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Ⅰ-Ⅲ

「…優海(ゆう)……俺……」 「…降ろせ」  颯也(そうや)はいったん前を向きなおり、上等なコートの袖で躊躇もなく顔をぬぐった。 「あーあー、汚ねえなあ、コートで拭くなコートで」  わざと乱暴な声をかけたが、颯也はのろのろ立ち上がるとようやく体ごとこっちを向いて、壊れた硬いガラスのような表情で俺の目の前に立った。 「…抱っこ」  俺にしては珍しく、甘えた言葉をかけてやる。  手を伸ばすと、颯也はようやくフっと笑って、だけどすぐに泣き顔に戻りそうになり、少し慌てたように俺に近づいて来ると抱きしめるようにして俺の背中に腕をまわした。  颯也の首に腕をからめて力を入れると、体がふいっと宙に浮いた。  颯也は俺を抱きなおすこともしないで一気にまっすぐ立ってみせたが、俺の体重を支えることくらいなんでもないのか、そのまま固まってしまった。  今度は颯也の背中越しに街を見下ろす格好になる。 「はは。すげー安定感。リハビリの先生よりうまいかもだぞ颯也」  実際すごい力だ。男らしいごつい体型は、俺の細身で華奢な体をあたかも子供か少年でも抱えるみたいにして見事に支えきっている。  まるで颯也の子供にでもなったかのようで、自分でリクエストしといて顔が少し熱くなる。 (……) 「…うん…、もういいぞ、下に降ろして?」  颯也は動かない。  そのまま、俺の体を抱えた姿勢のままで、颯也は俺の肩に顔をうずめるようにした。  俺を抱える腕にますます力が込められていく。  細かい振動が腕に、胸に、あごに伝わる。  耳元でささやくような声を聞く。 「………やっぱ…だめだ……」 「颯也、」 「…どうして……こんな…ッ」  颯也はこらえきれなくなったのか嗚咽を始めた。  大の男が、男を抱えたまま泣きじゃくり始めたのだ。 「…おい」 「……俺…あのときから、ずっと…」 「………」  颯也の後ろ頭をぽんぽんと撫でてやる。 「気にすんな颯也、大丈夫、済んだことだ」 「……なんで…俺…」  喉奥から溢れ出た、かすれた颯也の声色から、その先の言葉が見えた気がした。 『なんで、俺、あのときお前を救えなかったんだろう』  颯也が傷ついているだろうことは知っていた。  だから俺は、颯也の前で弱音を吐いたり、グチをこぼしたりは一切しなかった。 …でも、颯也も今まで口にしていなかったことに、俺は気づいていなかった。  俺に対して激しく謝罪を続けたり、自分を責めるような言葉は、一切言わなかった。今日まで。  泣いたのだって、俺が手術から目覚めたあの一度きり。  俺は、颯也が傷ついていることを“知って”はいたけど、“理解”はできていなかった。  そういえば見舞いにまで来てくれたあのときの若い運転手が言っていた。 『あのひと大丈夫ですか?…なんだか、あのときずいぶん…取り乱してたみたいだったから』 『取り乱してた?…あいつがですが?』 『なんか、ボーゼンジシツって感じで…ショックが強そうだったから、ちょっと、みんなで心配してて』  俺は今まで、どんなピンチなときだって動揺した颯也というものを見たことがなかった。  のほほんとしているわりにいつも冷静で、解決策を瞬時に見極め、ひょいひょいとピンチから抜け出してしまう。  俺の目からすれば羨ましいほど優秀でたくましい颯也の頭脳が、そんな現場ごときで取り乱すだって? 『大丈夫ですよ。あいつ、たいがいボーっとして見えるんです。見舞いに来る感じじゃ、いたってフツーですよ。ああ見えてもなかなか頼りになる奴で … … 』 …俺のアホ。  気づいてあげていればよかった。  毎日足しげく通ってくるかと思いきや、たまにしか見舞いに来なかったのは、俺がいないぶん増してしまった事務仕事に忙殺されているせいだと思っていた。  でもちがっていた。  俺に会うのがつらすぎたからだ。  