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パーフェクト・ワールド・ハルⅧ-12

「成瀬さん、か」 「どうかした?」 「なんでも……と言うか、うん、そうだな」  珍しく柔らかな声で、榛名が言う。まるで夢の中の幸せを反芻するように。 「三年経っても、あの人はヒーローだなって思ってた。ヒーローと言うか、神様と言うか、よく分からないけど」  はにかんだそれに、ずしりと重いものが胃に落ちてきたような気がした。あんな話を聞いたせいだろうか。ただの刷り込みじゃないのか、あのとき助けてもらったと言うそれだけの。そんな言葉を飲み込んで、なんでもない声で皓太は応じた。 「おまえは本当に好きだね、あの人のこと」  でも、だからと言ってどうにもならない。成瀬はアルファで榛名はベータだ。  成瀬が選ぶのは、オメガだ。あるいはアルファの女性かも知れないけれど。どちらにせよ、彼が榛名を選ぶことはあり得ない。 「うん、そうだな」  榛名は素直に肯定した。 「でも、だからどうってわけじゃないんだけど。幸せになってほしいとは思うよ。それこそ俺が言うようなことじゃないんだろうけど」  幸せ。なぜかその単語が脳内をゆっくりと巡っていた。幸せ。楽園。理想。だったらばここは誰のための世界なのだろう。 「おやすみ」  逃げるように口にして、皓太も布団に潜り込んだ。  そして今度脳裏によぎったのは、先ほどの邂逅の続きだった。  中等部に入学してすぐの頃、わざわざ俺の寮室に顔を見せたことがあった。そして、榛名のいないところでふとこんなことを言われた。 「気を付けてあげても良いかもな。もちろん、皓太の負担にならない範囲で、だけど」  俺は、――俺は、その本意を、分かっていなかった。あの瞬間まで。  だから、思ったのだ。俺は、この人を超えられない。それがどこまでのものかは分からないけれど、ただ一つはっきりと分かった境界線がある。榛名の中では、俺は絶対に、この人を越えられないのだ、と。

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