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パーフェクト・ワールド・ハルⅢ-2

「あの、茅野先輩。俺、大変申し訳ない……」 「榛名、頼む。頼みます。ほら、この通り!」  行人が言い切るより先に、断られると踏んだ茅野が思い切り頭を下げた方が早かった。ぎょっとしたのは行人だけではない。なんだなんだと、半径三メートルが騒めいている。 「ちょ、茅野先輩! 困りますって!」  寮長と言うのは、基本的に人望の厚い生徒に振り当てられる役職だ。つまるところ、茅野は下級生からも人気の目立つ部類の生徒なわけで、そんな上級生に頭を下げられている状態と言うのは、控えめに言って針の筵だ。 「頼む! この通り、な、榛名! 榛名が出てくれたら、絶対、ウチが優勝出来る!」  茅野は頼み倒した者の勝ちと言わんばかりに、頭を下げたまま行人を拝んでいる。 「そんなわけないですって。と言うか、俺には荷が重いです、それ」  「大丈夫、大丈夫。榛名は可愛いから」 「全然、嬉しくないんですけど」  ようやく茅野の頭は上がったが、今度はがっしりと肩を組まれてしまった。「可愛い」は男子高校生にとって褒め言葉ではないと思うのだが、どうなのだろう。少なくとも、行人は全く嬉しくない。 「それに、榛名にも悪いことばっかりじゃないぞ? 初めは多少恥ずかしいかもしれんが、ミスコンで顔が売れると、これからの三年間いろいろと優遇されるしだな」  懇々と続きそうなそれである。ギリギリで保っていた行人の外面が剥がれ落ちかけたのを見計らったように、助け船が落ちてきた。 「なにやってんの? 茅野。行人つかまえて」 「げ、成瀬」  力説していた顔を歪めて、茅野が仰け反った。 「げって、なんだよ。げって。おまえこそ、こんな目立つ場所で何をやってるわけ」 「なにって、そりゃ決まってるだろう。あれだ、あれ」  な、と言わんばかりに同意を求められてしまって、行人は言葉を探して黙り込んだ。この場を切り抜けたいのは山々だが、この人の助けを借りたいわけでもない。 「行人?」  窺う調子の柔らかい声に、その人を見上げる。黙っているといっそ恐ろしいほどの美貌だ。けれど、人柄の成せる業なのか成瀬からはいつも穏やかな空気が流れているように思う。傍にいると、それだけで心が落ち着くような。今も茅野の要請で苛立っていた心が、すっと凪いでいった。 「え、……っと、その」 「とりあえず、中にでも入るか。おまえが入口を陣取ってたら、通りにくいだろ。そもそもとして行人が断るにも断れないし」 「って、なんで断るのが前提なんだ! そんなことないよな、榛名。なっ?」  流れ弾を食らった気分でいっぱいだったが、場所を変えたいに否はない。そもそもとして成瀬が介入してきたことによって、当初の三割増しで目立っている。自身に突き刺さる視線を存分に理解してから、行人は肩を落とした。 「食堂でもどこでも良いですから、場所変えましょう」  なんとか台詞を絞り出した行人の肩を、茅野が我が意を得たりとばかりににんまりと叩く。いや、違う。話を詳しく聞くためではない。断るためだ。己に言い聞かせて、行人は深々と息を吐いた。うっかりには気を付けようと心の底から反省した。

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