自分のせいで足を失った俺を見れば、否が応でも思い出してしまうから。  あの現場を。  自分のあやまちを。  天才は、フルーツや花を持ち、相変わらずののほほんとした表情でたまに俺の目の前に現れてはたわいもない世間話をいくつかやってのけ、そして見事に俺をだまし続けた。  俺に、余計な心配をかけさせないために。  何度も自分を責めただろう。  あのときこうしていたら。  自分がああしていさえすれば。  もしかしたら。  颯也の能力は、颯也の体ではなく精神を痛めつけ、疲弊させ、蝕みつづけた。  どれだけつらかったか、俺は真剣に考えたことがなかった。  颯也が無事だったことに安堵しきってしまっていたから。 ――よかった。俺のほうで。 …そんなふうに思っていた俺は、颯也の苦悩にも気づかず、颯也に言われるまま能天気に療養にだけ励んでいたんだ。  大切な人が傷ついてしまったとき、傷ついた本人より、傷つけた本人のほうがさらに深く傷ついてしまうことだってある。 『ケガしたのが俺で良かった』  無神経な俺の一言に、颯也の心はえぐられた。 「…ッ…あのとき……」  嗚咽を飲み込み、颯也がつぶやく。 「…ん?」 「みとれて、しまって…優海に……あのとき、海を、見てる優海が、すげー…きれいで……ッ…」 ……。 『俺じゃなくて、景色見ろ、景色』  さっきの颯也の表情の、本当の意味がようやくわかった。  事故の時の前方不注意の原因は、俺だった。  それを、“あのときの俺”に指摘されたような感覚に陥ったんだ。 「…あれが、さいごだった……」 「………」  “傷モノ”じゃなかった俺を見た“最後”。  たぶん今日だって、俺をのほほんとだましきり、すんなり帰ってやろうと思っていたんだろう。  でも、俺の言葉で火が付いた。 ――自分のせい  天才の脳みその中でその言葉はひるがえり続け、でもその傷を俺に見せたくなくて、颯也は、俺が見えない位置に座り込んだのだ。 「…じゃあ、今なら安全だぜ。見てみろよ。俺の顔」  颯也が動かないので、抱えられたままモゾモゾと颯也の首に顔をうずめた。  首筋に向かって息を吐くようにつぶやく。 「…俺だって、お前の顔が見たいんだ――」  見てあげていたらよかった。  あのとき。  お互い、見つめ合ったまま、そのまま落ちていたとしたら、颯也は、まだ少しは救われていたのかもしれない。 …今となっては気休めだけど。  指先で、さっきまではさわれなかった颯也の耳の輪郭をなぞる。 「…ごめんな、颯也…」  ひとりでつらい思いさせて…  ようやく颯也はゆっくりと動き始めた。  片膝を落として、上半身を緩やかに傾けると、芝生の上に静かに俺を下ろした。  背中に柔らかな地面があたったのがわかる。  うなじに芝生があたって少しくすぐったい。  寝せられたまま颯也を見る。  吸い込まれそうなくらいにきれいな春の青。  それを背景にした、泣きはらした赤い顔。  まぶしいくらいに、…愛おしい。 「やっと…お前が見えた」  俺に余計な心配をかけまいと強がっていた颯也の仮面を、俺はようやく剝ぎ取れた。  手を伸ばして頬に触れる。  やわらかな肌。思ったとおり、春風みたいに心地いい。 「…心配かけたな」  もう、お前をひとりで泣かせたりしない。  甘い春。  そう。冬は終わったんだ。  冬が冷たく棘ばっていたぶん、俺は、春を、春のような颯也の存在を、ありのままに受け入れることが出来る。  颯也は少し不思議そうに眉を潜めた。  俺が珍しく素直になって、柄にもなくねぎらいの言葉なんかかけてやってるせいだろう。  親指の腹で颯也の涙を優しく拭う。  颯也はようやくほほ笑んだ。  とたんに、俺の心が温かいバターのように滑らかにほぐされていく。 「…よかった」  颯也がつぶやいた。 「…なにが?」 「たった」 ……。 「…は?」 「勃起できた、ちゃんと」 ………。 「は!?」 「へへっ…」  そうやは少しはにかんだように笑うと、上半身を起こし、着ていたコートをはぐって脱ぎ始めた。 