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Ⅱ-Ⅰ
退院の日。
迎えは母さんに頼んでいた。
だいぶ自力で動けるようになったものの、しばらくは実家でのリハビリ生活がつづくことになる。
退院の時間になって、病室のドアを開けて入ってきたのは颯也 だった。
てっきり母さんが現れるものと思っていたので、体型も性別も全然違う大男が突然部屋に入ってきて面食らう。
それが颯也だとわかったとたん、昨日の青姦を思い出してしまった俺は思わず体をすくませた。
「…えっ…なにお前、今日も来たの?もうすぐオフクロ来るけど…、てか、今日も休んだのか会社?今日何曜だっけ…」
なんだか慌ててしまい、頭に浮かんだしょうもない疑問がとりとめもなく早口でボロボロとこぼれる。
「俺が迎えに来た。キョーコさんにも連絡済み」
颯也はなんだかニヤニヤしている。
どうせ昨日の情事のことなんか思い出しているんだろう。(俺と同じだが、感じ方は違っているから。)
「『キョーコさん』って…母さんの連絡先、なんで知ってんだ?」
颯也は、ベッドから降りる途中で固まってしまった俺に近づき、腕をのばす。
「そりゃ知ってるよー。キョーコさんと俺はもうLINE友達なんだから」
俺も腕をのばして颯也の首に絡みつくと、颯也は俺の体を軽々と持ち上げ、ベッドわきの車いすに向けて今度は慎重に下ろし始めた。
すぐに立ったり座ったりは難しいので、主な移動はまだ車いす。義足は形だけのフェイクでしかないことを、颯也も知っている。
颯也の体が接近したので少しドキドキしてしまう。
その動揺がばれないように、別のことを考えることにする。
颯也が俺の実家へも何度も足を運んでいたことは、母さんから聞いて知っていた。
事故のことを詫びに来ていたそうだ。
『あの子、おもしろいのよ。来てすぐに仏壇を拝みに行ったの。あんたが死んだわけでもないのに…そういうものだと思っていたんですって。それでもう、母さん力が抜けちゃって!』
そう言ってコロコロ笑ってたっけ。
自分の息子の両足を欠損させた颯也に対する恨みがないようなので安心していた。
颯也も天然だが、うちの母さんものんびり屋の天然記念物だから、物事はあまり深く考えないタイプ。
そんな二人が馴染むのにさほど時間はかからなかったのかもしれない。
(まあ、『人たらし』の颯也は相手が誰でどういう状況だろうが大概すぐに打ち解けてしまうのだが。)
それにしても、父さんは海外赴任中で不在だから、母さんと二人でこいつら何を話していたんだろうか。
…ま、いっか。
確かに体力のある颯也に連れて帰ってもらった方が、母さんも楽できるし。
退院の手続きを済ませ、荷物を担いだ颯也に車いすを押してもらいながら駐車場へと向かう。(荷物は俺が持つと言ったが颯也は聞かなかった。)
颯也は、奥の、車がまばらに停まっているうちの1台に向かって迷うことなく進んでいく。
(…あの車か?)
見慣れないデカめの車両がどんどん近づいてくるので少しビビる。
「なにお前、車、買い代えたの?」
「当たり前じゃん。廃車だよ、前の」
…そっか。それはそうか。
「あ、ちなみにこれ優海 のね。俺のは別にある」
……。
「は?」
なんつった?今…
「ちょっと見てて」
颯也は俺の車いすを車から少し離れた場所に固定して車へ近づくと、後部座席のスライドドアのノブを引き、すぐに運転席側のドアも開けた。
スライドドアが開くと後部座席に頭を突っ込むようにして担いでいた荷物を奥に放り投げ、体を出してから数歩下がる。
言われたとおりにポカンと見ていると、ポケットから何か取り出した。リモコン?
モーター音がして、後部座席からカートみたいなものが降りてくる。
降りきってから、颯也はカートの一部を開いてみせた。
畳まれていた板状の簡易シートが現れ、颯也はそこに腰掛ける。
「こっちにね、車いす乗せんの」
カートの方を指さす。「で、乗せたらー、」
颯也はまたリモコンを操作したようだった。今度はカートと、颯也を乗せた簡易シートが同時に上昇を始める。
簡易シートが運転席と同じ高さになったところで、颯也は運転席に移動してみせた。
「わかったー?」
運転席に座ったまま簡易シートを折りたたみ、颯也はようやく運転席を降りてこっちに向かってきた。
「………すげ……」
とりあえずそれしか言葉が出ない。
颯也は嬉しそうに笑った。
「とりあえず今日は俺が運転する。優海もすぐ慣れるよ」
「…え、運転って…義足で?」
「両手。大丈夫、俺が教えてやるから」
よいしょ、と言いながら、颯也が俺の体を易々と持ち上げる。
お姫様抱っこみたいで、それはいつもの俺だったら顔から火が出るほど恥ずかしい体勢なのだが、颯也が運転席を見せてくれようとしているので今はそっちのほうが気になる。
運転席の足元にはブレーキもアクセルもない。
かわりに、助手席と運転席の間にでかいレバーが付いている。ハンドルにも、小さなレバー。
「…これで…運転できんのか…」
「左にある大きいレバーで速度調整とかして…、大丈夫。慣れれば簡単!」
颯也は俺のこめかみに軽くキスをした。
俺が振り返ると、相変わらず嬉しそうに笑っていて、照れもせずに俺の頬に鼻をこすりつける。
「ば、ばかっ…、よせこんなとこで…」
俺の意固地な態度を楽しむように、颯也は、ししし、といたずらっぽく笑った。
俺より興奮してるみたいだ。
内緒にしていたプレゼントを見せて、プレゼントされた本人より喜んでいる子供みたいに。
助手席に乗せてもらい、そこから頭だけ動かして、斜め後ろにある外に出たままのカートを見る。そこに車いすを乗せた颯也が、手にしたリモコンでなにやら操作し、すると、カートはまたゆっくりと後部座席へと収納されていく。…おお…
車いすは、カートごと後部座席にすっぽり収まった。
颯也が運転席に戻ってきて、車を発進させる。
…おおお…!
