。だから、あなたの奥さんには会えません。……絶対に嫉妬してしまう」 「天城……」 「ずっと秘めておくつもりでした……でも、あなたが死ぬなんて言うから……もう押さえられない……っ」 星一は両手で顔を覆った。 好きな相手に告白しただけなのに、自分の生娘のような反応が、さらに羞恥心を煽った。 徳永は星一の両手を取って、星一の真っ赤な顔を見ると、くすっと笑った。 「君は存外、可愛いんだな」 星一がぽかんとしていると、徳永は星一の唇を自分の唇で塞いだ。 お互い汗をかいているため、口の中が少ししょっぱかった。 「俺も、天城のことを特別に思っている。正直、恋なのかどうか分からないが……」 フィリピンの戦地で笑う徳永は、とても穏やかだった。

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