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パーフェクト・ワールド・ハルⅧ-10

「成瀬さん」と初めて呼んだのは、この学園の中等部に入学した日のことだった。  敵わないと思ったのは、あの人が榛名を抱えて戻ってきた日のことだった。 「祥平、おまえ、何やった」  珍しく焦燥の滲んだ顔で飛び込んできた向原も、騒然としていた寮内の空気も。何も分からなかったが、その渦中に、同室者の小さな身体があると言うことだけは分かった。つられるようにして、あぁ、そう言えばと思い出した。あのころは、向原さんは名前で呼んでいた、あの人のことを。 「でも!」 「見たのか」  続きを察したのか、諦めたのか。何を、とも言わずその一言を向原は叩きつけた。糾弾するように成瀬の肩に伸びた手は、寸で握り込まれた。そして、ダン、と壁が鳴って、寮部屋が揺れた。視線が絡んでいたのは、数瞬だったと思う。もう一度、壁が鳴った。そして、向原が身を翻した。  誰も何も言わなかった。咽返るような、甘い、甘い香り。いつも同室者が人工的な甘い香りを身に付けているのは周知の事実だ。付け過ぎたのだろう、あるいは、瓶が割れたのかもしれない。そう思うことにして、皓太は窓を開けた。寮のざわめきが入り込んでくる。いつもの空気ではない。孕んでいるのは、緊張か興奮か。どこからか、悲鳴のような泣き声が聞こえて、――そして、翌日。  三人の退学者が出た。それだけが事実だ。憶測は憶測を呼んだが、真実は曖昧なまま、日常は日常に戻っていった。寮のトップには茅野がいて、生徒会には成瀬が、向原が、篠原がいた。図らずしも今と同じだ。  けれど、俺は、何も知らない。知らないままの方が、良いと思ったからだ。何も知らない。あいつは、顔は……まぁ、確かに可愛いとは思うけれど、それ以上に性格が可愛くなくて、生意気で、口が悪くて、扱いづらくて、けれど不器用なだけで真面目で、まっすぐな、同室者。その認識のままでいることが互いの為だと、分かっていた。けれど、もしかすると、その判断は間違いだったのだろうか。  そこだけは安全なのだと必死で訴えかけるかのように、成瀬の腕を掴んだまま、蹲っている榛名を見ながら、そう思った。  そして、今になって、ふと思う。あれは「見られたのか」ではなかっただろうか、と。何をかは分からないのだけれど。

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