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閑話「夜の食堂でごはんを食べる話」⑨

「俺もね、なかったことはないんだよ」  予想外の言葉に、思わずまじまじと凝視してしまった。成瀬は苦笑気味に「昔の話だけどね」と先ほどと同じ調子で言ってみせただけだったけれど。 「この顔がよくないんだよな。舐められるだけですんだらいいんだけど、テレビで見る顔と同じだって興味持たれて、おもしろがられるから」 「そうだったんですか」 「そう、そう。でも、それも、俺に限ったことじゃなくて、ほかのやつも、……そうだな。柏木とかは本当大変そうだった。一年のころは特に」 「柏木先輩も……」 「うん。だからって言うわけじゃないけど、誰に起こっても、おかしくないことなんだと思うよ。まぁ、誰にも起こらないのが一番いいんだけど」  まっすぐに行人を見つめたまま、成瀬はこうも言った。 「でも、もし起こってしまったら、それは起こしたほうが百パーセント悪い。それだけ」 「……それだけ」 「そう、それだけ。榛名くんが特別だから起こったってわけじゃ、絶対にない」  だからか、といまさらになってわかった。だから、自分や柏木を例に出した話をしてくれたのか。  オメガだから引き寄せたわけじゃない、と、そう伝えるためだけに。  ――なんで、なんだろう。  どうしてこの人は、自分の欲しい言葉ばかりをくれるのだろう。あの夜も、今日も。  まだここにいたくて、問いかける。こんなふうに誰かと一緒にいたいと思ったのは、はじめてかもしれなかった。

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