今度はそっちに釘付けになる。
本当にサイドのレバーだけで進んでいる。
すごい…すごいぞ!
やばいめっちゃ興奮する!!
特段好きなわけでもなかったけど、運転なんて、もう一生できないと思ってたし!
「気に入った?」
颯也は慣れた手つきで車を進めながら俺に聞いてきた。
「…お…おう…」
俺はテンションを抑えるのに必死だ。
「車種とか、色とか内装とか、優海好みにチョイスしたつもりなんだけど」
だったら俺にひとこと相談しろよ!でも、車体の色や内装も落ち着いていて、文句のつけようがないくらい俺好みだし!なにしろこの機能!!
だけど俺は、
「…ずいぶんと保険がおりたもんだな…」
としか言えない。
「免税とか補助とか、国から助成金がおりるんだよ、こういうの」
「へえ…」
『ありがとう』だ。ここはそう言うべきとこだ。
わかってるけど出ないんだ。言うタイミングも逃した気がするし。
病院が小高い丘の上にあるから、車は町を滑るように下っていく。
天気もいい。いい気持ち。
「…窓開けていいか?颯也」
「もちろん」
「タバコ吸っていい?」
「だめ。この車は禁煙。灰皿もついてない」
………ちっ。
なんだよ、これ、俺の車やないんかーい。
「…優海には俺より1日でも長く生きてほしいからさ」
(………)
…またそれか…
どうして俺なんだ。
…俺じゃなくても大丈夫なんだよ、お前は…。…俺と違って。
「…タバコは寿命には関係しません」
「するよ。体に毒だから」
だったら俺が吸えばお前はもっと有害な副流煙を吸うことになるからお前の方が短命ですむんじゃねえの?
…なんて、こんな日にいきなりケンカ腰になるほど俺はバカじゃないから、黙っておいてやることにした。
………。
(……?)
おかしい。
進路が。
実家に向かうのとまったく別の方向だ。
迷ったのか?まさかな。颯也に限って。
遠くにあった海がするすると近づいて来ている。
あ、ドライブ?
あ、実家に帰る前にラブホとかに行きたいの?このバカ犬は。
海がもう目の前だ。
海まであと少しの国道の交差点まで来て、颯也はそこでようやく車を右折させた。
曲がってすぐ、道路の左手に、最近新しくできたショッピングモールが見え始める。
(あ~、あそこがそうか。)
映画館やスパなんかも入っていて人気らしい。病室のベッドに寝たまま、情報番組で中のショップの様子や開催中のイベントが取り上げられていたのを何度か見た。
平日の午前中なのに平置きの駐車場はすでに車でいっぱいになりつつある。
国道に入って信号が多くなったせいだろう。景色はゆっくりと流れるようになった。
施設の壁にテナントのロゴがはめ込まれているので、無意識に目で追っていたら颯也の声が聞こえた。
「ここ、優海が入院してからオープンしたとこ。優海、知ってた?」
無印良品、ユニクロ、BEAMS、SHIPS、UNITED ARROWS … …
「ん。テレビで何度か見た」
あのロゴ、なんだっけ?あ、ビレバンもある。いや~、さすがに車いすだと動きにくそう。
「こないだ来たけど、良かったよ、優海の好きそうなワインやチーズのセレクトショップなんかもあって。雰囲気のいいカフェも何件か入ってた。休憩もできる」
「まだ混んでそうだな」
「まあね。でも、新しいからバリアフリーで動きやすいと思う」
「…」
なるほど。この車を乗りこなせるようになったらいつか来てみれば、ということね。ふむふむ了解。
「土日はそうとう混雑するから、車動かすときは気を付けてね。いつもは車いらないと思うけど」
「ふうん」
車いらない?俺意味わからない。
「…なあ、どこに向かっ「着いた」
颯也に行き先を問おうとして、颯也はモールを通り過ぎてすぐのビルの前で言った。
左折し、ビルの中へと入っていく。
「え、なにここ、どこ?」
久しぶりの景色が物珍しくていつの間にか窓の外ばかり見ていた俺は、そこでようやく颯也を振り返った。
颯也は、滅多に見せることのない真剣で神妙な面持ちになっている。
…さっきまで俺に車を見せて喜んでたのに。
なんだか緊張しているようにも見える。
「…どこに向かってるんだ、颯也?」
颯也は答えない。
ビルの下に潜り込んだので一気に暗くなる。車のライトがさっとついて前を照らす。
駐車場だ。
さっきのモールのものだろうか?でもそれらしき表示はない。
ゲートらしき駐車場のバーが見え、颯也が速度を落として近づくとバーは了承したようにスクッと上がった。
右へは地下へ降りる通路もあるようだが、颯也はまっすぐ前へと進む。
2階へ続く通路の手前で颯也は右折した。
明かりが見え、どうやらあそこが建物への入り口らしい。
入り口のすぐ横に身障者用のマークがついた広めの駐車スペースが何台かあり、そのうちのひとつに颯也はようやく車を駐めた。
「…颯也、お前俺に」 何を見せたいんだ。
言い終わらないうちに颯也は車から出てしまった。
……なに?
…おこってるの?
いつの間に怒っていたの?
俺が一言もお礼を言わないから?そうなの?お礼を言って欲しかったわけ?
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