「颯也?」 「あースゲー急に来た~」  颯也はバフっとコートを広げながら、俺のすぐ横でのばしている。 「ほんと、最悪だった。あの日以来全然たたなくなっちゃって。オカズにどんだけエロい優海を取り出してもサッパリでさあ。やっぱアレかなあ?事故のせい?優海を見舞いに行って、帰ってすぐ抜こうとしてもダメでー。もー俺不能になったかと思ってガチでへこんでたし」 …嬉々として言葉を繰り出す天才の思考回路について行けない。 「わっ!」  颯也に抱きつかれるようにして抱えられ、次に降ろされると颯也のコートの上だ。 「…んーいい声。あースゲー興奮してきた…もっと聞かせて?」  コートに残る颯也の温もりと匂いに包みこまれて悪くない心地… …って、ちがうだろ! 『………やっぱ…だめだ……』 『……俺…あのときから、ずっと…』  なんだか俺は…いろいろとはき違えていたらしい…! 「ば、ばか!ここじゃキスまでだ!」 「え〜?無理だって優海、すでにもう俺の手には負えないからさあ」  なんだっ!いつの間にかいつもの颯也に戻ってる!  俺の膝下の欠損部分は気にならないのか!? 「んわッ」  颯也は躊躇もなく俺の膝まわりを撫でた。 「痛い?」  なにをお前、無神経な… 「いっ…痛かねえけど、慣れてないからすげえ、くすぐった…ちょ、そんな撫で方すんな、そうや、あクッ…!」  ヤバいエロ声が… 「優海(ゆう)の体で触ってないの、ココだけだよね~」  颯也はサポーターをはぎ取る。 「あ、ちょっと…み、見んな…」  傷口を見られるだけなのに、なんか、颯也に対してだとすごい恥ずかしいぞ…!なんでだ!! 「おお!すごい、全然きれいな肌!」 (………) 「……ほ…ほんとに…?」  颯也はまじまじと眺めている。 「…うん。本当にきれい…」  俺は恥ずかしさで頭の芯がとろけそうになっている。 「…も、いーだろ…」 「なんで?」 「なんか、恥ずかしくて、死にそうなんだ」  颯也は俺を見て、にまり、と笑った。 「…ほんとだ、真っ赤になってる。…優海、超かわいい」  颯也は桜色の舌を出してそこをペロンと舐めた。 「んあッ!………!」  なんか!  屈辱的!  というか!  ちょっとよかったというか! 「あー病院服ってワンピ来てるみたいで超萌ええ♪」  そう言って颯也は、膝まわりを撫でていた指先を腿をつたって一気に中心に運んできた。  下着の裾から颯也のでかい手が入ってきて、間髪入れずに陰茎を握られる。 「んっ、んっ!」  さらに親指の腹が裏筋を押し上げるようにして進んできて、準備する隙もないまま先端で乱暴にぐりっと円を描かれると悲鳴があがった。 「んあッ!…はう…あ、ん!」 「うわあ優海、やっぱ感じやすすぎ、もう濡れてんじゃん…たまんない」 「ふえ…」  颯也は上半身を起こすとベルトをはずし、ズボンと下着を一気に降ろした。  薄い春物のセーターはピンク。下にある白いシャツの裾をめくり上げるほどの颯也のソレが、目に飛び込む。  ばかじゃねーのこいつ!  向こうからケツ丸見えだけど!  あ、でも向こう、青空しかないから大丈夫か? …いーやいやいや、この状況が大丈夫じゃないって! 「おい…待てッ!誰か来たら… 「誰も来ないって言ったの優海だし♪いっただ~きま~す♪♪」  この!  バカ犬ッ! 「おすわり!おすわ…りッ、いいーー!」  退院の前日。  俺は見事に青姦された。 …この世というものは、実に、予測不能にできている… 【前編 ~おわり~】 【通訳】 『………やっぱ…だめだ……』→やっぱりだめだ、たたない。 『…どうして……こんな…ッ』→どうしてこんなに優海が近くにいるのにたたないんだろう。 『……俺…あのときから、ずっと…』→俺、あのときからずっと勃起できてない。 『…あれが、さいごだった……』→あれが勃起できた最後だった。

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