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閑話「夜の食堂でごはんを食べる話」⑦
「はい、どうぞ」
「ありがとう……、ございます」
うすうすそんな気はしていたのだが、本当に自分のためだけにつくってくれていたのか。一人前のどんぶりにいっそう申し訳ない気分になったのだが、にこにこと見つめてくる先輩を前にすると、手を合わせざるをえなかった。
「いただき、ます」
食堂はいつもにぎやかで、人がたくさんで、はじめての寮生活にまだ慣れていない行人には落ち着かないところだった。でも、今夜は違う。すごく静かだ。ふたりきりなのだから、あたりまえではあるのだけれど。
揚げと長ねぎが入った、シンプルなうどん。家で食べていたものよりつゆは澄んでいた。ちゃんと食べきれるだろうかという一抹の不安を覚えながらも、口をつける。
「おいしい……、です」
「本当? よかった」
行人の言葉に、成瀬はにこにことほほえんでいる。
「甘すぎたりしない?」
その問いかけに、こくりと頷く。たしかに想像していたよりずっと甘い味だったけれど、その甘さとあたたかさに、なんだかすごくほっとしたのだ。
「なら、よかった。前に一回茅野にもつくってやったことあるんだけどさ、あいつすげぇ微妙な顔してたから。おまえの知ってる味とは違うって言ったのに」
「知ってる味?」
「あぁ、えぇと、これこっちの味じゃないんだよね。というか、俺がそれしかつくれないんだけど」
よくわからなくて首を傾げると、新たな説明があった。
「うちの母方の祖母が京都の人で。小さいころはよくうちにきて面倒見てくれてたんだけどね。そのときにつくってくれてたやつで」
「おばあさんが」
「そう。それでね、その向こうの甘いうどんを妹がすごく気に入ってて。だから風邪ひいたときとかに代わりにつくってやってたの」
「いいですね、なんか」
「昔の話だけどね」
柔らかい相槌を最後に、会話が途切れる。けれど嫌な沈黙ではなかった。もう一度箸をつける。空腹なんて感じていなかったはずなのに、するりと喉に入っていく。たぶん、エネルギーは足りていなかったのだろうなと思う。この数日あまり食べれていなかったことは事実なのだ。
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