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閑話「夜の食堂でごはんを食べる話」⑧
急かすでもなく食べ終わるまで見守っていた成瀬が、変わらない穏やかな調子で話しかけてきた。
「眠れないときとかってさ、あたたかいものとか、甘いもの食べるとほっとしない?」
身に染みてわかった気分で、行人は頷いた。本当にほっとしたのだ。この人と一緒にいることができた時間を含めて、かもしれないけれど。
「ついでにちょっとでも落ち着いて、眠くなったらラッキーっていうか」
気負わない笑顔を見ていたら、目の奥がじんわりと熱くなってきてしまった。手にしていた椀を置く。
もとから寝つきがいいわけではなかった。けれど目に見えて眠れなくなったのは、あの夜からだ。
やっと眠れたと思ったら悪夢で目を覚ます。そんなことを繰り返すことしかできない弱い自分も嫌だったし、心配そうに自分を気遣ってくる同室者も嫌だった。
だから、抜け出した。
「大丈夫」
「……え?」
「もう、いないから」
その声は、やはりどこまでも優しかった。けれど、いないというのはどういうことだろう。たしかにこの人は、行人が出て行く必要ないとはっきりと言ってくれたけれど。
「もともとあまり素行のいい連中じゃなかったから、だから、榛名くんのせいじゃないよ。あたりまえの話だけど」
「でも、……いないって、退学ってこと、ですよね」
自分にとっては、ショックなできごとだった。けれど、もっとひどいことはこの世界にたくさんあると知っている。結果として、あの夜「なにもなかった」。
それなのに、退学なんて重い処分が下るものなのだろうか。もみ消されて終わりだと思っていたのに。
「うん。そうなるかな」
淡々と頷かれてしまうと、それ以上は聞けなかった。言ってもらえない気がしたというほうが正しかったかもしれない。
コチコチと時計の針を刻む音が広い食堂に響く。そろそろ部屋に戻ったほうがいいんだろうなとわかっていたのに、離れがたかった。
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